食品製造における安全管理の手法が大きく変わる。2018年6月に食品衛生法が改正された。そして、食品を扱う企業・店舗は、食品安全管理の国際基準であるHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)に、2020年6月までに対応することが義務付けられる。なまじ、働き手一人ひとりの意識やスキルが高いがため、仕事の進め方を厳密かつ客観的に管理するシステムの導入で後手に回るというのは、最近の日本企業のパターン。いかに安全性の確保に向けて努力していたとしても、定められた管理手法が導入できていなければ罰則を科せられることになる。迅速かつ的確な対応が求められる。食品業界に大きな発想の転換を迫る「HACCP対応」の現在を追った。(文:伊藤元昭)

 百年近く続いた老舗のお菓子は、当然、高品質でおいしいに違いないと私たちは考える。ましてや、そのお菓子が安全であることに何の疑いも抱かない。店に掲げられた、その道何十年の職人さんが作っている様子を写した写真などを見て。また、百年間商売ができているブランドに裏打ちされた暗黙の安心感で、こうした老舗のお菓子を喜んで購入している。

 老舗お菓子店に限らず、日本の食品業界の企業の多くは、高品質で安全な食品を求める消費者の期待に応えるべく日々努力している。古い材料や店に一定時間置いた売れ残りは破棄するといった、企業ごと、店ごとの独自の安全基準を設けているところも多い。日本の食品業界に従事する人たちは、海外の食品メーカーや飲食店に比べて、おしなべてまじめで、仕事の意識とスキルは高いと言われる。日本の食の安全は、このような信頼できる人たちによって支えられている。

 ただし、こうした食品の安全に対する信頼は、日本国内だけで通用するものである。世界の一般的観点からは、食品の安全性は、科学的な裏付けが明確に示されていない限り、確保できていないとみなされる。誇れるはずの日本の食品業界、飲食店業界の仕事の進め方が、こと安全性を担保するという観点からは、世界基準に足りていない状況に映っているのだ。

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日本の発想とは異質なHACCP導入の義務化

 だが、こうした状況が、いよいよ変わる。2018年6月に日本の食品安全衛生法が改正された。改正の狙いは、世界基準に則って、食品の安全を守っていくことにある。これから日本の食を世界にもっと広げていくため、来日した観光客に安心感を与え、世界市場に向けて日本の食品を輸出できる素地を整えようということだ。つまり、海外目線での安全性の確保を目指している。

 今回の改正は、大きく6つの点でなされた。1番目は、広域的な食中毒事案への対策強化。2番目はHACCP注)に沿った衛生管理の制度化。3番目は特に注意すべき成分などを含む食品による健康被害情報の収集。4番目は世界基準での食品用器具・容器包装の衛生規制の整備。5番目は営業許可制度の見直しと営業届出制度の創設。6番目は食品リコール情報の報告制度の創設である。

注)HACCPは、業界で「ハサップ」と呼ばれることが多い。

 6つの改正点の中で、日本の食品関連業界に新たな安全管理手法の実践を迫るHACCPの制度化、もっと平たく言えば義務化に大きな注目が集まっている。なぜならば、HACCPで求めている安全管理手法が、これまでの日本の食品関連業界の慣例や作法の発想とは大きく異なるからだ。しかも、原則、すべての食品等事業者が対象となる。そして、2020年6月12日までに施行され、義務化に至る経過措置も1年と短い。導入していない場合に罰則を科すか否かは、各都道府県知事の判断に委ねられている。しかし、導入できていないことが明らかになれば、取引先が減るといったビジネスに影響が及ぶのは明らかだ。

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 HACCPとは、食品への食中毒やケガにつながるような異物混入をなくすため、生産現場の中で注意すべき場所や工程を常時監視して、安全な食品が生み出されていることを誰もが納得できるようにするための管理体制のことを指す。ただし、個々の食品ごとに、安全性を確保するための何らかの具体的数値基準を設け、それを満たすことを求めているわけではない。一言で食品と言っても様々であり、安全性が確保されているといえる状態も食品ごとに異なる。このため、生産する食品それぞれを安全に作るための基準は、各食品メーカーや飲食店が決める。ただし、その基準によって確実に安全な食品を生産できることを、科学的根拠を伴って説明できる必要がある。科学的根拠とは、公的機関の資料や大学の研究論文、さらには自社での実験結果を基に、現場での計測データが安全な状態にあることを証明できることだ。

 さらにHACCPで求めている管理手法には、有名なトヨタ生産方式の中で語られている高品質な製品を作るための管理手法である「自工程完結」に似た、「品質は工程で作り込む」という概念が盛り込まれている。前の工程から後の工程に仕掛品を送る際、不良品や不適合品を送らないという考えだ。トヨタ生産方式との違いは、管理対象が品質ではなく、安全だということだ。たとえば、生産ライン内で人の髪の毛が混入すると、低品質化を招くが、安全性を損なうわけではない。このため、HACCPの管理対象にはならない。

「安全なはずだ」では世界が納得しない

 「ものづくり大国ニッポンの企業は、万全の安全管理体制を備えているはず」、と考える人も多いことだろう。ところが実際には、世界基準の観点からはそうはなっていない。なぜならば、日本の食品業界に携わる人たちの職業意識とスキルは高いが、それを定量化し、安全性を確実に確保できることを科学的に証明できないからだ。日本の安全性確保は生産に従事する人を性善説でとらえた属人的な発想で作られている。これに対し、世界基準は誰が作っても安全性に問題がある食品が生まれようがない生産体制、つまり性悪説に基づく体制を求めている。

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 「それでも日本人はまじめに食品を扱っているのだから、ちょっと疑いすぎなのでは」と考えたくもなるのだが、これが国際基準である。実際、多くの国の食品関連企業はこの基準に沿って安全管理しており、海外市場に参入するためにはその基準への準拠が求められる。日本企業の製品だけ、「性善説で管理させてください」と言っても通らない。そして、重要なことは、HACCPが義務化されていないのは先進国の中で日本だけという点である。日本人は、日本の食品は品質も安全性も世界の先端レベルにあると自負しているが、海外から見れば、これまでの日本の安全管理体制は緩いとみなされていたのだ。

 この状態では、日本の食品をグローバル化することなどできない。実際、1995年にEU(欧州連合)の担当査察官が来日。ホタテ加工場など日本の水産食品工場を査察した結果、水産物の全面輸入禁止になったことがある。つまり、米国やEUなど義務規制のある国に輸出するには、世界標準のHACCPに応じた管理ができていない製品は買ってもらえない。この事例のおかげで、遅れていると言われている日本でも水産物に関してはHACCP対応が進んでいると言われる。ところが、こうした世界市場の洗礼を受けていない分野では、対応が遅れているようだ。

 また、企業の規模別にHACCPを導入している企業を見た場合、日本では大企業、中企業、小企業それぞれの導入済企業の割合は、8対3対1と言われている。つまり、中小企業での導入が、圧倒的に遅れている。冒頭で例として挙げた老舗お菓子店が、「うちは、この方法で百年商売して、何の問題もありませんでした」と主張したとしても、改正後の食品安全衛生法で制度化したHACCPの下では通用しない。2020年の東京五輪では、日本で作られた大豆を用いた味噌汁や刺身を、選手村に提供できないとも言われている。いまや、「日本の食品は、安全なはずである」という主張を繰り返したところで、世界の消費者は納得しない。