「きつかったら足を崩してもええよ」
「いや大丈夫。この空間にいると、不思議と心が落ち着くね」

 ここは京都、東山区にある「真葛 宮川香齋(まくず みやがわこうさい)」。その母屋の一角にある茶室に座して、歴代の真葛焼の名作で抹茶をいただくひとときが始まった…。

 約330年の歴史を持つ「京焼」の窯元としての伝統を受け継ぐ、当代宮川香齋と、その嗣子、宮川真一。若かりし頃から茶道や伝統工芸にひとかたならぬ愛情を注いできたコーディネーターの仲森とは、旧知の間柄でもある。今回はそんな宮川父子を訪ね「日本らしさ」や「日本の美意識」について議論を交わすこととなった。 

 デザインテーマ「魂動(こどう)」を打ち出し、広島の自動車メーカー、マツダの改革をデザインで牽引してきた人物、前田育男と、その中学・高校時代の同級生、仲森智博(日経BP総研フェロー)が、伝統工芸の継承者たちと語り合う。「相克のイデア」第10幕、いざ開演!

(撮影:栗原克己)

前田 先ほどのお茶室でのひとときは、素晴らしいものでした。歴代の名作を拝見させていただくという貴重な体験もさせていただきましたし。

宮川真一 ありがとうございます。先ほど見ていただいたものもそうですが、名作とされる焼き物には、どれも作り手の息遣いが伝わってくるような、一種の「ライブ感」があるように感じられませんでしたか。

宮川長造作 信楽土 ワラ灰釉青楓に新月の絵 茶碗
(撮影:栗原克己)

前田 そうですね。年月を超えて、リアルに伝わってくるものがあるように感じます。実を言うと、私自身が海外でも評価していただけるクルマを作ろうと模索していることもあって、明治のころ欧米で高く評価された「横浜真葛」注1)の作品には以前から興味があったんです。初代宮川香山による「蟹」をモチーフにした有名な作品がありますが、どれも実に精巧にできていて、その技巧を前面に出して強烈な印象を与える作品が多いですよね。ですが今、お茶室で拝見した真葛焼の名品は、これまでの印象とはまるで違うものでした。お茶室に合うというか、「奥ゆかしさ」を感じさせる作風というか。

注1)宮川家、真葛焼は祐閑宮川小兵衛政一(こへいまさかず)が、貞享年間(1684~1687)に京都・知恩院門前に居を構え、陶料を商いとしたことに始まる。その後、治兵衛と長兵衛兄弟に分かれ、長兵衛家の長造が東山真葛ヶ原(現円山公園)に窯を開き「真葛焼」が始まった。治兵衛の家系は、今回の六代香齋・真一親子に連なる「京都真葛」と呼ばれ、茶道などの伝統にのっとった作風で、名作・佳作を数多く手がけてきた。一方、長兵衛の家系は、江戸期を代表する名工、長造(治兵衛家の二代香齋らの指導もした)の四男、初代香山の時代に横浜へと移住を果たし「横浜真葛」を始める。横浜真葛は高浮彫と呼ばれる技巧的な作品を多く制作。明治9年(1876)のフィラデルフィア万博を皮切りに、明治後半まで海外の万博で数多くの賞を受賞するが、第二次世界大戦時、空襲により被災、四代香山が復興を志すも死去、その歴史も終焉を迎える。

宮川真一 ある時期の横浜真葛の作品は、今風にいえば「インスタ映え」しそうな、非常にインパクトのあるものです。その強烈さゆえに、その作風イコール真葛焼の作風だと思われている方が多いかもしれません。けれども、真葛の330年の歴史で、例の蟹でも使っている「高浮彫」の技法を使って仕事をしていたのは、わずか15年くらいでしょうか。

初代宮川香山作 真葛窯変釉蟹彫刻壷花活 (吉兆庵美術館所蔵)
(画像提供:吉兆庵美術館)

前田 そうなんですか?

