社会を構成する人やモノは、実際にはどれ一つとっても全く同じ動きをするものはない。そして、それぞれの動きが相互に作用し合って、社会としての動きになる。このため、多数の消費者が参加している社会に何か変化を加えたとき、厳密に何が起こるかを予測することは難しい。


 例えば農作物の販売で在庫廃棄をできるだけ抑えようとした場合に、値引き戦略をとるか、期限切れが迫っているものから優先的に販売する戦略をとるかで、売上高がどの程度変わるか。ちょっと考えたくらいでは結果はわからない。


 そこでコンピューターシミュレーションの出番となる。特に、市場のように多様な消費者が参加し、個々の反応の仕方が異なるような仕組みでは、その多様性を反映したマルチエージェント型シミュレーション(MAS)が威力を発揮する。


 このMASを使った研究を手掛けているのが東京大学 工学系研究科の和泉潔教授だ。研究テーマの一つには、東京証券取引所と共同で実施した「人工市場シミュレーションを用いた現実の金融市場の制度検証」がある。ちょっとでも儲ける方法を模索する人間の心理と、安心・安定して取引ができるための ”ズルをさせない” ルール作りには何が必要なのかを探る取り組みだ。ほかにもビジネス向けのMAS活用に取り組み、2019年3月には構造計画研究所が開催した「第19回 MASコンペティション」(関連記事)で審査委員長を務めた。ビジネスの現場でどのようにMASが使われているのか。和泉教授に聞いた。(以下、敬称略)


まず、東京証券取引所との共同研究について教えてください。


和泉 2014年に1株0.x円という形で株価に小数点が発生したとき、値段を細かく刻むと投資家にどんな影響があるかをエージェントシミュレーションで見立てました。具体的には、自動取引をするプログラムを1000個作って、それらが互いにシミュレーションの中で売ったり買ったりすると値段が付くというシミュレーションです。株の値段づけ(ティックサイズ)を5円刻み、1円刻み、0.1円刻みと変更すると株価の振れ方が変わることがあるため、この市場制度が投資家に対して不利な設計にならないかをシミュレーションで確認しました。


ティックサイズ変更のシミュレーションは実際の金融市場の仕組みを変えた(出所:東京大学)
東京証券取引所との共同研究で、ディックサイズのしきい値を発見した。

 中央の図(実データによる検証)は、横幅がティックサイズです。このティックサイズをシミュレーションの中で変えていくと株価の変動量(青い点)がガクッと上がるところがあるんですよ。本来はおとなしく動いていたかった株価が、ティックサイズが大きな刻みになったせいで不自然に大きな株価変動を起こしてしまった例です。ティックサイズが大きい場合に、それが市場に悪影響を与えるようになるのが、しきい値を超えたところです。


 実はこのシミュレーションから面白いことがわかります。例えばトヨタやソニーなどの株は東京証券取引所でなくても取引できます。仮に東証は5円刻み、香港の取引所は0.1円刻みで取引できるとした場合、ある場面から東証の取引シェア(黒い点)が奪われてしまいます。このシェアが落ちてきてしまうのが、先ほどお話しした、不自然に大きな株価変動を起こしたときのしきい値と同じところなんです。ティックサイズが大きすぎると東証の競争力が落ちてしまうし、東証の株価変動が変に大きくなってしまうわけです。


株価変動が大きくなることで、投資家が不安定さを嫌うということでしょうか? あるいは売買がうまく成立しなくなるのでしょうか?


和泉 後者ですね。ちょっとの株価変動の瞬間にさやが取れるので、投資家にとっては細かい方が嬉しいんですよ。シミュレーションから、平均株価の0.5%くらいの刻みを基準にすればいいことがわかりました。そうすると場合によっては株価に小数点が発生します。


 実は、このプログラムを使って、証券会社と別のシミュレーションも実施しました。東証などの取引所を介さずに証券会社が投資家同士をマッチングする「ダークプール」という仕組みがあるんですが、そのダークプールが増えると株式市場全体として悪影響があるかどうかをシミュレーションしました。


 ダークプールは注文価格などの情報をオープンにしなくていい仕組みです。大口の投資家などは、買いたい人がたくさんいることを知られたくないので、ダークプールのほうが嬉しい。かといって、99%の人がダークプールで取引をするようなことになれば、東証の取引が薄くなってしまい、市場がまともに動かなくなってしまいます。だからちょうどいい割合をシミュレーションで探りました。


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ダークプールでの取引が6割を超えると…

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