オムロン サイニックエックスは、オムロンが2018年4月に設立した新会社で、様々な社会課題の解決に必要な技術開発に取り組む。技術革新を進めることで可能になる「近未来」をデザインすることを目的とした会社だ。未来ではなくあえて近未来をデザインするとした理由は何か。一般的な技術開発のアプローチとどう異なるのか。同社社長に就任した諏訪正樹氏が近未来デザインの目指すところを語った。(文:松尾康徳)

 当社はオムロングループの中でイノベーションを推進するためのプラットフォームの一つです。会社という形を取ってはいますが、専任のメンバーはわずかで、プロジェクトベースで様々な人材が集まり、技術開発のための議論を重ねていきます。集まる人材はオムロングループ社員とは限らず、社内外の知恵を結集し、社会が抱える課題の抽出とその解決をもたらす技術革新を進めることを目指しています。

オムロン サイニックエックス 代表取締役社長 諏訪正樹氏
(撮影:栗原克己)

 当社は未来ではなく、「近未来」をデザインすることを標榜しています。一般に未来予測とは現在から将来を見通していくものですが、当社が考える近未来予測とは未来から現在を見通していく手法です。未来をイメージしたうえでそこにつながる現在の課題を定義し、それにオムロンがどう貢献できるかという意思が入る点で、純粋な未来予測とは少し異なります。また一般的な未来予測は、総論を描くことが多いと思いますが、総論だけでは十分ではありません。総論から個別に具体化していく間にも科学や技術が進化するからです。総論を描いたうえで科学や技術の進化をもとに随時アップデートしていく点も、近未来予測が未来予測と異なるところです。

 近未来予測では、課題を解決できる技術を社会実装したレベルまでデザインします。その段階ではオムロンの現有事業とどうつながるかは前提としません。オムロンがその技術を確立しようとするならば何が足りないかを明確化し、足りない部分をオープンイノベーションなどで補います。そのためのプラットフォームが当社の役割です。

約50年前の論文が今も根底に

 当社が生まれた背景にあるのが、オムロン創業者の立石一真が1970年に国際未来学会で発表した「SINIC理論」の存在です(下記のコラムを参照)。SINIC理論は、科学と技術と社会が相互に影響し合いながら未来を形作っていくと提言したものです。

 この理論では社会の変化として、人と機械の役割が「分離」した自動化社会の次に、人と機械が「連結」して協働する情報化社会が訪れ、その後は人と機械が「融和」し、機械が人の能力を拡張する最適化社会や自律社会に向かうとされています。一連の流れは、最近の大きなトレンドになっている「インダストリー4.0」の概念と同じです。それを50年近く昔に予見していたことから、改めてその理論の先見性が評価されているところです。

 技術経営を掲げるオムロンは、社会のニーズをいち早くとらえるための羅針盤としてこのSINIC理論を位置付け、オートメーション技術などを確立し、社会の発展に貢献してきました。社会の転換点では不連続な変化が起こるため、過去の流れを単に延長した先に将来のロードマップをつくることはできません。鉄道駅の自動改札システムや道路の交通管制システムなど、オムロンが新しい時代を先取りしたたシステムをいち早く実現した事例が数多くあります。この多くは、SINIC理論に基づいて不連続な変化をとらえたことで生まれました。

 立石が確立したSINIC理論とそれによる近未来デザインは、社会の転換点とその時に起こる変化を見極めるうえで今も有効です。そのデザイン手法を組織的に推進していくのが当社です。立石個人の頭の中にあった雑多な考え方を整理し、永続的なものにします。

データと目的が1対1でなくなる

 当社は2018年4月に私を含む12名のスタッフでスタートしました。技術顧問として慶應義塾大学理工学部大学院理工学研究科教授の栗原聡、技術アドバイザーとして東京大学大学院情報理工学系研究科の牛久祥孝がそれぞれ就いています。その他にも研究員として大学などから複数の技術者が設立に参画しました。いずれも近未来をデザインし、ソーシャルニーズをつくるという考えに同調していただいた方ばかりです。大学にいるとどうしても雑務に追われがちですが、ここだとそういうこともありません。純粋にクリエーティブなテーマに専念できるのではないかと思います。

(撮影:栗原克己)

 12名のスタッフ以外にもプロジェクトごとに様々な人材が集まることを想定し、オフィスの環境も自由に議論しやすいものにしました。ちょっとした思いつきでもすぐにディスカッションを始められるような環境を、オフィスの中核部分に設けています。そこにはモニターのような一般的な設備だけでなく、ロボットアームなども配置し、ディスカッションで気になったことをすぐその場で実践してみることができるようにしました。今もちょうどそこで何やら議論しています。海外からの研究者が参加することも多いので議論は英語で行われることが少なくないですね。

 議論はこのスペースだけでなく、個人のブースなどそこかしこで行われています。近未来をデザインしようとすると、今までのようにデータと目的が単純な1対1の関係にならなくなるため、日常的な議論で様々な情報を交換することが必要だからです。従来は、ある目的のために特定のデータが必要なら、それを取得できるセンサーを開発するというのが普通のやり方でした。しかし、あらゆるセンサーが至るところに配置されるようになると、センサーは仮想化され、様々な組み合わせが可能になります。その組み合わせ次第で今までできなかったこと、解決できなかった社会課題が解決するようになるかもしれません。