―― ちょっと長くなるけど説明するね。真葛焼のルーツは京都で、初代は宮川長造という人。幕末に活躍した京焼屈指の名工で、作風は前田が言うように「奥ゆかしい」もの。その二代目が長造の子の長平で同じ作風、その弟が三代目を継いた初代香山といわれる人なんだけど、この人が当代のときに京都から横浜に窯を移すんだ。なぜ横浜かっていうと、輸出に便利だから。このとき、国内需要だけだった真葛窯は、海外向けに大きく舵を切ることになったんだ。

前田 それはすごい方針転換だね。よく決心できたなぁ。

―― 作家個人の判断というより、当時の政府が強力にバックアップして、ということだったと思うよ。明治初期の日本は、海外からいろいろなものを買わなきゃならなかった。だけど、外貨を稼ぐ手段はそれほどない。そこで政府が目をつけたのが、陶磁器や漆器、金工などの工芸品。欧米の万国博覧会に工芸品を出品し、輸出振興と作家育成のために様々な手を打って、これを有力な輸出産業に育て上げたんだ。その結果、欧米では日本の美術工芸品が大人気になり、極端にいえば「工芸品を売った外貨で戦艦三笠を買う」みたいなことができるようになった。つまり当時の工芸作家たちは、今でいえば前田のように、国力に直結する重要な産業の担い手だったんだね。その結果として、江戸期を通じて磨き上げた技を存分に使いながら、いかにも外国人受けしそうな作品が多く生まれた。今、「超絶技巧」と呼ばれて日本でも人気になっている作品の大部分は、こうした状況下で作り出されたものなんだ。

宮川真一 初代香山は、陶磁器ではその代表格だった方です。その香山がすごいと思うのは、高浮彫で世界的な評価を受けた後も作風を変え続けたことですね。晩年には中国清朝陶磁の写しを制作するなどして作品の幅を広げています。さらに挙げれば、文化的なバックボーンがしっかりしていることでしょうか。「蟹」をモチーフにしているのも理由があって、当時人気があった「煎茶道」の思想が背景にあるんです。煎茶道の根底には精神の自由を尊ぶ考え方があり、人と違うことをするということをポジティブに捉える気風がある。その象徴が蟹なんですね。蟹は前には進まず横に歩く。「天下を横に行く」ということで。

真葛 六代宮川香齋氏(奥)
宮川真一氏(手前)
(撮影:栗原克己)

―― もちろん、当時の輸出用陶磁器がすべて初代香山レベルだったわけじゃないよ。それはもう、量産品で目を覆いたくなるものもたくさんできた。壺に金や赤の派手な色づかいでフジヤマ・ゲイシャの図柄とか(笑)。

前田 その頃から外国人向けはフジヤマ・ゲイシャなんだ(笑)。そういったことも含めて歴史的背景を知って見ると、初代香山、そして真葛焼の伝統的な厚みをより深く味わえる気がするね。

宮川香齋 長い歴史をたどれば、それぞれの時代の流行というのがありますね。作風の変遷は流行の変遷そのものと言えるでしょう。香山がああいった手の込んだものを手がけたのは、その時代の流行に合わせていったということやないかなと思いますね。

―― 香齋先生が最近手がけられた飾り大皿も、かなり手の込んだ作品ですね。

宮川香齋 これは、葛飾北斎の浮世絵、富嶽三十六景の中の「神奈川沖浪裏」を題材にしてみたものです。昨今増えてきた海外の方からのご要望にもお応えしていこうと考えて作ってみました。

前田 分かります。仰る通り、海外ですごく人気が出そうですね。

宮川香齋 ありがとうございます。

六代宮川香齋作 染付交趾 飾大皿 葛飾北斎 富岳三十六景 神奈川沖浪裏
(撮影:栗原克己)

宮川真一 交趾(こうち)と染付という技術を用いた作品です。先ほどお話しした香山の作品じゃないですけれど、SNSにこの写真をアップすると、とても反応がいいですね。最近は、日本人でも海外の方に近い感性を持っているような方も多いですし。

前田 よく分かります。

宮川真一 もちろん、褒めていただけることはうれしいですよ、ただちょっと悩ましくもあるんです。この仕事が、本当に自分がやりたいことなのか、とか。

前田 この作品に込められた悩み、分かるなあ。

宮川真一 分かっていただけますか(笑)。

―― 茶道や伝統工芸に小さい頃から接してきて、日本文化の深いところまで知っている人とそうではない人とでは、求めるものが違うのは当たり前。だから、「やりたいこと」と「やるべきこと」はいつも同じじゃない。グローバルにやろうとすればなおさら。分野は違っても、仕事をしている人ならほとんどの人が感じることじゃないですか。

