京都・古門前通の古美術、骨董の店「てっさい堂」の応接室。陰影を生かした空間で語られる談義は、さらに熱量を増し、広がりを見せ、やがてものづくりの本質へと収束していきます。

 デザインテーマ「魂動(こどう)」を打ち出し、広島の自動車メーカー、マツダの改革をデザインで牽引してきた人物、前田育男と、その中学・高校時代の同級生、仲森智博(日経BP総研フェロー)が、てっさい堂の貴道(きどう)俊行さんとお母様の裕子さんと語り合う「相克のイデア」京都編、いよいよ後半の始まりです!

(撮影:栗原克己)

―― 前田にとって、大学時代を過ごした京都は「第二の故郷」だよね。今回、てっさい堂さんにおじゃましてみて、改めて京都に関して感じたことってある?

前田 来る前にも話したけれど、古美術には明るくないので「どうなるかな」と思ってもいたんだ(笑)。でも、この空間で作品を拝見しながら時間を過ごしていると、何とも言えない心地良さを感じる。ものに対する「目」や「姿勢」がきちんとできているからこそ、安心して身を委ねられる。こういったところが「京都の底力」なんだろうね。

―― 歴史的にみて、日本中からいいものが集まってきたのが京都。だからなのか、ここの人たちの「吟味する」センスは群を抜いていると思う。このルイス・ポールセン注1)の照明だって、日本のものじゃないし近代のものだけど、日本の古いものと違和感なく共存しつつ、響き合って何ともいえない空気をつくっているよね。あらゆる文化や要素をきちんとかみ砕いて組み合わせていくところが、てっさい堂さんに代表される「京都」のすごさだと思いますね。

注1)1874年に創業したデンマークの照明器具メーカー。長年にわたり多くのデザイナーとコラボレーションしており、「名作」と呼ばれる製品を数多く市場に送り出している

貴道裕子 いえいえ、それぞれの作品が好きなだけのことです。

貴道裕子氏
(撮影:栗原克己)

貴道俊行 そういったお話をしていただいて感じるのは、最近、世の中全体が悪い意味で「京都化」してしまっているということなんです。例えば「みそ」って土地ごとの味があるでしょ。そういった地域や集団の個性や独自性がどんどんなくなって、どこも似たような寄せ集めの文化になってしまっている。

貴道裕子 京都のおみそ汁って、九州や四国からは、かつお節。瀬戸内からは、いりこ。北海道から福井を経由して、美味しい昆布も。みそも各地からやってくる。昔から選択肢がたくさんあるんです(笑)

―― たくさんの選択肢があってもそれだけではダメ、選ぶ側に見識や筋の通った美意識がないと「文化」にはならないということですね。

貴道俊行 ただ物質的な豊かさから「選球眼」が問われる時代、「これに関しては我々が一番」という「十八番」を持っている人や企業に注目が集まるのではないでしょうか。目立てばいいということでもないでしょう。そんなことを考えていて思い浮かんだのが「映(は)える」という言葉なんです。

貴道俊行氏
(撮影:栗原克己)

前田 とても興味深い言葉ですね。

貴道俊行 はい。とても素敵な言葉です。ただ、文字に起こせば、昨今「インスタ映え」の「映(ば)える(=たくさんある中で目立つ)」と混同されるかもしれないというのは、皮肉な話ですが(笑)。最近、意識して街を見ていると、この言葉を地で行くようなデザインがあふれているように感じるんです。クルマのテールランプひとつ取っても「映(ば)え」ることだけを考えているような、派手で露悪的なものが目立つ。

「映(は)える」に話を戻します。例えば、かつてのメルセデス・ベンツのテールランプのカバーは凸凹になっていましたが、それは跳ねた泥が付いた時にも後続車の視認性を保つためのデザインだった、という話を聞いたことがあります。そういった周りのことも考えた結果、生まれるものじゃないかと思うんです。

