経済安全保障に関連する米国の産業政策を解説する連載の第1回前編では、半導体産業を題材に経済安全保障の概念や、米国政府が経済安全保障を重視する背景を主に解説した。後編では、経済安全保障に関連して産業政策の整備を積極的に進めている米国政府の具体的な動きを説明する。(日経BP 総合研究所)

Joel Greer氏
Joel Greer氏
法律事務所ZeLo・外国法共同事業
外国法事務弁護士(第二東京弁護士会/原資格国:米国コロンビア特別区)
2000年イェール・ロー・スクール卒業。法務博士(専門職)。約15年前から日本で活動。主な著書に『Japan in Space National Architecture, Policy, Legislation and Business in the 21st Century』(Eleven International Publishing、2021年)などがある。

この記事で表明された見解および意見は、著者のみのものであり、法律事務所ZeLo・外国法共同事業の見解および意見を反映しているとはかぎりません。

 経済安全保障を意識して産業政策の整備を加速している米国政府が、政策目標としてフォーカスを絞っているのは、先端技術に関連するグローバル・サプライチェーンの強化とレジリエンス(回復力、強靭性)の向上である。その対象となる領域には半導体だけでなく、車載用などの大容量蓄電池、レアアース(希土類金属)のような重要鉱物、医薬品が含まれる。

 この方針は、2021年6月にホワイトハウスが発表したリポート、「Building Resilient Supply Chains, Revitalizing American Manufacturing, and Fostering Broad-Based Growth(レジリエントなサプライチェーンの構築、米国製造業の再活性化、広範囲にわたる成長の促進)」にも明記されている。同リポートでは、先端技術分野の製造業おいて長年にわたって存在する脆弱性に注目し、その弱点に対処するための初回提言とともに、来年から米国政府が、6つの重要な分野の産業基盤を強化するための戦略を策定することを明らかにした。その6つの分野は、「防衛」「公衆衛生と生物学的準備性」「情報通信技術」「エネルギー」「交通」「農業と食料生産」である。

2021年6月にホワイトハウスが発表したリポート「Building Resilient Supply Chains, Revitalizing American Manufacturing, and Fostering Broad-Based Growth」の表紙
2021年6月にホワイトハウスが発表したリポート「Building Resilient Supply Chains, Revitalizing American Manufacturing, and Fostering Broad-Based Growth」の表紙

重要な産業を政府が支援

 リポートを作成したバイデン政権が懸念していることは、前編の冒頭で言及した3点である。第1は、米国国内の生産および処理能力がここ数十年で著しく低下したことである。中には消滅してしまった分野もある。第2は、グローバル・サプライチェーンの脆弱性である。第3は、中国が地政学上のライバルとなり、急速に伸びた経済力と指導部の攻撃的な態度を考え合わせると中国が、近い将来に米国および同盟国にとって手ごわい競争相手となることである。

 これらの懸念を前提したバイデン政権の対応において注目すべき点は、産業政策が担う役割を強化することである。つまり戦略的に重要と見なされる特定の産業や技術への支援を含む政策を進めることだ。先に紹介した2021年6月のリポートによると、これまで米国では製造業のサプライチェーンの展開や投資の意思決定は民間に委ねられていた。ところが企業が国家安全保障や産業のレジリエンスよりも、コスト削減を重視し、生産機能を米国外にシフトした。このため民間のインセンティブと重要分野における公共利益との間に齟齬が生じた。つまり、米国の生産能力の喪失が産業界におけるイノベーションを妨げることになってしまった。

産業政策強化の是非を巡る議論が活発化

 バイデン政権が、産業政策を強化する方針を打ち出したことを受けて、米国内では政府と市場の関係についての議論が起こった。一部のアナリストたちは、産業政策を強化すると、限られた資本やその他のリソースを効果的に配分する自由市場の特性が失われると主張している。だが、こうした議論の多くはイデオロギー的である。実際に経済効率と経済回復力の間に対立関係があるかもしれないが、これまでにも米国政府機関が様々なレベルで直接的投資などの手法を使って、特定の産業や技術のイノベーションを支援したことはある。

 例えば、ある評論家らは、米国防総省のアメリカ国防高等研究計画局(DAPRA:Defense Advanced Research Projects Agency)による財務的な支援がコンピューターネットワーク技術の発展を支え、それがインターネットの実現につながったと指摘している。もっとも、このような政府による様々な計画の多くは、国家レベルの戦略に基づいた調整が十分になされていたわけではない。だからこそ2021年6月にホワイトハウスが、サプライチェーンと産業基盤の強化に言及した報告書を発表したことは特記すべきことである。

 しかも、この報告書の序文はバイデン大統領の経済政策顧問でもある国家経済会議議長と大統領国家安全保障顧問が共同で執筆している。これは、個々の分析や提言はさておき、経済と国家安全保障上の両方にまたがった課題、つまり「経済安全保障」を巡る課題に取り組むために、米国政府指揮下にある行政機関の中枢が、国内で統一された産業政策の責任を負うことを表明したということだ。

「Building Resilient Supply Chains, Revitalizing American Manufacturing, and Fostering Broad-Based Growth」の序文
「Building Resilient Supply Chains, Revitalizing American Manufacturing, and Fostering Broad-Based Growth」の序文

