命の限界を超えていくためには、
学びを止めてはいけない

医師の絶対数が不足しているといわれています。これについて、青沼先生のお考えをお聞かせください。

青沼 問題は、医師がモチベーションを持てる社会であるかどうかです。いまの医師不在と偏りは、若い人の医師としての考え方が変わった、あるいは医学界が目を見開いて取り組んでこなかったという側面もあるでしょう。しかし、一方で社会全体が求めている成果主義というものが立ちはだかっていることもあると考えています。

医師の絶対数については、厚生労働省のサーベイランスに基づいた多くの意見がありますので、議論はそちらに譲りたいと思います。

私たちが医師になった当初、心筋梗塞で亡くなる人も多く、がんの手術も大変でした。ところが21世紀に入ると、心筋梗塞は助けられる疾患となり、2016現在、多くのがんも治せる時代になってきました。

治る病気になってくる社会は医師に対しても、「ガタガタ言わずにちゃんと助ける。それが君たち医者の役目だ」といった空気に変わってきます。患者さん自身は「自分がこうやって欲しいので、それだけやってください」というようにモンスター化し、病院の医師はむしろコンビニ化してしまい、「いらっしゃいませ。今日は何がお好みでしょうか」という風潮になって、「医療もサービス業の1つでしかない」として社会の見る目が変化してきたと感じています。

前述したように、医師は自分の能力の限界が患者さんの命の限界であってはならないし、そのためには常に学ぶことを止めてはいけません。一方で、患者さん側もどうしても助けられない命があると知ることが必要です。医学が進歩したことで全ての心筋梗塞は治ると思ってしまう気持ちもわかりますが、命には限界があることも、一般の方々はきちんと理解するべきではないでしょうか。

以前は、もうすこしゆっくりと時が流れており、患者には医師の顔がきちんと見え、また医師も患者の顔が見えていたように思います。しかし、現在のあまりにも速い時空の流れによって、その信頼関係が徐々に崩れてきてしまったことも、様々な問題の要因となっているのかもしれません。

人材と資源を一本化し
学術活動を大きく発展させる

循環器領域の学会の数が多過ぎるのではないかといわれています。数が増えることで、医学教育やガバナンスがうまく機能しないのではないかと思いますが、青沼先生はどうお感じでしょうか。

青沼 確かに循環器領域でも学会は乱立しているといっても過言ではありません。これは、30~40年前に各分野の大御所の先生方が創られた研究会が1つひとつ学会に発展したことも要因の一つです。不整脈分野でも、日本不整脈学会と日本心電学会というある程度同じ研究領域を対象とする2つの学会がありましたが、2015年6月から日本不整脈心電学会として1つにまとまりました。時代が細分化に向かう中で、逆行しているように思われるかもしれません。しかし、人材と資源を一本化することで、より柔軟に、より活動を大きく発展させることができると考えています。

現在の各学会には、設立に尽力された多くの先生方やOBの方々の思い入れなどもあり、統合していくことは難しいものですが、この統合は我が国において複数の学会を1つにできた初めての事例です。ヨーロッパでも5年ほど前まではローマ、ニース、ベネチア、マルセイユなど、多数の不整脈学会が乱立していましたが、ESC(European Society of Cardiology:ヨーロッパ心臓病学会)は力を発揮し、ESCの基にEuro Pace(不整脈学会)、Euro Echo(エコー学会)をはじめとする多くの分科会を集約しています。

つまり、オーソライズするのではなく、オーガナイズしていくことでまとめ上げられています。「自分が、自分が」という村意識では視野も考え方も狭くなってしまいがちです。特に日本は村社会の名残りが残っており、その意識が抜けませんが、村社会を超えたところにある高みに向けて、みんなで英知を出し合い活かしていくことが重要です。

ヨーロッパで学会をまとめることができた理由はなんでしょうか。

青沼 ユーロとしてまとまったことが、1つの機運になったと思います。犬猿の仲だったドイツとフランスが手を取り合い、ほとんどのヨーロッパ諸国が独自の学会をまとめていくことをユーロの総意としたことで、ユーロ全体の学会という意識が高まり、現在では世界に対してあれほどの発言力を持てるのです。

同じことが日本を中心にしたアジアでもできれば、より良いアジアのコミュニティ、アジア全体の医学界になれるはずです。カーディアックサイロの考え方をもう少し話やりやすくお話すると、日本では山に登る階段があって、その階段が全て独立しています。いまは循環器を専攻しても、その中で専門領域を決定した時点で、どの階段を選ぶかが決定し、自ずと道が決まってしまいます。そうではなく、中央に大きな広場があって、そこから虚血、心不全、不整脈という大きなサイロを自由に行き来できる道がある。こうしたカーディアックサイロの考え方が、これからの日本の循環器医学教育には必要だと考えています。

筑波大学循環器内科教室の運営方針

第4回終わり(連載4回)