確かにほぼ必ずといってよいほど人事部門から社長を輩出する大企業がある。新卒一括採用は人事部門が仕切る。現場の管理職の意向を無視し異動を強行することはめったにないだろうが「彼はそろそろ管理職の年次なので別部門を経験後、昇格させよう」と現場の管理職に働きかけることはある。

 日本の社会に合っているからそういうやり方が認められ、結果として人事部門に力が備わった。それはそれでよいのではないか。

人事部門は現場を知らない

 「人事部門は奥の院にいて社長室や役員室に近いが自社の現場からは遠い。現場の事業が分かっていない部門に力を持たせてはいけない」

 米国企業に長く勤めた人は自分の考えをはっきり言う。理屈もある。ただしどうも腹にすっと落ちない。その場で言い返せなかったので別途考えてみた。

 企業にとって必要なことは何か、そこに戻ってみる。世の中に受け入れられる価値を提供するために、事業を分かった人が戦略を立て、それを実行できる人を集め、評価する。戦略には人事も含まれる。

 日本の人事部を批判する彼の主張をうのみにすると米国と日本の違いは次のようになる。

 米国企業は事業が分かる人(経営トップや現場のマネジャ―)が戦略や方針を決め、必要な人を採用、評価して動かし、責任をとる。人事部門はスタッフとして支える。適切な人材を素早く見つける仕組みを用意したり、経営トップの考えを汲み、人材開発プログラムを用意したりする。

 一方、日本企業では事業や人事の戦略立案、実行、採用と人事評価の権限が分散し、責任が曖昧になっているように見える。権限が分散していては前に進めない。責任が曖昧な組織では戦いに勝てない。彼はこう考え、日本企業を批判する。

 この批判は正鵠を射ているかもしれないが、日本企業も現場で採用し、現場で人事をすればよい、というのは結論を急ぎすぎだ。いきなりそうしたら混乱し、現場の管理職は「仕事にならない」と悲鳴を上げるだろう。

 良い悪いはともかく、日本の社会や企業には「長い物には巻かれよ」とか「和を貴ぶ」とか、そういう流儀が今でもある。自分のことを自分で決める人ばかりではない。自律あるいは自立という言葉から遠いところにいる日本人にとって、斜め上からの視点からかもしれないが、人事部門が見守ってくれ、時には思い切った異動をさせてくれる、というやり方は意味があるだろう。

 事業を分かった人が経営や人事の戦略を立て、実行できる人を集め、評価する。そのために日本流の良い点を生かし、日本流の弊害を減らしていける道を探さなければならない。

 彼にそう伝えても「道を探している暇はない」と言われそうだ。我が道をしっかり歩んでいる日本企業を探し、その成果を知ってから反論を伝えに行こうと思う。

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谷島 宣之(やじま・のぶゆき) 日経BP 日経BP総研 上席研究員
谷島 宣之

 1985年電気通信大学情報数理工学科修士課程修了、日経マグロウヒル社(現・日経BP)入社、日経コンピュータ編集部に配属。日経ウォッチャーIBM版記者、日経ビズテック編集委員を経て、2007年から日経ビジネスオンライン、日経コンピュータ、ITproの編集委員。2009年1月から日経コンピュータ編集長。2011年6月から日経BPビジョナリー経営研究所研究員。2015年から現職。一貫してビジネスとテクノロジーの関わりについて執筆。著書に『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』(日経BP、2013)、『社長が知りたいIT 50の本当』(日経BP、2016)がある。

※筆者の会社名および役職は執筆当時のものです。