 

前田 すごく分かる。オレだって、それで心が折れそうになることあるもん。

―― 前田でもそうなんだ。安心した(笑)

前田 マツダは輸出の割合が大きいから。仕事にもよるけど、自分が好きか嫌いかより、海外の顧客に受け入れられるかどうかの方がはるかに重要ということは当然ある。

―― そんな「立派な社会人」みたいなこと言いつつ、やりたいことはキッチリやっている気はするけど。「引き算のデザイン」とか。

前田 日本の伝統工芸と少し違うなと思うのは、そもそもクルマは欧州発祥のもので、欧州の「クルマ好き」は、クルマのことをすごくよく分かっているということ。例えば、クルマのデザインで、タイヤの位置などの「基本」が確固たるものかを一瞬で見抜くんだ。そんな彼らに評価してもらえるようにするには、クルマづくりの基礎を彼らのレベルに持ち上げることが必要。そのうえで「日本らしさ」をどう感じさせられるか。そうであれば、あれもこれもと「足していく」デザインでは本質がぼやけてしまい、逆効果でしかなくなる。だから「引き算」なんだ。僕は、極限まで引いていくことで現れる本質的な「何か」を見つけ出したい。具体的には、車のフォルムを「光」で表現したいんです。一瞬の光のリフレクションで、思わずドキッとさせる強さや激しさが現れる。そんな内に秘めた「美」は、日本独自のものではないかな、と思っているんです。

(画像提供:マツダ)

宮川真一 日本文化の「奥ゆかしさ」をクルマで表現されようとしているんですね。

前田 はい。日本の「美」を元々欧州で生まれたクルマに宿らせることが僕の仕事だと思っているんです。根底には、この100年で日本の自動車産業が打ち出せた「日本らしさ」とは、実は「安くて壊れないこと」しかなかったのでは、という思いがあります。もちろん日本車が世界中で走っている現状を作り出した先人たちには、深い敬意を払っています。ただ、日本らしい「様式」や「美しさ」は打ち出すことができなかった。そこが工芸品と圧倒的に違うところでしょうし、カーデザイナーの一人として責任を感じています。

 かつての日本車の「安くて壊れない」が、新興国の自動車メーカーの特徴になりつつある今、国が力を入れているのが「自動運転」と「カーシェアリング」です。でも、車が自動で走る共有物になってしまえば、クルマ離れはますます進んでしまうし、「日本らしさ」も打ち出しにくくなってしまう。僕は、デザインを通して「乗る楽しさ」や「所有する喜び」を追求していきたいと思っているのです。

―― 前田とは、クルマのコモディティ化が進む中で、マツダが目指すのは、持つ喜びを感じさせてくれる「機械式腕時計」ではないか、という話をしたことがあるんですよ。

前田育男氏 マツダ 常務執行役員
デザイン・ブランドスタイル担当
(撮影:栗原克己)

宮川真一 お茶の世界でいうと、ペットボトルのお茶って、買ってすぐに飲めて便利だから、皆に受け入れられて普及していると思うんです。ただ、どれだけペットボトルが広まっても、急須で淹れたお茶を飲む人って、一定数は残る。私たちは、そちらの方々に向けて「手仕事」を続けていかなあかん、と思っているんです。

―― まさに同じ方角ですね(笑)。話を戻すけど、海外の方たちと私たちの間にある「日本らしさ」の捉え方のギャップをいかに埋めるかは、海外市場を真剣に見据えた場合、避けては通れない問題だよね。

宮川真一 確かに本質的な日本の美や精神性って伝わりにくいと、海外に行くたびに実感します。ですが、海外の方々は、それらにとても興味を持ってくださるのも事実です。

前田 少し前に興味深い体験をしました。マツダには、欧米にもデザインスタジオがあるのですが、現地スタッフたちに我々の「引き算の美学」を理解してもらうための研修会を開いたんです。でも、普通にやっても、微妙な空気感まではとてもじゃないけれど伝わらない(笑)。そこで一計を案じて、彼らと一緒に「マツダ独自のフォント」を作ってみることにしました。日本に呼んで合宿をしながら、漢字やひらがなの「とめ」や「はらい」「はね」を一つひとつ確認して、その勢いやカーブのあり方を吟味していく。文字って深くて、そういった作業をやっていくと、日本の美意識のようなものが自然に浮かび上がってくるんですね。皆、とても興味を持って取り組んでくれましたし「引き算の美学」についてもかなり理解を深めてくれたと感じています。

―― それは面白い。ちなみに「マツダらしい」フォントって具体的にどんな感じ?

