空気の約80%を占める窒素ガスは不燃性で酸化を防ぐなどの作用があり、半導体製造、食品加工や保存、化合物や肥料の合成、化学プラントでの防爆など、産業や工業で広く利用されている。これまで応用がほぼ固定化されてきた窒素ガスの性質を上手に利用し、商品やサービスに新たな価値を生み出そうという動きが出ている。身近な食品関連からいくつかの例を紹介しよう。

 空気の約8割を占めている窒素。色や臭いもないため普段の生活でその存在を意識することは皆無だが、酸素のような酸化を引き起こさない「不活性」という性質を持つことや、様々な化合物の原料になるため、産業や工業のあらゆる分野で広く活用されている。

 身近なところではポテトチップスなどの菓子類がそうだ。店頭で膨らんだ状態で売られているいわゆるピロー包装の多くには、食品の酸化を抑えて風味を維持する目的で窒素が封入されている。

 半導体の製造でも窒素は必須だ。シリコン表面は空気中にさらすだけで酸化膜(SiO2)が形成されてしまうため、ウエハの保管や輸送を含むほとんどすべての工程は窒素雰囲気内で行う必要があり、窒素消費量の多い分野の1つとなっている。

 このように産業や工業においてなくてはならない窒素だが、一般社団法人 日本産業・医療ガス協会が公表している統計値によれば、日本における窒素の販売量は液体窒素も合わせると年間でおよそ42億m3から48億m3の範囲で、ここ15年ほど横ばいが続いている状況だ(窒素生成設備を自社で備える事業者の生産量は除く)。

 広く使われてはいるものの、これまでほぼ決まった用途に使われてきた窒素に、食品・飲料分野で新たな応用が生まれている。

まろやかな味のナイトロ・コーヒー/ニトロ・コーヒー

 コーヒーショップで注目を集めているのが「ナイトロ・コーヒー」あるいは「ニトロ・コーヒー」と呼ばれる新しいアイスコーヒーである。アイスコーヒーに窒素ガスを送り込んで細かくクリーミーな泡を生成し、まろやかな口当たりを実現した。炭酸を用いた発泡とは違い、刺激感はなくげっぷも出ない。

 ナイトロ・コーヒーは、米ダラスのCuvee Coffee、ポートランドのStumptown Coffee、ニューヨークのThe Queens Kickshaw(閉店)などのコーヒーショップが2011年から2013年頃にかけてメニュー化したのが始まりとされる。以来、他店でも類似のメニューを提供するようになり、全米に広まった。窒素のNitrogenをもじって「Nitro cold brew coffee」などと呼ばれている。

 日本の飲食店大手では、スターバックス コーヒー ジャパンが2017年夏から「スターバックス ナイトロ コールドブリュー コーヒー」(図1)を一部店舗で提供している。十数時間をかけて抽出した水出しの「コールドブリュー コーヒー」に窒素ガスを加えることで、まろやかな口当たりとクリーミーな味わいを生み出したのが特徴だ。

図1 専用のサーバーで提供されるスターバックスの「スターバックス ナイトロ コールドブリュー コーヒー」
泡が上から下に流れるなど不思議な動きを見せる。(撮影:栗原正巳、協力:スターバックス コーヒー ジャパン)

 「スターバックス コーヒー ジャパンでは、コーヒーにまつわる新しい体験(飲み方)を提供し、コーヒーに対する消費者の関心を高める取り組みを進めています。『スターバックス ナイトロ コールドブリュー コーヒー』はその施策のひとつで、お客様には窒素の泡による味の変化に加え、ベースとなる『コールドブリュー コーヒー』との飲み比べも楽しんでいただきたいと考えています」(同社広報部の大竹史生氏)。

 メニューとしては、「スターバックス ナイトロ コールドブリュー コーヒー」のほか、キャラメル風味の冷たいフォームミルクをのせた「スターバックス ナイトロ コールドブリュー ムース フォーム ダーク キャラメル」、およびスターバックス リザーブ バー限定でバニラアイスをのせた「スターバックス リザーブ ナイトロ コールドブリュー フロート」を展開。現在のところ全社規模の売り上げ拡大に直接寄与することを期待しているわけではないそうだが、提供している店舗ごとに少なからず“固定客”がいるそうで、話題づくりにも貢献している。

