中島:対集団ではなく、個別に面談しようと提案しました。こちらの担当者は主任、1つ上の先輩、そして僕の3人だったので、一人当たり50人ずつの分担です。1週間まるまる病院に通い、空いている病室で1人30分ずつ時間を取り、あらかじめ作った資料を見せながら「今の基本給と賞与はこの金額。継承先では給与はこういう仕組みになるから、年収ベースで維持される」と説明しました。その上で気になること、不明なことも一つひとつ丁寧に聞くようにしました。

――面談では、あらゆる不満や不安が出てきたでしょう。

中島:それが、意外と細かいことだったんですよ。たとえば「機器に貼ってある病院名のステッカーを貼りかえるんですか?」とか。すぐ解決できることも多いし、その場で解決できなくても持ち帰って検討して答えていくと「会社はちゃんと対応してくれた」と安心してくれて、反対ムードがシューッと収束に向かっていくのを感じました。半年がかりの交渉でヘビーな体験でしたが、学びも大きかったです。

――「一人ひとりと向き合った」この体験が、NAONAの活用につながるわけですね。

中島:転籍交渉を終えたあと、2014年10月から中国・北京で1年間、中国地域の統括会社兼営業販売拠点の人事をしていました。対象となる社員は中国の人500人くらい、処遇制度改訂をメインに担当しました。その後は国内のソフトウエア工場の人事を2年弱くらいやりました。工場といっても、普通のオフィスで社員は皆パソコンに向かって仕事している事業所です。IT系のスピード感のある事業所だったので、それはそれで面白かったですね。

退職して留学、それまでの経験は全く通用しなかった

――国内工場人事の時に転職したんですね。会社を辞めた理由を伺ってもいいですか?

中島:転職を決めて辞めたわけじゃないんです。2017年3月にその会社を退職して、村田製作所入社までの期間はオーストラリア・モナッシュ大学のビジネススクールに通っていました。一般的なMBAでは、コースの中の選択科目の一つに人的資源管理論があるビジネススクールが多いのですが、モナッシュ大学はHuman Resource Management専門のコースがあったので。

――えっ! もしかして、モナッシュ大学に行くために会社を辞めたのですか?

中島:はい、そうなんです。ITの事業所でスピード感をもってどんどん新しいことにチャレンジしているのを見ていて、僕も人事の実務経験を生かして、人事分野の学びを深めたいと思ったんです。欧米に比べてオーストラリアの大学は入学条件が緩和されています。モナッシュ大学の人事専門コースは伝統があって有名だったし、OBの感想を聞いてもカリキュラムが充実していました。それで、「とりあえず」と受けてみたら受かっちゃいまして(笑)。ちょうど30歳だったから、戻ってきて仕事を探すことも考えると「行くなら今しかない!」と決断したわけです。