情報学の研究者ドミニク・チェン氏に聞く「未来の暮らし」の後編。


 前編では、スマートフォンやソーシャルメディアの登場によって情報が偏り排他的になる現象「フィルターバブル」の深刻化や、スマートスピーカーが他者を家庭に受け入れる環境を生み出しつつあるといった事象を紹介した。


 グローバルで活動するチェン氏は、欧米とは異なる日本ならではの「ウェルビーイング」(健康で幸せな状態や生き方)の観点があると説く。(聞き手は、菊池 隆裕=日経BP総研)


ここからは、技術や社会制度、行動などが、人がよりよく生きるとは何かを考える「ウェルビーイング」との関係についてうかがいたいと思います。


技術について、これまでの動きを確認しておきましょう。技術が広がるとき、そこには「ペイン」すなわち痛みがあります。市場に眠っているペインを探せ、消費者が気付いていない痛みを探せ――これは、米国の投資会社が事業計画をチェックするときのポイントです。新しいペインを見つけ、ペインキラーつまり処方箋として技術やサービスを提供することで、プロダクトやサービスが必然性を持って市場に受け入れられ、市場を席巻できるというわけです。


Amazonやアップルは、それが計算通りだったかは分かりませんが、人々のペインを上手に突きながら製品やサービスを提供してきたわけです。離れた人とはコミュニケーションがとりにくく、欲しいものは店舗まで買いに行かなければ手に入らない。そういった不便さというペインを顕在化させて処方箋を提示し、広く受け入れられて今の社会ができあがっています。ところが、今の社会はさまざまなプロダクトやサービスによって効率性や利便性がとても高まってしまい、処方箋が行き渡ったことから生じるペインが課題になってきています。

スマホ依存という新しい「ペイン」がウェルビーイングを引き下げる

効率性や利便性の向上は、IT業界が常に目指してきたものです。「高まりすぎる」という発想はあまり持てませんでした。


スマートフォン(スマホ)でSNSができるようになって、リアルには孤独でもSNSを通じて同じ思いや趣味を持つ人が地球の裏側にいても交流できるようになりました。これはもう素晴らしいテクノロジーです。


でも、SNSを意識しすぎることの弊害も出てきています。SNSが生活の中心になるあまり、通知が来ると眼の前にあるリアルのことを放り出してしまうスマホ依存が世界各国で問題になっています。これは最初のペインを克服して、便利さや高速性を手に入れた後で生まれてくる新たな痛みです。


スマホが普及するまでは、情報源は新聞や雑誌、テレビが中心でした。しかし今はWebメディアがそれらの何十倍、何百倍という刺激を放ち続けています。Webメディアは、人間の注意が無限にあるという前提で設計されていて、利用者の注意をこれでもかと奪いに来ます。奪いに来るのは、広告を打つ企業だけでなく、SNSで「いいね」をつけてほしいと投稿を連発する友人かもしれません。しかし、人間の注意は有限です。膨らんでいく「注意経済」を見直さないと、ウェルビーイングなテクノロジーは作れないと思います。


もともとペインキラーだったスマホが、新しいペインを生み出してウェルビーイングに逆行してしまうという状況ですね。これには対策はありますか。


こうした状況に対応する言葉として「デジタルウェルビーイング」があります。アップルは最新版のスマホに使いすぎを注意する機能を搭載してきました。これがデジタルウェルビーイングの一つの表れです。


もっとど真ん中なのはグーグルで、最新OSのAndroid Pに「デジタルウェルビーイング」という名称で使いすぎを注意する機能を搭載しています。使いすぎ注意機能は一例ですが、テクノロジーが生み出したペインをゼロ地点に戻すデジタルウェルビーイングの考え方が広がりつつあります。言い換えると、かかってしまった病気を治療し、起こらないように予防するということです。


ウェルビーイングでは、マイナス要因を取り除き、よりプラスになることを考えます。医学で言えば、病気の治療をして予防を施して、ゼロになったところを経て健康を増進するということです。デジタルウェルビーイングでも、生み出してしまったマイナスをゼロにして、その上で新しい価値を考えることが、ようやくできるようになるわけです。ゼロになったところから、(前編で紹介した)突拍子もないような訪問生活が実現するとか、子育てのペインを軽減するとか、テクノロジーが社会課題に寄り添っていくことができるようになると思います。


今のテクノロジーは、スマート家電やスマートロックを作ったりしていますが、ウェルビーイングから見ると、考え方をもっと広げられると思います。行政ができるスマートホームソリューションとは何か。公共セクターやNPO(非営利組織)も、テクノロジーを使うことで一般市民生活に寄り添うソリューションを作ることが可能になるでしょう。


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ネガティブなことをウェルビーイングとして受け入れる日本文化

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