“臨床しかできない”異端の大学教授
恩師との出会いが道を拓いた

熊本大学に循環器内科が新設されたのは1983年12月と伺いましたが、新しい教室の雰囲気はいかがでしたか。

小川 1983年12月に教授が就任して、翌1984年2月に診療が始まり、私が加わったのは同年7月です。新設科でしたから当初は教授を含めて全員で7人ほどで、私が入ったときでも研修医を合わせて17人、当時は一番小さい教室でした。循環器内科初の教授だった泰江弘文先生は素晴らしい方でしたが、教室員が少なく1対1の親身な指導を受けることができました。

その泰江先生の経歴は少し変わっています。京都大学卒業後に赴任した静岡市立病院勤務時代に優れた論文を多数発表し、その功績が認められて一般病院から国立大学である熊本大学の教授になられた数少ない教授の一人です。私が泰江先生の論文を読んだのはレジデントの頃で、医局の仲間と抄読会をしていた時にどこの大学教授かと聞くと、市民病院の先生だというのです。大学教授ではない市民病院の医師が、世界的な機関誌「CIRCULATION」に数多くの論文を発表すると共に、これほど優れた研究ができるのかと驚きました。

その先生から数年後に教えを受けるとは思いもかけないことでしたね。

小川 泰江先生も市民病院にいたので、実験をされたことがありませんでした。私も循環器内科に入ったとき、「私は臨床しかできません。先生が実験をしようと言われても、細胞培養なんかできません」と言うと、「君が実験をできないのはわかっているから、臨床だけやりなさい」と指示され、ひたすら臨床に取り組みました。しかし、臨床しかできない大学教授は異端児とされていました。

当時、大学教授はマウスやラット、細胞培養、遺伝子等を扱うベーシックリサーチをする人が主流でしたが、私はその道から完全に外れていました。臨床やクリニカルリサーチをやっている人は単なる医者で、大学にいるべきではないという雰囲気がありました。ところが、90年代後半から日本でも臨床研究が重要だという空気に変わりました。時代が味方したこともあるでしょうが、やはりここでも人との出会いに恵まれたと思っています。

第2回終わり(第3回に続く)