築谷奈緒子
株式会社エイチ・アール・ディー研究所 開発部 コンサルタント

「元谷さん、ちょっといい?」

 永塚さんから声をかけられた。永塚さんというのは私の所属する人材開発部の先輩。とてもデキル。そのデキル先輩から声をかけられたということは…。また新たな仕事が降ってくるということだ。

「はい、なんでしょうか?」
「元谷さん、この間のミーティングで、一通り人材開発部の仕事も体験できて、これから更にいい仕事ができるようステップアップしたいって言ってたよな」

 ええ、ええ。大見得切って言ってしまいましたが、それが何か。

「マーケティング研修の時は、自分の強みも活かせたし、これからも自分の強みを部の力にしていきたいとも言ってたよな」

 強み? 学生時代のバイトのおかげで、中ジョッキを11個一気に運べること?!

「そこでだ」

“ASTD LEARNING SYSTEM”の日本語のレジュメを作ることに

 永塚さんがちょっと楽しげな持ち手つきの紙製のボックスをドン!とデスクの上に置いた。色はきれいな青を基調としながら、ちょっとカラフル。ただし、全部英語。大きく“ASTD LEARNING SYSTEM”と書いてある。

「えっと…。まだ、意味がつかめてませんが」
「これから説明する。ASTDというのはアメリカの研修や人材開発に携わるプロの集まりだ。“アメリカ”と名はついているが、今は実質的にはグローバルな団体になっている」
「はあ」
「そのASTDが“人材開発のプロとしてこれは最低限知っておくべき”ことをまとめたのがこの本だ」

 ボックスを開けてみるとモジュール1からモジュール9までのテキスト。カラフルなのは、テキストの一冊一冊が虹色のように色分けされているからだった。

「元谷さんのもう一つの強み、英語を活かしてレジュメを作ってもらいたい」

 ええっ、これを全部訳す、ってぇことですか!という私の表情を読み取ったのか、永塚さんが続ける。

「訳す、あるいは要約する、っていうのは大変だろうから、だいたいこんなことが書いてある、っていうのをできるだけ網羅的にピックアップしてそれを日本語にしてもらいたい。ほら、例えば、ここ。“Maslow”ってのは知っているだろ」
「マ、ス、ロー?、あ、欲求段階説のマズローですね」

 テキストには箇条書きで、生理的欲求/安全の欲求/所属の欲求/承認の欲求/自己実現の欲求と書いてあり、その説明が続いている。もちろん英語だが。

「その箇条書きのところだけ、ピックアップしてくれればいいから。それなら簡単だろ」

 テキストをパラパラめくってみると、いろいろなセオリーや原則がまず箇条書きで、そしてその後で解説、という構成で書かれている。簡単かどうかは疑問だけれど、箇条書きのところだけならなんとかいけるだろう。インターネットで調べてもいいし。

「大切なことは“人材開発のプロとして知っておくべき”領域が分かること。それぞれの詳しい内容は、実際の仕事の中で、深め、活用してもらいたい」
「新人研修の組み立てでは“We Can”サポートモデル、というので考えましたが、そんな風に最終的には実務の中で応用して身につける、ということですね」
「そうだ。ただ、まずは“こんなセオリーがある、こんな原則がある”ということを知っておくのが目標だと考えてほしい。なので、レジュメも厳密に正しいことは求めない」
「えっ、でも、日本語のレジュメだけを読む人もいるわけですよね」
「この先にはいるかもしれない。ただ、新しい人がウチの部に入ってきたら、元谷さんのレジュメを正す、という課題をやってもらって、この内容をつかんでもらうつもりだから」

 おそるべし。結局手を動かすことで、中身をつかませる、ということですね。

「だから、あまり正しくて完璧なのも困る。そのつもりで」

 自分のために、組織のために、そして、まだ見ぬ新しい仲間のために。まあ、私の英語力なんてたかが知れているので、そんなにいい感じにはならないと思うけれど…。永塚さんとしてはそれも分かった上で言ってくれているのだ。よし、がんばるぞ。

 はじめのモジュールは「学びのデザイン」-“Designing Learning”。様々な学習理論や研修プログラムの設計手法から始まって、著作権などのことにも触れられている。とりあえず、第1章の「認知と成人学習理論」-“Cognition and Adult Learning Theory”から、箇条書きになっていることを中心にポイントになりそうな部分をピックアップしてみた。