「経済安全保障」を巡る国内の動きが、にわかに慌ただしくなってきた。2021年10月に誕生した岸田政権は、新たに経済安全保障担当大臣のポストを設け、経済安全保障への対応強化に乗り出す。「経済」と「安全保障」を一体に捉える経済安全保障の概念が、政治の場でにわかにクローズアップされている背景には、激しさを増す米中の対立がある。中でも、激化が著しいのが半導体やエネルギー、医療などの先端技術を巡る両国の覇権争いである。その影響は世界に広がっており、欧州やアジアの一部の国々は、経済安全保障の確保を念頭において、先端技術分野を中心に産業政策の強化に乗り出した。こうした世界の動向の先を読むうえで、まず注目すべきは技術覇権争いの矢面に立つ米国の動きである。この連載では、米国の政策に詳しい外国法事務弁護士(原資格国:米国コロンビア州特別区)が経済安全保障を巡る米国産業政策の動向を解説する。第1回では、大きな焦点となっている半導体を題材に経済安全保障の概念を説明したうえで、これに関連する米国政府の動きに言及する。(日経BP 総合研究所)

Joel Greer氏
Joel Greer氏
法律事務所ZeLo・外国法共同事業
外国法事務弁護士
(第二東京弁護士会/原資格国:米国コロンビア特別区)
2000年イェール・ロー・スクール卒業。法務博士(専門職)。約15年前から日本で活動。主な著書に「Japan in Space – National Architecture, Policy, Legislation and Business in the 21st Century」(Eleven International Publishing、2021年)などがある。

この記事で表明された見解および意見は、著者のみのものであり、法律事務所ZeLo・外国法共同事業の見解および意見を反映しているとはかぎりません。

 2021年初頭から世界的な半導体不足が続いている。半導体は、「通信」「コンピューター」「家電製品」「輸送」「ヘルスケア」「エネルギー」「防衛システム」など様々な分野で使われる電子機器には欠かせない部品である。このため半導体の調達がままならない事態は、産業界に様々な打撃を与えている。例えば、必要な量の半導体デバイスを確保できなかったトヨタ自動車は、2021年9月に自動車の生産台数を当初の予定から40%も削減することを余儀なくされた。最近の自動車には1台に1000個以上もの半導体が搭載されている。このため半導体不足の影響が、どうしても避けられなかった。

 このように産業に大きな影響を与える半導体の生産やサプライチェーンの安定化は、「経済安全保障」を巡る大きな焦点の1つである。そこで、まず半導体を巡る米国や日本の政府の動きを題材に、米国が産業政策を強化する前提となっている経済安全保障の概念や、この概念が最近になって国際社会において大きくクローズアップされてきた背景を解説する。

活発化する半導体産業再強化の動き

 世界的な半導体不足にまつわる懸念が産業界に広がる中で、目立ってきたのが海外大手半導体メーカーの誘致に積極的に取り組む日本政府や米国政府の動きである。経済産業省は、2021年5月に「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業」における「先端半導体製造技術の開発」の実施先の1つとして「TSMCジャパン3DIC研究開発センター」を採択したことを発表した。同センターは、半導体受託製造の世界的大手TSMC(台湾積体電路製造)が茨城県つくば市に設立した半導体製造技術の研究開発拠点である。さらに経済産業省が2021年6月4日に発表した「半導体・デジタル産業戦略」には、海外の半導体受託製造企業との合弁によって国内の半導体製造基盤を整備する考えが盛り込まれている。これを受けたかのように、2021年10月15日にTSMCが日本に半導体工場を建設する方針を明らかにした。

( 撮影:Bloomberg )
( 撮影:Bloomberg )

 一方、米国でも米政府の要請を受ける形で、TSMCがアリゾナ州に新工場を建設することを2020年に発表している。投資額は120億米ドル(1兆3100億円)にも上る。韓国の大手半導体メーカーのSamsung Electronicsも、米政府の意向を受けて米国内に半導体製造工場を建設するために多額の投資をする方針を明らかにしている。

米中覇権争いの激化でリスクが顕在化

 このように日本や米国の政府が、積極的に大手半導体メーカーの誘致に乗り出したのはなぜか。COVID-19の世界的な感染拡大によって半導体のサプライチェーンにおける脆弱性が浮き彫りになったことが理由とみる向きもある。だが、これは理由の一部にすぎない。実は、もっと根深い問題に起因する理由がある。両国とも、国内における半導体の生産・加工能力が低下しており、これが国家の安全を脅かすことになりかねないという懸念が高まっていることだ。

 世界の半導体の売り上げにおいて日本は、1988年に50%のシェアを握っていた。ところが現在では10%にまで落ち込んでいる1)。この一方で半導体メーカーの再編や事業の縮小が進み、日本における半導体生産量は従来に比べて減っている。米国でも半導体の生産量が近年落ち込んだ。1990年に世界全体の生産量に占めるシェアは37%だったが、最近は12%にまで下がっている2)。かつて米国は、世界でも随一の半導体生産量を誇っていた。ところが製造技術が複雑化するにつれて半導体の製造コストが急増したことから、人件費が安価な海外に製造拠点を移したり、米国外に生産拠点を構える受託製造事業者に生産を任せたりする企業が増えた。この動きが進むにつれて、米国内の半導体生産量は減ってしまった。