前田 クルマってタイヤが四隅にある乗り物だから「不安定さ」は絶対にNG。だから下が細くなるフォルムの文字などには、安定感を出すためのアレンジを施したんだ。そうやって全体のフォルムで自動車メーカーたる「マツダ」らしさを出したうえで、曲線や線の強弱で「日本らしさ」を出していったんだ。

宮川真一 「日本らしさ」を伝えるためのアプローチとして、とても参考になります。実は、私どものように工芸品を作っていると、海外の方に「ハンドメイド」って言っても伝わらないことが多いんですよ。真葛焼が、一つずつ、ろくろでひいて、手で描いていると言っても「どこかで機械を使っているんでしょ」なんてことを言われたりもしますし(笑)。

(撮影:栗原克己)

―― 欧米では高級食器ブランドでも機械化が進んでいるし、手で絵付けをするなんてところはごくわずか。日本のような手仕事はほとんど残っていないですもんね。

前田 そういうお話を伺って感じるのは「手作り」そのものというより、手仕事のスキルを持った「人間」に価値があるということです。国を挙げて、ほかにない技を持つ匠たちにしっかりと対価を払うようにしていかないと、伝統的な工芸が下火になってしまうのではという危機を感じています。

―― マツダは「匠モデラー」とか、高い技能を持つ人たちを評価するシステムを作って、作り手たちのモチベーションを大きく上げたんだよね。

前田 そう。天才的な感覚を持つモデラーや、高い技能を持つ職人といったタイプの社員たちの職位を一気に部長クラスに上げたんですよ。

宮川真一 若い人たちにもいい影響を与えそうですね。

前田 ええ。若い連中が彼らの背中を見るようになりました。いい仕事をすれば認めてもらえる。そのお手本が目の前にいれば、やる気も出ますよね。

宮川香齋 私の若い頃は、数を作ることで腕が決まっていったのですが、そうして自分たちが手がけたものを買っていただけることが何よりも励みになりました。今は、当時ほどには数が出ませんが、そういった体験を若い子たちにもしてもらえたらと思います。

―― なるほど。悩みもあろうけど、葛飾北斎の飾り大皿も多くの人に買っていただけるよう真剣に取り組まなきゃならないということですね(笑)。そうらしいよ、真一さん

宮川真一 はい、がんばります(笑)

海外に向けて伝えたい「日本らしさ」から、若手育成まで幅広い話題で進む「ものづくり論」。ますます議論が深まっていく後半にもどうぞご期待ください。

(撮影:栗原克己)

(文:常緑編集室 服部夏生)

前田育男 マツダ 常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当

1959年生まれ。修道中学・高等学校、京都工芸繊維大学卒業。1982年にマツダに入社。横浜デザインスタジオ、北米デザインスタジオで先行デザイン開発、FORDデトロイトスタジオ駐在を経て、本社デザインスタジオで量産デザイン開発に従事。2009年にデザイン本部長に就任。デザインコンセプト「魂動」を軸に、商品開発、展示会や販売店舗のデザインなど総合的に推進するプロジェクトをけん引した。2016年より現職。

仲森智博 日経BP総研 フェロー
1959年生まれ。修道中学・高等学校、早稲田大学理工学部卒業。1984年沖電気工業入社、基盤技術研究所にて結晶成長の研究などに従事。1989年日経BP社入社、日経メカニカル(現日経ものづくり)編集長、日経ビズテック編集長、日経BP未来研究所長などを経て2018年から現職。早稲田大学研究院客員教授なども務めた。『思索の副作用』(電子出版)、『自動運転』(共著)など著書多数。日本文化、伝統工芸の分野での仕事も多く、「技のココロ」(連載、共著)、『日本刀-神が宿る武器』(共著)などの書籍、記事がある。