前田 おっしゃる通り。

貴道俊行 そして、街の雰囲気も壊さず、周りの景色にも「映(は)える」デザインがもっと増えたら、さらに言えば、日本人の良い気質や、日本の風土、情緒すら組み込んで作ってもらえないだろうか、と思ったりするんです。派手で露悪的なデザインの横行には「大人しくしていたら、周りに置いて行かれる」みたいな強迫観念があるのかな。

前田育男氏 マツダ 常務執行役員 デザイン・ブランドスタイル担当
(撮影:栗原克己)

前田 最近、いろいろな業界や政府関係の方々と日本のプロダクトデザインについてディスカッションする機会があるのですが、そういった場で痛切に感じることが、日本のプロダクトデザインは「本質」に向かっていないのではないか、ということです。例えば大震災の時でも、礼儀と規律を忘れないような日本人のあり方は、海外で高く評価されていますよね。この「奥ゆかしさ」を、我々デザイナーは生かさないといけないと思うのです。でも、おっしゃる通り、このごろの日本のプロダクトデザインは世界一と言っていいほど「自己主張」の強いものになっている。貴道さんから、京都の町並みにはまるで調和していないと言われそうな、「浅い」ものが増えているように感じます。

貴道俊行 「自己顕示欲」とか「承認欲求」って、京都の人が一番慎まなあかんと思う事と違うのかなと思うんです。そんなん京都に似合いません。僕、先代デミオ(2007年から14年に販売された通称 「3代目」。前田氏がデザインを手掛けた)のデザイン、大好きなんです。本当にきれいで。出た時、拍手喝采しました。

前田 ありがとうございます。

貴道俊行 今の話そのままですけれど、とっても「自然体で」好感度高いです。そして容姿も、リアのホイールアーチがシュッとして後ろ姿がきれい。楚々とした女性をイメージさせます。祇園の舞妓さんは、着物がはだけないよう独特の足運びで歩いてはるのですが、あの姿を連想させるようなデザインです。

前田 そんな、雅(みやび)な例えで褒めていただいたのは初めてです(笑)。

貴道俊行 やっぱり、今のマツダ車を言い表す言葉は「映(は)える」。「映(ば)え」ではなくて、周りを活かして環境に同化する「映(は)える」クルマやないでしょうか。

前田 うれしいですね。環境を映しこむことで成立するのが魂動デザインですから。

(撮影:栗原克己)

貴道俊行 和食もそうですけど、スパイスが、メインの食材を差し置いて出しゃばる事ってないですよね。

前田 そうですよね。

貴道俊行 でっしゃろ。今のマツダ車にもそんな感じがありません? スパイスじゃなくて「だし汁」。

前田 いや、まさに。目指しているのはそこなんです。

貴道俊行 ひょっとしたらと思って、こんな掛物も用意してみました。長沢芦雪注2)による「するめ、いりこ、かつお節」の図です。いりこ、かつお節のみならず、この画が描かれた江戸時代「するめ」からも、だしを取ったそうで、 この画に描かれているのは、ずばり「だし」です。

(撮影:栗原克己)

注2)長澤蘆雪(ながさわ・ろせつ)。宝暦4年(1754年)~寛政11年(1799年)6月8日。江戸時代に活躍した絵師。長沢芦雪などとも表記される。大胆な構図、ウィットに富んだ画風で知られる。

前田 いや恐れ入りました(笑)。僕はもう何も話さなくていいくらい、我々が目指していることを代弁していただいています。確かに、貴道さんの言う「だし」を取ることに、すごく時間と手間をかけています。

―― 前田にとって、あるいはマツダにとっての「だし」って何なの?

