死ぬことに手がかかる時代
自然な人生の終わり方を模索

大塚先生は「大往生の実現」を提唱され、貴院の小冊子の中で次のように述べていらっしゃいます。私たちは大往生するために、どうすれば良いのでしょうか。

大往生の実現

多くの人が長生きする時代になりました。
それにもかかわらず、
大往生という言葉が聞かれなくなりました。

私たちは「大往生」をこう考えます。

  1. 自分の持てる能力を使い切り、周囲の人にも覚悟ができること。
  2. 家族をはじめ周囲に惜しまれて見送られること。
  3. 最期が穏やかで静かであること。少なくとも惨めな姿でないこと。
  4. 見送ったあと、かかわったすべての人々に“良き余韻”があること‥‥

等が満たされての最期です。 (一部抜粋)

大塚 日本の歴史の中で、これほど死ぬことに手をかけなければならない時代はありません。現代は、年をとって死ぬことがとても大変なことになっていますが、生活をしっかりと確立すれば、医療や介護にいまほど手をかけなくてもいいのではないでしょうか。

私は、もっと自然な人生の終わり方があるような気がしています。ポイントは、美味しいものを食べられなくなったら、“もう死んでもいいじゃないか”と思わせられるかどうかです。そう言うと、年寄りを見殺しにするのかと反論されますが、そろそろ終わりにしたいと思っている高齢者もたくさんいます。ただ、それを許す社会的な風土がないのです。

加えて、今の日本は、「あなたの老後は全て国が面倒みます」「あなたが病気になったら全て国が払います」「あなたに介護が必要になったら全て国がケアします」「死ぬときだって最善を尽くします」といった話ばかりです。しかし、それは本当にできるのでしょうか。全ての人に対して、老後の医療費から介護、看取りまで、国が面倒をみることなどできるわけがない。また、何かをしてもらうことに慣れている人は、どこまでやっても満足度が高まりません。

なんでもかんでも社会がやってくれると期待させておきながら、実際には手をかけてもらえないことは1番の不幸です。最後まで自分でやらなければいけないと刷り込まれれば、そこから先は誰かに何かをやってもらったらラッキーだし、プラスだと思えるものです。これからの私たちに大切なのは、自分ひとりで最後まで生き切ろうという気概を持つことだと思います。

第3回終わり(連載3回)