 特に興味深いのは、ホワイトハウスがまとめたこのリポートでは、東アジアの同盟国や競合国を含めて、過去に産業政策を展開していた数多くの国々の政府やビジネスコミュニティーについて観察していることだ。その中では、中国が産業政策の展開に積極的だったことを指摘している。こうした内容が盛り込まれているということは米国政府が、目前の困難な課題である経済安全保障の強化に向けて、他の国々のアプロ―チの要素を自国に取り入れる必要があるということを暗に認めていると見ることができる。

3つの方向で強化

 それでは産業政策は、米国の経済安全保障強化においていったいどのような役割を果すことになるのだろうか。この問題については本連載の次回以降の記事で詳しく述べる予定だが、2021年6月にホワイトハウスが発表したリポートに、その大筋が書かれている。その内容は大きく3つある。

 第1は、新たな産業政策によって、国内の製造やその他の能力の強化を図る。国内の半導体生産および開発を支援するために520億米ドル(5兆7200億円)を投じることを提案している法案をこの記事の前編で紹介したが、同法案はこの報告書が提言した取り組みの第一歩である。

 この政策に沿って、すでに様々な行政機関が動き始めている。米国商務省は、半導体メーカーとエンドユーザー間の関係を強化し、より良い情報の流れとデータ共有の促進を図るための動きを開始した。アメリカ合衆国保健福祉省(United States Department of Health and Human Services:HHS)は、国内での医薬品生産技術への投資を増やし、医薬品の国内生産を強化する責任を負う方針を明らかにした。米国エネルギー省は、電気自動車に使用されるリチウム電池の国内生産促進に向けて、業界の将来像を描いたビジョン「National Blueprint for Lithium Batteries」を2021年6月に発表した。米国内務省は、レアアースなどの重要鉱物の生産および処理を担える米国内の拠点を特定する活動に着手する。

 第2は、サプライチェーンのレジリエンスの改善を目指す。もちろん、前述のように米国内の生産能力を強化することは、この目標の一要素である。加えてホワイトハウスのリポートでは、海外サプライヤーの多様化も図り、サプライヤーが特定の地域に集中することによるリスクを低減する必要があることを強調している。

 その一方で、すべての商品を国内で生産することは不可能であり、望ましいことではないとも同じリポートの中で述べている。例えば、医薬品に関しては、同盟国および友好国の関連規制当局と協力して、グローバルな医薬品サプライチェーンのリスクを特定することを推奨している。これを基にサプライチェーンについての適切な地理的多様性と冗長性を実現するための提言をまとめ、過度な重複を避けたうえで適切な冗長性を備えた生産体制を実現するための戦略策定につなげる。

 レアアース、レアメタルを含む重要鉱物資源については、米国内で産出できる可能性があるものがある一方で、国内で得られる見込みのないものもある。そこでホワイトハウスが作成したリポートでは、国内での調達が不可能な鉱物資源については海外の生産者と協力して、環境対応および持続可能性の向上を図りながら、サプライチェーンの総合的なレジリエンスを強化することを提言している。

 第3は、新興技術の支援と保護を目指す。ホワイトハウスのリポ―トで打ち出している目標の1つが製品の拡大と技術革新の促進である。このために重要な医薬品の先進的な製造技術に向けた投資を増やすよう提言している。リポートでは、次世代電気自動車向けの車載用蓄電池や、発電施設向けの蓄電システムへの投資を増やすことも推奨しており、政府調達や消費者へのインセンティブの提供などの方法によって、電気自動車と電力設備向け蓄電池の需要を刺激し、この取り組みを促進する必要があると述べている。加えて、半導体などの一部の分野では、サプライチェーンの脆弱性を改善し、先端半導体の開発能力を確保するために、同盟国やパートナー国と協力して、ターゲットを絞ったうえで、多国間で輸出を管理することを提言している。

 この連載の次回以降の記事では、米国の新たな産業政策の目標について、より詳細に解説する。

先端技術分野で進む米中デカップリング(後編)

 米中間の経済関係を切り離す政策、いわゆる「デカップリング」を進める米国政府が、懸念している事例はHuawei Technologiesの件の他にもいくつかある。その1つは優秀な研究者を海外から招致する中国政府主導のプロジェクト「千人計画」である。多くの技術者や研究者が中国に誘致され、中国軍とつながりのある研究機関で軍民双方に展開可能な技術開発に携わっていると危機感を募らせている。こうした声は、米国だけでなく日本など世界各国からも聞こえる。

 米国では、政府が資金提供した科学技術の研究開発成果が中国に移転されてしまっていると警告する声も多く上がっている。米国上院小委員会が作成したリポートの言葉を借りると、こうした技術移転は、米国の研究組織の完全性や、経済的かつ国家安全保障上の利益を損なう。このため米国下院は、中国、北朝鮮、イランから支援を受けている科学者や専門技術者が、米国政府が出資する研究プロジェクトに参加するのを禁止する法案を通過させた。

 この他にも新たな米中ハイテク戦争につながることから米国政府が注目していることがある。8月にタリバンがアフガニスタンを掌握してから、中国がアフガニスタンの新指導部との友好関係を確立しようとしているというメディアの報道である。中国が、このような動きを見せている理由として考えられることの1つは、アフガニスタンに、レアアースを含む莫大な量の重要鉱物資源が埋蔵されている可能性があることだ。その価値は、数兆米ドルともいわれている。レアアースは、家電、エンジン、防衛装備、電気自動車バッテリーに使用されており、現代の技術において極めて重要な要素である。すでに中国は世界のレアアース市場で優位なポジションを獲得している。だが今後、数十年でレアアースの需要が急増する可能性があることから、その需要を賄うために、アフガニスタンに接近しているとみられている。