「今日はどんな話するの?」

 「連載の取材が始まってから、ちょうど1年。いろいろなところで、いろいろな話をしたけど、ここで一度振り返ってみない」。

 ここは、マツダ広島本社の一角。デザインセンターのメンバーが手がけた、「ご神体」と呼ばれる「デザインの素」が並ぶミステリアスなスペースで対談が始まった…。

 デザインテーマ「魂動(こどう)」を打ち出し、近年のマツダの快進撃をデザインで引っ張ってきた人物、前田育男。その革新者が、ものづくりやデザインの第一線で活躍する人々と交わしてきた数々のデザイン論。これまでの出会いを振り返りながら、中学・高校時代の同級生、仲森智博(日経BP総研フェロー)との間で、「相克」を巡る議論が熱く交わされました。

(撮影:栗原克己)

―― まずは「相克のイデア」というタイトルにふさわしい質問から。前田はこの連載で「純粋にクルマの美しさを追求した1台を作りたい」と何度も言っていた。それは前田個人としての強い思いだと思うけど、でも同時に、企業人として「やるべきこと」と、個人として「やりたいこと」は必ずしも一致しないということもよくよく分かっているわけだよね。で、そこの折り合いは、どうやってつけていこうと思っているの?

前田 悩ましいよね。美しいだけではなく、ビジネス的にも整合性が取れているクルマを作ることが理想なんだけれど、それが簡単にできるほど人間は器用な生き物ではない(笑)。

 だから、今回の連載を通じて様々なお話を聞いたなかで、京都でお会いした真葛窯の宮川香齋さん真一さん父子の「本音の吐露」は、ひときわ心に染みた。海外からの要望に応える形で作った作品(六代宮川香齋作 染付交趾 飾大皿 葛飾北斎 富岳三十六景 神奈川沖浪裏)を見せていただいた時に、「これが、本当に自分たちがやりたいことなのか」って打ち明けられたよね。あれにはグッときた。

(撮影:栗原克己)

―― 「それ、分かる!」って叫んでいたもんね。魂の叫びみたいな感じで(笑)。

前田 アーティストとして自分が美しいと思うものを純粋に追求した作品が、海外で高い評価を受けて、ビジネスがよい方向に回る。それは確かに理想だけど、実際のところ、いきなりそうなるケースは稀(まれ)だと思う。「すごい」と言われるような作品の美しさは、必ず伝わる、海外の方にも絶対に分かってもらえると信じている。だけど、いきなり高い評価を受けられるとは限らない。それこそ認められるまで、市場と折り合いをつけながら作品を作り続けることになるわけだけど、どのように折り合いをつけるかは非常に難しい問題だね。市場を意識しすぎると当初の志と違う方向で評価を受けてしまうかもしれない。一度、違う形で評価を受けると、それを変えることは難しい。

―― 前田は、世界を相手にマツダのブランド・イメージを変えようとしているわけだけど、すでに日本のクルマっていうと、そこそこの価格帯で、出来がよくて、長持ちするっていう評価が海外では定着しているよね。しかも、すべての日本メーカーのイメージがそう。これはこれで、すごいことだとは思うんだけど、ちょっと寂しかったりもする。1台何千万円もするようなクルマを作るメーカーが日本に1つくらいは出てきてほしいなぁと個人的には思うわけ。6月に訪問した武蔵野美術大学 学長の長澤忠徳さんも「マツダはプレミアムカーを作るべきだ」って仰っていたけれど、そこの部分を前田に頑張ってほしいわけよ。

長澤忠徳氏 武蔵野美術大学 学長
(撮影:栗原克己)

前田 確かに、プレミアムカーをプロデュースすることが、将来のマツダブランドの「究極の姿」だろうと思う。実際、マツダで何十年とクルマづくりに携わってきたけれど、マツダの社員って誰も彼も「自分たちの理想に限りなく迫ったクルマを出そう」と本気で考えている節があるし(笑)。そんな熱い思いを持った人たちが集まっているんだから、世の中からチャレンジしてみてもいいよと思ってもらえるようなブランドができたら、もうやるしかない。もちろん、そうなったら最大限の仕事をしようと思っている。

―― そういえば、国土交通省が出している『令和元年版 国土交通白書』にマツダの「魂動デザイン」のことが取り上げられたね。

前田 そうなんだよ。

―― すごいじゃん(笑)。ここにあるから読んでみようか。「『マツダデザイン』は、日本の美意識を直接的に表現するのではなく、コンセプトに取り入れ、『控えめでありながら豊かな美しさ』を表現することを追求している」。なんか、前田がいつも言っていることがそのまま書かれている感じ。前田をはじめとしたマツダの方々の取り組みが国に認められたわけだ。おちょくってるんじゃなくて、マジですごいと思うよ。

