不整脈カテーテル・アブレーションの分野において、全国の大学でトップの症例数と治療成績を有する筑波大学医学医療系循環器内科教室。高度な手技を実践できる数多くのスタッフを揃え、新たなアブレーション法を開発するなど、専門的な治療体制を確立している。特に難治性不整脈では年間400例以上を完治させ、埋め込み型デバイス治療では年間150例以上の実績を持つ。

その筑波大学医学医療系循環器内科教室を2006年から率いてきた教授の青沼和隆氏は、同大学の21に及ぶ各関連病院と共に、教育や研究をテーマに対話を重ね、より良い関係構築を模索してきた。青沼氏は「異なる要素の調和」を目標に掲げ、大学病院の連携や地域医療のあり方など、異なる要素の協調と融合に尽力している。

連載4回の第3回は、筑波大学医学医療系循環器内科学教授の青沼氏に、治療ツールのない研修医時代から、命と向き合う現場でどのように対応してきたのかなどついてお話を伺った。

数多くの患者さんと向き合うことが
ブレークスルーにつながった

青沼先生の研修医時代、現在使用されている心臓病の治療ツールは豊富にあったのでしょうか。

青沼 米国でPCI(冠動脈インターベンション)が始まったのが1977年、カテーテルアブレーション(心筋約灼術)は1982年です。日本にPCIが入ってきたのはその前年の1981年で、私が留学する少し前、医師になって4年目頃のことです。また、その頃にようやく日本でも延吉正清先生による心臓カテーテル治療が始まりました。

PCIは、1977年にスイスの医師グルンツィヒ先生(Dr.Andreas R.Gruzig)が、世界で初めて冠動脈に風船を入れて膨らませた冠動脈形成術が始まりで、そのグルンツィヒ先生が米国・エモリー大学に教授として招かれたことで、1978年から米国でPCIがスタートしました。

一方、アブレーションは1982年に2つの記念すべき論文が出ましたが、それに先行して1979年にフランスのギー・フォンティン先生が書いたものがオリジナルです。あるときフォンティン先生が不整脈の検査をしていた際、心臓の心停止発作が生じ、電気ショックを行ったところ房室ブロックになって脈が伝わらなくなった。そこで調べてみると、心臓内の電気の伝わる伝導路(刺激伝導系)の直上に置いてあった電極カテーテルから巨大な電気が入ったため、伝導路で切断されて徐脈になったという報告をしています。

その報告書を見た米国の2人の先生が、直流通電で房室ブロックを人為的に作成したのが1980~1981年で、1982年に有名な医学誌に投稿しました。その後、全米でこのように直流通電で治療する臨床研究が開始されましたが、その頃、私はフロリダ州マイアミ心臓研究所に留学中で、同研究所も全国症例登録に入っていました。

新しい治療法が勃興してきた時代ですね。青沼先生は米国留学で最先端の治療技術やツールに触れることで、治療に向かう意識や姿勢に変化はあったのでしょうか。

青沼 私が若い頃は、循環器病内科の領域では治療ツールはほとんどなくて単に検査しかできず、不整脈のメカニズムや機序を考えたり、どこに電気の異常伝導路があるのかを確認したり、あるいは冠動脈を造影して外科医にその治療をお願いする、そんな時代でした。私たちが教育を受けた時代は、東京医科歯科大学を含む多くの一流施設にも冠動脈造影の機械さえありませんでした。

その後の三十数年の医師としての人生を振り返ってみると、最初の6年間の治療ツールがない時代に数多くの患者さんを診たり、話を聞いたり、自分で考えたりして生まれたアイデアが、その後のブレークスルーにつながっていると感じます。

例えば、不整脈ひとつとっても様々な症状があります。治療ツールがないからこそ、不整脈の診断とメカニズムを深く考え、究めることに対してモチベーションを維持できました。逆に、現在のように深く考えずに早くから不整脈の治療だけにとらわれてしまうと、将来的に新しい発見や確信につながっていけないのではないかという危惧を持っています。