前田 素材選びから作り方に至るまでいろいろあるんだけれど、一言で言えば「ブランド力」につながる基礎の部分。例えば、クルマってプロポーション、つまり骨格が綺麗じゃないと、その後いくらどんなことをやっても美しくはならないもの。その「骨格」って、実は企業のものづくりの考え方そのものを表していると僕は思う。

貴道俊行 もう一つ、お見せしたいものがあるんです。魯山人注3)の茶碗。これでちょっとお茶を飲んでみていただけますか。

注3)北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)。明治16年(1883年)3月23日~昭和34年(1959年)12月21日。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。篆刻、絵画、陶芸、書道、漆芸、料理など多彩な分野で活躍し、多くの優れた作品を残している。

前田 ああ、これが魯山人ですか。器が手にすっとなじむ感じがしますね。

貴道俊行 実はこれ、出来栄え云々とは、違う作品なんです。この茶碗をしっかり芯まで温めて、たっぷりの熱い熱い番茶をすするように飲む器なんです。中身が熱くても、器は持てるよう、わざと鈍重に作られているんです。実際、この器を使って、 熱い美味しいお茶を飲まなければ、魯山人の真意には触れる事は出来ません。 魯山人は、こんな「謎かけ」のような「遊び」をされるんです。

(撮影:栗原克己)

―― 魯山人は、古典や古美術を実によく研究した人だけど、そのコピーを作って古いものに迫るんじゃなくて、そしゃくしてエッセンスだけを自分の表現に練り込むような、超人的なことができた人だよね。

前田 なるほどね。確か、作陶自体は職人にやってもらっていたんだよね。

―― そう。魯山人は陶芸家とも呼ばれるけど、実態はアートディレクターだと思う。作品にもよるけど、自らはほとんど手を下していないものもあるんだ。でも、ほとんど職人が作って、彼がちょっと手を加えただけの作品でも、もうそれは魯山人そのもの。離れて見ても「魯山人の作だ」ってすぐ分かるんだよね。あれはすごい。

貴道裕子 パッと見ただけで、誰がお作りになったのか分かる方が、どこの世界にも、決して多くはないですが、いらっしゃいますものね。

前田 我々も、車種ごとにチーフデザイナーが責任を持ってデザインをやっているのですが、「マツダ」というブランドを確立していくためには、彼らの「個性」によるブレを適切な範囲に収まるように最後に目配りをする存在が不可欠なんです。才能に関しては脇に置いておきますが、仲森の言うところのアートディレクターとして、マツダというブランドのアイデンティティを方向付けていくことが、僕が担うべき役割だと捉えています。

貴道俊行 そうやって作り出されたクルマが街を走っていて、詳しくない人にまで、ちらりと見ただけで「あ、あのメーカーのクルマだ、すてきだよね」と言われるようになったら、後世に残るブランドを確立したことになるんでしょうね。

前田 そうなるために精進します。今日はいいものに触れられた上に、いいお話が聞けました。ありがとうございます。

いくつもの示唆に満ちたキーワードが飛び出しながら繰り広げられた「本物」についての議論。次回からは、デザイン界の「知」を代表する人物を訪ねての鼎談が始まります。ご期待ください。

(撮影:栗原克己)

(文:常緑編集室 服部夏生)

前田育男 マツダ 常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当
1959年生まれ。修道中学・高等学校、京都工芸繊維大学卒業。1982年にマツダに入社。横浜デザインスタジオ、北米デザインスタジオで先行デザイン開発、FORDデトロイトスタジオ駐在を経て、本社デザインスタジオで量産デザイン開発に従事。2009年にデザイン本部長に就任。デザインコンセプト「魂動」を軸に、商品開発、展示会や販売店舗のデザインなど総合的に推進するプロジェクトをけん引した。2016年より現職。

仲森智博 日経BP総研 フェロー
1959年生まれ。修道中学・高等学校、早稲田大学理工学部卒業。1984年沖電気工業入社、基盤技術研究所にて結晶成長の研究などに従事。1989年日経BP社入社、日経メカニカル(現日経ものづくり)編集長、日経ビズテック編集長、日経BP未来研究所長などを経て2018年から現職。早稲田大学研究院客員教授なども務めた。『思索の副作用』(電子出版)、『自動運転』(共著)など著書多数。日本文化、伝統工芸の分野での仕事も多く、「技のココロ」(連載、共著)、『日本刀-神が宿る武器』(共著)などの書籍、記事がある。