前田 はいはい、ありがとう(笑)。まじめな話、自分たちが挑戦し続けてきたことが、今後の日本企業のあり方の1つの指針になり得る、と国土交通省に取り上げてもらったわけだから、それはうれしいよ。半面、ますます努力しなければ、という気持ちにもなる。

―― ことデザインに関しては、前田にまかせておけば問題ないって思えるようになった(笑)。ただ、企業全体で舵を切るとか、ポリシーを組織全体に染み込ませるって簡単じゃないし、時間もかかる。一般の人たちにそれを分かってもらうのはもっと難しいし、時間もかかるよね。例えば、今年5月に日本で発売した「MAZDA3」。前田があんまり自慢するものだから、ウチの近所にある販売店に見にいったんだよ。確かに、美しいクルマだと思った。で、その時に説明してくれた販売店の人に「このクルマのセールスポイントは何ですか」って聞いたら、「安全性能です」って言うわけ。前田が狙ってるところとは、ちょっと違うよね。

前田 そうかぁ、もちろん安全性能には自信があるけど、うーん、そうかぁ。

―― ついでにもう1つ。ちょっとアレはないわって話。先日、都内にすごくカッコいいマツダの販売店ができたよね。そのオープン披露の記者発表会に参加したわけだけど、そのプレゼンテーションで、これからの重要テーマみたいな話があったわけ。その筆頭に出てきたのが「営業力強化」。周囲はどう思ったか知らないけど、オレはコケた。前田の思いを知っているからね。だってそうでしょ、例えばルイ・ヴィトンが銀座に旗艦店をオープンするなんていう記者発表会があったとして、「この店でやりたいことは営業力強化」なんて言われたらコケるよね?

前田 今のマツダブランドの立ち位置からすると、「営業力強化」を重要テーマとするのは当然だと思う。ブランドの「様式」を確立するまでにはすごく時間がかかる。まだまだやるべきことがたくさんあるということだね。僕がデザイン部門のリーダーを任せられるようになって10年になるけれど、最初の3、4年は、クルマのデザインのレベルを上げることで精一杯だった。「ブランド」に目を向けるようになったのは、それが軌道に乗り始めた頃から。それから、デザインとブランドスタイルを統括する組織を作り、デザイナーがブランディングに踏み込むようになった。この頃から販売店のデザインにも関わってきた。やれることはやってきたつもりだけど、まだまだ。結局、最後は人なんだよね。マツダのクルマにかかわるすべての人に、ブランドの様式っていうのが染み込んでいかないと、企業の本当のブランドにはならない。それを成し遂げるには、相当の努力と時間が必要だと思う。

前田育男氏 マツダ 常務執行役員 デザイン・ブランドスタイル担当
(撮影:栗原克己)

―― 個人的に、ブランドに関して気になることがあるんだよ。

前田 聞かせてほしいな。

―― どうも日本の企業は、そうやって積み上げる長い時間、簡単にいえば伝統とか歴史とかを軽視しすぎなんじゃないかと思うんだ。たとえば、新たなブランドを立ち上げる時って、既存ブランドの上に作るでしょ? 「角(かく)」の上に「オールド」、その上に「リザーブ」みたいに。日本の場合、高度経済成長期を経て、国民の生活水準が上がることで「もっと高級なもの」への需要が急拡大したという事情があるから、なんとなくそうやってしまうクセがついてしまったのかもしれない。でも、落ち着いて見返してみると、結果として一番上位にあるブランドの歴史が一番浅いという構造になってしまう。

前田 そうだよね。

―― ヨーロッパの企業のやり方とかを調べてみると、その逆というケースが多いんだ。新たにブランドを立ち上げる時は、メーンのブランドの下に作る。ディフュージョンライン(普及版)というやつだね。こうすると、一番上位にあるブランドが、もっとも歴史があるブランドということになる。

前田 仲森が言っているような「上に、上に」のブランド展開は、我々も過去にやっているからね注1)。あの時は、いくつものブランドを作ることで、逆にブランドの価値を下げてしまった。我々は、その苦い時代を経験しているからこそ、ブランドそのものの価値を上げていくしか、生き残る道がないことを、身に染みて分かっているつもり。

注1)1989年からマツダの他にアンフィニ、ユーノスをはじめとする5系列の販売店を展開し、これがブランドのイメージに混乱を招いた。さらにバブル経済の崩壊もあって、販売台数が低下。96年に提携関係にあったフォードの傘下に入ることとなった。

―― そういえば最近、中古車市場では「マツダのクルマは値段が下がらない」って聞いた。そうやって前田たちが、失敗をきちんと分析したうえで努力してきた結果、ブランドの価値が着実に上がってきたということなのかな。

前田 そうだとしたら、素直にうれしいな。かつては「マツダ地獄注2)」なんて言われ方もしたけれど、乗ってくださっている方々の見方が、少しは変わったのかもしれない。

注2)かつてマツダ車は、下取り、買い取り額が他メーカーの車に比べ安かった。その結果、比較的高く買い取ってもらえるマツダディーラーに下取りしてもらい、値引き額の大きなマツダの新車を購入する、という連鎖になりがちだった。その状態を指した言葉。

―― じゃあここらで、エンブレム、変えたら? 

