9年かけて便座に展開

 公衆用小便器には組み込めたものの、商品として見れば出荷台数は多くない。「TOTOを代表する技術の1つに育てるには、月間数万台を売る主力商品である洋式便器に搭載する必要がありました」と、現在マイクロ波センサーの開発を束ねる山中らは考え、2008年に便座向けの開発に着手するとともに、マイクロ波センシングのメリットを社内に説いて回った。「お客様視点で従来の技術よりも優れていることを明確にしないと、社内で採用してもらえません。当時は、従来の赤外線センサーで機能的には十分ではないかと考えられていましたし、そもそも小便器では実用化できても便座への内蔵は無理だろうというのがもっぱらの評価でした」(山中氏)。

TOTO エレクトロニクス技術本部 電子機器開発第二部 技術主幹 兼 電子機器研究開発グループリーダー 山中 章己氏
(撮影:関行宏)

 周囲の指摘どおり、開発の難易度は小便器に比べて格段に高かった。公衆トイレの小便器の場合は、センサーで把握するべき人の動きは単純だ。主に、接近、小用、離反が分かればいい。一方の洋式便器の便座では、トイレのドアを外から開ける、トイレに入る、身体の向きを変えてドアを閉める、脱衣する、しゃがむ、用を足す、立ち上がる、着衣する、身体の向きを変えてドアを開ける、トイレから出る、トイレのドアを外から閉める、といった複雑な動作を伴い、それぞれで受信波が変化する。しかも、小さい子供、大柄な成人、動きが遅い老人、身障者も含めて、あらゆる利用者を正しく検知できなければならない。さらにトイレの広さや扉の位置によって人の動きも変わり、マイクロ波の反射も変わる。

 難易度が高いことから、マイクロ波センサーを構成するアンテナモジュール部分の開発は、高周波回路設計に強い社外メーカーに委託することで開発の負荷を削減。TOTOは、センシングの肝となる信号処理ソフトウエアの開発や、センサーを便座に実装する技術に専念することにし、ソフトウエア担当の立木(ついき)や実装担当の安形(やすがた)らをチームに加え開発体制の強化を図った(図4)。

図4 開発したマイクロ波センサー
洋式便器の便座に実装するに当たってさらに小型化を図った。グローバルに使われている24.15GHz帯を採用している。先端部分(写真では右端)のアンテナモジュールのみ専業メーカーに委託。ほかのアンプ基板などはすべて自社開発である。(撮影:関行宏)

 開発で最も苦労したのはやはり人の動きの検知だった。制御プログラムを開発するには、実際に使っている人の動きや姿勢に関する情報と、それに応じてマイクロ波センサーが出力する信号を揃えて、両方を付き合わせながらプログラムを最適化するのが望ましい。だが、トイレの中をのぞいたり撮影したりするわけにはいかない。「試作センサーを評価する際には社員にも協力してもらうのですが、信号だけを使って動きを推測し、その推測を元にプログラムを調整する、といった遠回りのアプローチをとったこともありました」と立木は苦労を振り返る。「おかげで開発の最後の方では、信号波形を見るだけで、トイレ内での人の動きがだいたい分かるようになったほどです」と笑う。

TOTO エレクトロニクス技術本部 電子機器開発第二部 電子機器研究開発第二グループ 立木 翔一氏
(撮影:関行宏)

 予期していなかった問題も次々と浮上した。マイクロ波センサーは感度が高いため、人の動き以外の、たとえば洗浄ノズル内部の水流や気泡までも検知してしまうことも分かり、不要な信号成分を除去するフィルタリング処理を追加しなければならなかった。「男性が小用のために便座を上げた場合を評価して分かったことですが、センサーの取り付け位置によっては、便座内のヒーター線が電波をシールド(遮蔽)してしまう問題も発生しました」と、実装設計を担当した安形氏は説明する。「しかも最近の便座にはモデルによっては20個近いモーターと、それらを制御する電子回路などが内蔵されているため、最適な取り付け位置や取り付け角度を求めるのにとても苦労しました。照射角度によっては人で反射した信号がすべて天井の方向に抜けてしまうからです。搭載スペースをめぐって、他の機構担当者とのせめぎあいも当然ありました」。

TOTO エレクトロニクス技術本部 電子機器開発第二部 電子機器研究開発第三グループ 安形 壮史氏
(撮影:関行宏)

 こうした問題を乗り越えながら、開発着手から9年という異例ともいえる長い期間を経て、創立100周年となる2017年モデルになんとか間に合わせることができ、冒頭のネオレストNXのほか、「ネオレストAH」、「ネオレストRH」、「レストパルF」などのマイクロ波センサー内蔵洋式便器の製品化を果たすことができた。苦労の甲斐があり、同社が開発したマイクロ波センシング技術は、一般社団法人電波産業会から「便座用マイクロ波センサの実用化」として、2018年6月に第29回「電波功績賞」の電波産業会会長賞を受賞している。

新たなアイデアが続々

 長い歴史を持つ白い陶器と、最先端のセンシング技術であるマイクロ波センサーの組み合わせは、一見すると異色である。しかし、その異色の組み合わせが、新たな価値を生み、TOTOのビジネスを進化させた。たとえば小便器では顧客となるビル所有者や設計事務所に対して節水の効果を強くアピールすることができるようになり、商談の機会がぐっと増えた。一台あたりの節水がわずかでも、設置台数の多いビルや商業施設全体では大きなコスト削減につながるからだ。温水洗浄便座一体型便器のフラグシップモデルとなるネオレストNXの人気ぶりは冒頭で述べたとおりだ。斬新な流線形の中に従来と同じようなセンサーの小窓がのぞいていたとすれば、「画竜点睛を欠く」ではないが、デザインの完璧性は損なわれていただろう。

 マイクロ波センシングの技術は、トイレにさらなる進化をもたらす可能性を数多く秘めていて、現在はその一部を形にしたに過ぎないと、山中らは考えている。立木も、「言ってみればまだ赤外線センサーの置き換えでしかないので、マイクロ波でなければできないことをやってみたい」と話す。例えば、センサー信号の変化パターンから家族それぞれを識別し、便座の温度や洗浄強さなどを自動で切り替える、といった機能もソフトウエア次第で実現できると見込む。山中も、「トイレをもっともっと『おもてなし』の空間にしていきたい。そのためにマイクロ波センサーで何ができるかを考えています」と述べている。また、バスルームやキッチンなど、ほかの商材へにもマイクロ波センシング技術を活用し、それぞれの付加価値を高めようというアイデアが次々と社内で挙がっているという。

 近年はマイクロ波センシングを使って、心臓の鼓動(脈拍)などの生体情報を非接触で検知したり、高齢者の見守りサービスに応用したりしようという動きもある。一方で、製品の付加価値や市場競争力の源泉を異分野に求める企業も増えている。TOTOの事例は、こうした取り組みをいち早く形にした好例といえる。同社が開発で得た知見は新しいアプリケーションへと生かされていくだろう。

(撮影:関行宏)