永塚さんの話を聞いていたら、やることが一杯あって混乱してきた。でも、研修に特別な価値をつけることが私たち人材開発部の仕事なのだとしたら、私はそのために必要なことを一つひとつ覚えて、できるようになりたい。

「私がやるべきことを整理すると、今年の受講者の特徴の把握、目標と期待値の確認、注意事項や調整事項の有無、先生に関する情報の把握でよいでしょうか? それして、それらを先生にお伝えする」
「言っておくけどな、そのまま全部課長に聞いちゃダメだぞ。特に先生に関しては。今の時代ネットでいくらでも調べられるんだから、なぜ岡崎先生に依頼しているのか自分なりに仮説を立ててから課長に聞くように」

 仮説検証か。そう言われてみると、ネットで調べられることもありそうだ。頂いた名刺にはURLが書いてあったから、まずはご本人のホームページからチェックしてみよう。

「先生の情報を知っておけば、色々お願いをするときに、どう言ったら喜んで引き受けてもらえるかが分かるしな」
「えっ、それってどういうことですか」
「得意領域を発揮できるとか、期待されているとか、信頼されているとかいうことが伝われば、多少無理なお願いでも引き受けたくなるのが人情だ」
 そこで永塚さんはワザとらしく営業用スマイルを作って、私を見た。
「というわけで、元谷さん、大変かもしれないけど、あなたならできると思うよ。だから岩松課長も担当を任せてくれたんだ」
「…そう来ますか…」
「仮説と課長への質問がまとまったら、事前に添削してやるから」
「ありがとうございます。そうですね、そーいう言い方をされると確かに断りにくいですよね」

 私は精一杯の嫌味を言ったつもりだけど、永塚さんにはまったく届いていないようだった。営業用スマイルも、ほんの数秒だったし。だが、話の流れとはいえ、「あなたならできると思う」とか「だから担当を任せてくれた」という言葉は、確かに私の心にヒットしていた。参っちゃうなぁ。

2度目の打合せで仮説を検証

 それから私は、インターネットで先生の情報や、世の中のメンタルヘルス研修について情報を集めたり、メンタルヘルスに関する社内の状況や制度について調べたりした。新任課長研修でメンタルヘルスについて取り扱うようになったのは5年前からで、その年には厚生労働省から「労働者の心の健康の保持増進のための指針」というのが出ていたり、社内ではメンタルヘルスで休職する人が増えたりしていた。そういう背景から、新任課長研修の内容がこうなったんだろう。

 また、毎年人事部の行っているメンタルヘルスのアンケートというものがあることも分かった。アンケートの結果について、研修の中でプロフェッショナルの視点を交えて岡崎先生から伝えてもらってもいいかもしれない。

 色々と調べて痛感したのは、調べてみたら分かることが多いこと。それから、私がまだ社内のことを知らなさ過ぎるということだった。会社としての人材戦略というような大きく掲げられたものだけでなく、社員一人ひとりがどんな仕事をどのように行っているのかも知らなければ、適切な計画を立てることは難しい。…一人前への道は遠そうだ。

 岡崎先生には、もう一度打合せのお願いをした。調べた情報から立てた仮説を永塚さんにチェックしてもらった上で、岩松課長から色々な話を伺った。多くの先生がいる中、なぜ岡崎先生に依頼するようになったのかという経緯や、先生の強みについても聞くことができた。

 それをもとに、先生にお伝えするべきことをまとめにかかる。研修の目標を確認することはもちろん、社内や受講者の現状についてもお伝えしなきゃ。それを喜んで引き受けてもらえるようにする言い回しは、考えてみたけれどいまいちパッとしなかったので永塚さんのお知恵を拝借した。

 岡崎先生との2度目の打合せは、私が一人で行った。先生は私のスムーズとは言えないかもしれない話を、しっかり聞いてくださった。そして最後にこう仰った。

「実は岩松課長から、今年はやる気のある有望な新人に担当を引き継ごうと思ってると伺っていたんです。今日のお話で、元谷さんが真剣に取り組んでいらっしゃることがよく分かりました。さすが岩松課長が期待されている方だなと思いましたよ。私も気持ちを引き締めて、御社のお役に立つ研修を実施させていただきます」

 私がそれを聞きながら、心の中でガッツポーズをしていたのは言うまでもない。