(撮影:栗原克己)

 SNSの書き込みのように、そもそもセンサーとして使われていない情報も、活用次第でセンサーのように扱えるため、組み合わせと用途はさらに広がります。そのアグリゲーションの仕方を考え、目的のためにどのようなデータを集めればよいか。単に日常社会をデジタルデータ化するのではなく、データの「サルベージ」を行っていくのも、近未来デザインの手法の一つです。

全員が「それいいね」ではつまらない

 当社の設立を発表した際、他社から「よく設立できましたね」と感心されました。「ウチでも同じようなこと考えたけど、社内で反対する声が多かった」というのです。ただそれは、もっともなことかもしれません。デザインした近未来をフィードバックしようとすると、時に現状のビジネスと相いれないときがあるからです。

(撮影:栗原克己)

 例えば現在、自動車分野では自動運転が大きなテーマになっていますが、自動運転が一般化されるようになると、道路のインフラにも変化が起きる可能性があります。現在の信号や標識は人間が見ることを想定したものであり、センサーが見るものであれば、全く違うものが最適かもしれません。

 しかし、現在信号を販売している事業部門にとっては、そんなことは考えたくもないはずです。今の形の信号がなくなることを思い立った人がいても、その意見は社内でなかなか受け入れられないでしょう。ただし、そのままの状態では実際に変化が起きたときに乗り遅れてしまいます。

 当社はオムロン本体から分離することで、客観的な立場から不連続な変化の起こる近未来を予測し、必要な対応をオムロン本体に提言します。オムロン本体が江戸幕府なら、当社は長崎の「出島」みたいなものでしょうか。

 出島ですから、そこからの提言は恐らく異質なものに映るでしょうね。でも、それで構わないと思います。全員が「それいいね」と反応するようなものでは面白くありません。「なんだ、それ?」と首をかしげる人がいるぐらいのアイデアを生み出さなくてはと思っています。

成果への評価は世の中に問う

 オムロンは企業理念の一項目に「ソーシャルニーズの創造」を掲げています。そこには「事業」という切り口がありません。すべてが現業の観点から始まっていたら、社会を変えるようなイノベーションを生み出すことはできないでしょう。

(撮影:栗原克己)

 例えば家庭用の血圧計は、「家庭でも病気を見つけられるようにしたい」というソーシャルニーズをつくり出しました。事業だけを気にしていたら、医師用の範ちゅうを出る製品を作ることはなかったはずです。ソーシャルニーズの創造に対する強い信念があったからこそ、医療業界を時間をかけて納得させ、最終的に家庭用血圧計という新しい市場を立ち上げることができたのだと思います。

 最初の研究テーマの一つとして、FA(Factory Automation)を考えています。2030年のものづくりと、そのときにロボットでどのようなことを実現しているかをイメージし、オムロンが取り組むべき技術開発の具体的な方向性を見つけたいと思っています。ただし、それも事業ありきで考えるわけではないことは先ほど申し上げたとおりです。

 研究の成果は、特許出願後に国際的な学会などに発表する形で公開します。それだけでなく、自らワークショップを開催するつもりです。第1弾は10月に米国で開催します。1年以内に日本でも同様のワークショップを開催したいですね。

 もちろんオムロンから出資を受ける会社として、特許の数などに目標値は設定されていますが、当社の成果を評価するのは親会社のオムロンではなく「社会」だと思っています。近未来デザインの目的は事業ではなく事業を通じたソーシャルニーズの創造が第一だからこそ、評価は世の中に問いたいと考えています。(談)

(撮影:栗原克己)
未来を見通すための羅針盤「SINIC理論」

 SINIC理論は、オムロン創業者の立石一真氏が1970年に国際未来学会で発表した理論。古代科学から近代科学や制御科学などに続く「科学」の軸と、手工業から工業技術や自動制御への「技術」の軸、農業社会から手工業社会や機械化社会に続く「社会」の軸の3つが、それぞれ発展しながら相互に影響し合い、その後に続く時代を作り上げていくと指摘したものだ。

 SINIC理論によると、現在は社会の軸は「最適化社会」にあり、それは技術の軸の「生体制御技術」や科学の軸の「バイオネティックス」などによりもたらされている。最適化社会の後には精神的な豊かさを求める価値観が高まり、個人と社会、人と機械が自律的に調和する「自律社会」が到来するとしている。そこでは知性や感性など人間にかかわる科学や技術の発展が期待され、精神生体技術などの発展が進むと予想されている。

 SINIC理論は人間と機械の関係の変化についても言及している。人間と機械の役割が明確に「分離」されている状態から、人間と機械が「連結」して協働する状態、さらに両者が「融和」して機械が人間の能力を拡張する状態に進化する。それにより機械に求められる機能も変化することになり、その変化を先取りして技術開発に反映することが、機械の評価を高めるうえで必要になる。それが、SINIC理論が技術経営の羅針盤と位置付けられるゆえんだ。

(提供:オムロン)