前田 それ、前にも言ってたよな(笑)。

―― うん、言った(笑)。くどいかもしれないど、もうMAZDAの「M」をモチーフにしなくてもいいんじゃない。100年の歴史がある会社なんだから、それが感じられるエンブレムにするのがいいと思うんだけど。

前田 仲森の提案は、分かるよ。でも、もし変えるとしても、今ある「M」をモチーフにしたエンブレムをベースにするだろうね。ちなみに、仲森が、いいと思うエンブレムは?

―― いろいろあるけど、たとえばアルファロメオとか。赤十字と大蛇をあしらったデザインは、1910年から変わっていない。歴史を感じさせるよね。

(画像提供: Fiat Chrysler Automobiles N.V.)

前田 まさに、彼らの「変えない」というスタンスは、見習うべきところだと思ってるんだ。そう思うと、例えば気に入らないからと我々がここで全く違うエンブレムにしてしまったら、また「ゼロ」から歴史を積んでいかなければならない。そうなると、ブランドの価値も低くなる。かつての苦い経験を無駄にしないためにも、エンブレムの基本デザインは変えられない。

―― なるほど。変えない勇気も大事ということか。分かった。話してくれてありがとう(笑)。ところで、この連載の取材では、いろいろな方にお会いしたよね。最初にお会いしたのは、刀匠の髙見國一(たかみくにいち)さん

前田 日本刀の技術には以前から興味があったんだ。作刀の世界の奥深さに驚かされることばかりだった。大いに刺激を受けたね。

(撮影:栗原克己)

―― 次は京都の古美術商てっさい堂の貴道(きどう)俊行さんと、お母様の裕子さん。

前田 仲森みたいに、古美術に明るいわけではないけれど、お二人の審美眼にかなった数々の名品に囲まれた空間にいるだけで、心地よかったな。一流の作品に込められた作者の思いや作品の背景などを丁寧に解説していただき、いい勉強になった。あと俊行さんのクルマ・マニアぶりには心底驚いた。

(撮影:栗原克己)

―― その後が、さっき話に出た武蔵野美術大学 学長の長澤忠徳さん。それから真葛窯の宮川香齋さんと真一さんだったね。皆さんと、いろんなことについて話をしたけど、実は気になる問題が1つ頭に残ってるんだよ。

前田 何?

―― 「60年代を超えられない問題」。60年代のクルマが最高って言うクルマ好きが多いよねって話をした時に、「カーデザイナーとして一番悩ましいのは、あの時代のクルマを超えられないこと」って言い切ったじゃない。あれには感動した。カーデザインの第一線にいる前田が、60年代に負けてるって素直に言えるって、本当に偉いと思った。

前田 なんか、ありがとう(笑)

―― でも、結局のところ60年代のクルマが、今も多くの人を惹きつけているのはなぜなんだろうっていう謎は、まだ解けていないような気がするんだよね。美しさとかだけではない何かが60年代のクルマにはあって、今のクルマには何かが足りない。その何かってなんだろう、みたいな。この問題は、100年クルマを作ってる会社の前田ともう少し追いかけてみたいテーマの1つだよね。

前田 もちろんそう。もっと深く追求してみなければならない課題だね。

(撮影:栗原克己)

 二人が生まれ育った広島で、連載「相克のイデア」を巡る1年を振り返りました。この連載、ここでいったんお休みしてから、第2シーズンを始める予定です。再開までしばらくお待ちください。

(文:常緑編集室 服部夏生)

前田育男 マツダ 常務執行役員デザイン・ブランドスタイル担当

1959年生まれ。修道中学・高等学校、京都工芸繊維大学卒業。1982年にマツダに入社。横浜デザインスタジオ、北米デザインスタジオで先行デザイン開発、FORDデトロイトスタジオ駐在を経て、本社デザインスタジオで量産デザイン開発に従事。2009年にデザイン本部長に就任。デザインコンセプト「魂動」を軸に、商品開発、展示会や販売店舗のデザインなど総合的に推進するプロジェクトをけん引した。2016年より現職。

仲森智博 日経BP総研 フェロー
1959年生まれ。修道中学・高等学校、早稲田大学理工学部卒業。1984年沖電気工業入社、基盤技術研究所にて結晶成長の研究などに従事。1989年日経BP社入社、日経メカニカル(現日経ものづくり)編集長、日経ビズテック編集長、日経BP未来研究所長などを経て2018年から現職。早稲田大学研究院客員教授なども務めた。『思索の副作用』(電子出版)、『自動運転』(共著)など著書多数。日本文化、伝統工芸の分野での仕事も多く、「技のココロ」(連載、共著)、『日本刀-神が宿る武器』(共著)などの書籍、記事がある。