今回の事件で専門家として考えるのは「産業医はどうしていたのだろうか?」ということです。批判ではなく、長時間労働者への面接指導はいかなる態勢で行われていたのか、同じ産業医として気になります。長時間労働者に配られるべき問診票や疲労チェックシートでは疲労度が低い結果になっていたのか、あるいは面接申し出を自ら辞退していたのだろうか。労働時間が過小申告されていたとすると、面接の対象にすら挙がっていなかったのかもしれません。

 長時間労働への面接指導態勢をしっかり組んでいても、労働時間が正しく集計されていなければ全く意味がありません。労働時間の過小申告は犯罪とも取られ得る行為ですので、外回りが多い営業職であっても、実態を反映した労働時間管理をしていくことが不可欠です。事件のケースでも、労働時間が正確に報告され、100時間を超えていたとすれば、医師の面接指導を受け、その結果「疲労蓄積、休息や労働時間の削減が必要」と医師の意見が出れば、職場で措置を講じて負担を一時的にでも軽減することで「自殺」を防げたかもしれません。

私たち個人にできることは何か

 現場レベルでの効果にはまだ結びつかなくても、長時間労働を是正しようと必死で経営層の理解を得ようと尽力している人事担当者や、役員のリードで社内改革をしようと取り組みを始めている職場もたくさん目にしています。「仕方ない」で片づけるのではなく「現状を変えていかなくてはいけないんだ」と諦めず希望をもって、人事部ひいては会社と共に長時間労働の削減に一緒に取り組んでいける産業医でありたいと思います。

 では、私たち一人ひとりができることは何かと考えた時、相手の立場を十分に考えない過剰な要求は、結果的に相手に「長時間労働」を強い、その先で「過労死」などの健康問題につながり得るものではないかと思います。私たち一人ひとりがサービスを利用するユーザーや客側になる際、無理強いや過剰な要求を相手にしていないだろうか? 本当に必要な要求か? 適切な要求をしているか? などをお互いに今一度ふり返ってみてもよいのではないかと思います。プロセスの改善やイノベーション抜きに、労働集約的、属人的対応による無謀なサービスの向上は、長期的な競争力の向上にはつながらず、むしろ生産性を低下させかねないと、思いを新たにしました。

石井 りな(いしい・りな) 精神科専門医、産業医 / フェミナス産業医事務所、株式会社プロヘルス 代表
石井 りな

 千葉大学医学部卒。総合病院にて研修後、精神科病院や精神科クリニックに勤務。並行してうつ病リワーク施設や企業向けメンタルヘルス支援機関を経験。精神分析・力動的精神療法、認知行動療法などの精神療法も学ぶ。診療や企業での経験を通じて、従業員の健康対策は企業の生産性を高めるうえで必要不可欠だと確信。「健やかに活き活きと仕事に挑戦し続けられる社会」を目指し、精神科産業医の立場から企業を支援したいと思い、女性医師を中心にフェミナス産業医事務所を設立。現在、多くの企業で産業医として活動する傍ら、大学で費用対効果の高いメンタルヘルス対策についての研究も行っている。
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※筆者の会社名および役職は執筆当時のものです。