 こうした状況の中で、国内の半導体生産量が減っている現状が国家の安全を脅かしかねないという懸念が、中国の急速な経済成長を背景にした米中の覇権争いが激化するとともに高まった(下記の「先端技術分野で進む米中デカップリング」を参照)。中国政府は、半導体市場におけるシェア拡大に向けて戦略的に半導体産業の強化を進めている。しかも、最近になって中国指導部が政治および軍事面で強い姿勢を打ち出してきたことから、アジアを中心に地政学的な緊張が一段と高まっている。これとともにアジア地域に半導体の生産拠点が集中していることが、大きなリスクとなるという見方が増えた。半導体の生産が滞るような事態がアジア地域の工場で発生すると、その影響は、世界のあらゆる産業に広がることになりかねない。特に多くの米国大手半導体メーカーと取り引きしているTSMCの生産拠点が地理的に中国に近いことが、こうした懸念を一段と際立たせている。米国や日本が、TSMCの誘致に積極的である理由もここにあるとみて間違いない。

「経済安全保障」を巡る政策を強化

 半導体の事例のように、経済と国家安全保障上の利益には緊密な関係が存在する場合がある。この概念を表す言葉が「経済安全保障」である。つまり経済安全保障とは、経済と国民国家および市民の福祉の両方にまたがる国家安全保障の重要な要素を指す言葉である。米国では、経済安全保障の強化に向けた具体的な取り組みが加速している。

 その中で注目すべき動きの1つが2021年6月に米国連邦議会上院本会議で「米国イノベーション・競争法(US Innovation and Competition Act:USICA)」が承認されたことだ。この法案の中で、520億米ドル(5兆6766億円)を投じて半導体の国内製造を強化することを提案している。この法案は、国内の半導体産業を強化する「CHIPS法(Creating Helpful Incentives to Produce Semiconductors、半導体製造支援法)」、米国内の技術発展のための投資や研究開発を推進する「エンドレスフロンティア法(Endless Frontier Act)」など複数の法案で構成されている。その中には、「戦略的競争法(Strategic Competition Act)」や「中国の挑戦対抗法(Meeting the China Challenge Act)」といった対中政策案も含まれる。

(撮影:Elisank79)
(撮影:Elisank79)

 米国上院多数党院内総務のチャック・シューマー氏は、この法案について次のように語っている。「この法案の成立は、半導体などの極めて重要な技術の分野で、米国が中国のような国を打ち負かし、我が国の経済と国家安全保障を改善することを可能にする」。このコメントからも分かるように、米国においては、あらゆる経済的決定と政策立案が経済安全保障の観点で進められている。 (以下、後編に続く)

【参考文献】
1)「半導体戦略(概要)」、経済産業省、2021年6月
2)“Government Incentives and US Competitiveness in Semiconductor Manufacturing”, BCG/Semiconductor Industry Association, September 2020

先端技術分野で進む米中デカップリング(前編)

 経済力や軍事力が高まるにつれて中国が米国の覇権を脅かす存在になってきたことから、トランプ政権の時期に米国は対中政策を大きく変えた。中国経済への依存度を抑え、中国の台頭を抑制すべく、米中間の経済関係を切り離す政策、いわゆる「デカップリング」を進めるようになった。

 この政策における大きな焦点となっているのが先端技術の分野である。この背景には、先端技術が経済だけでなく、国家安全保障にも大きな影響を与えるようになったことがある。これとともに「米中ハイテク戦争」とも呼ばれる様々な摩擦が米中間で発生している。

 その1つが、中国の大手通信機器メーカーのHuawei Technologiesに対する制裁である。同社製通信機器が国家安全保障上の脅威をもたらすとの懸念から、2019年にトランプ政権は同社に向けた米国製半導体の輸出を禁止した。その後、米国発の技術や、米国製設計ソフトウエアを使って製品を開発している半導体メーカーが、許可なくHuawei Technologiesと取り引きすることを禁止することも発表している。さらに、2021年1月に制定された米国国防授権法(US National Defense Authorization Act)によってHuawei Technologiesは「リスクのあるベンダー」に指定された。この米国国防授権法には、「5G(第5世代移動通信システム)」および、その後継となる通信技術の開発と、米国と日本を含む同盟国間のサプライチェーンにおけるセキュリティを強化するための規定も含まれている。

 バイデン政権は、5G機器に用いられる半導体に対する規制を維持してきたが、最先端の技術を適用していない車載半導体についてはHuawei Technologiesへの販売を許可したと報道されている。これは国家安全保障上の利益を損なうことなく、Huawei Technologiesに対する規制によって半導体メーカーが被る不利益を抑えるための措置だろう。こうした中国の巨大市場と米国の経済を切り離すデカップリングの動きは、日本やその他の国々の企業にも影響を与えており、当然のことながら多くの企業が、その影響による収益の変化に敏感になっている。

 冷戦時代の旧ソビエト連邦とは異なり、中国は世界的な経済大国である。多くの国々の主要な貿易相手国であり、商品、サービス、天然資源の莫大な需要を擁している。この状況が、経済的側面と国家安全保障的側面の両方を持つ経済安全保障を巡る問題の解決を難しくしている。 (以下、後編に続く)