 スターバックス コーヒー ジャパン以外にも、UCC上島珈琲、キーコーヒー、日本マクドナルドなどの傘下にある店舗の一部で、窒素入り飲料のメニューを提供している。

 窒素を使って飲料にクリーミーな泡を付加する手法はギネスビールが先駆け的存在で、1932年に特許を出願、1959年には商品化を果たしている(ギネスの場合は炭酸と窒素の混合)。泡がきめ細かく長持ちするのが窒素の特徴で、スタウト系やポーター系ビールが持つ苦味を緩和する働きもある。

 ナイトロ・コーヒーはそういったアイデアを応用した商品といえるが、嗜好性の強いスタウトビールなどに比べて、より一般的で誰もが楽しめるところがポイントだ。アイスコーヒーをベースにするため春から秋までが商戦としては中心だが、認知が広まればさらに人気が高まっていくだろう。

 最近はお茶への応用も始まっていて、静岡市の抹茶スタンドCHA10(チャトウ)の「NITRO 抹茶」(抹茶ベース)や鎌倉市のCHABAKKA TEA PARKS(チャバッカ ティーパークス)の「ドラフトティー」(煎茶ベース)など、窒素ガスを加えてクリーミーな泡を混ぜた新たなドリンクも好評を博している。

口どけがよく惣菜の酸味を和らげるマヨネーズ

 窒素をマヨネーズに応用したのはキユーピーである。ファインバブル化した窒素をマヨネーズに混ぜることで、なめらかな食感と薄味ながら十分なコクを実現した「キューピー シェフスタイルマヨネーズ」(図2)を2004年に業務用として発売した。

図2 ファインバブル化した窒素によってなめらかな食感を実現した「キューピー シェフスタイルマヨネーズ」
(画像提供:キユーピー)

 ファインバブルは直径が100μm以下の微細な気泡の総称で、水などの液体に生体活性や洗浄性など様々な機能を付加する特殊な性質を持つ。ファインバブルを作製する技術は徳山工業高等専門学校の大成博文教授(当時)が1995年に開発。1998年に赤潮被害に悩む広島の養殖カキに対して海中でファインバブルを発生させて溶存酸素濃度を高めたところ、カキの斃死(へいし)がなくなるなど顕著な成果が見られ、国産技術ということもあって注目を集めるようになった。

 ファインバブルに着目した1社がキユーピーだった。同社広報部によれば、ふっくらとして口どけの良い手作りマヨネーズのような食感を付与するとともに、酸化の少ない安定した品質を実現することを目指し、研究に着手。現・一般社団法人ファインバブル産業会理事でもある慶応義塾大学の寺坂宏一教授(理工学部応用化学科)の協力も得て、水と油とが乳化された状態にあるマヨネーズ内にファインバブル化した窒素を安定的に維持・分散する技術を確立し、商品化した。技術的には、バブルの適切なサイズを見つけるのが難しかったという。

 泡が生み出す口どけの良さに加え、サラダなどの総菜の酸味を和らげる作用もあるそうで、ナイトロ・コーヒーの特性に似ているといえよう。また、野菜と和えた時に、野菜から水分が逃げるのを抑える作用も見つかっているという。

 本商品は業務用として提供されるため一般の消費者が購入することはできないが、一部のコンビニエンスストアが総菜に採用中である。

海水の低酸素化で魚介類の鮮度を維持

 同じくファインバブルでの応用だが、窒素を海水に混ぜることで、流通過程における魚の鮮度を維持する方法を実用化したのが、水産物の仲卸を営む丸福水産(北九州市小倉市)とその子会社のナノクス(同)である。

 鮮度を劣化させる原因のひとつが魚体中に含まれる油分の酸化にある。無酸素状態にできれば酸化は抑えられるものの、単純に窒素を海水に曝気しただけでは酸素は置換されない。そこで着目したのがファインバブルだった。

 「すべての水産業者が課題としている鮮度問題を解決できればと、丸福水産が別の用途で研究を進めていた流体混合技術を活用して、窒素のウルトラファインバブル(直径1μm以下)を生成し海水を低酸素化できないかと考えた」(ナノクス代表取締役専務の米澤裕二氏)。

 研究の結果、ウルトラファインバブル化した窒素を海水に混ぜると、窒素の泡が海水中や魚体中の酸素を内包して浮上し、溶存酸素濃度はおよそ10分の1にまで下がり、魚全体が脱酸素に近い状態になることが分かった。しかも残った窒素は長時間水中にとどまるため効果が持続しやすい。油分の酸化や好気性細菌の増殖が抑えられ、第三者機関による細菌数の調査や、食味の官能検査でも顕著な結果が得られたという。

 こうした成果を踏まえて、ナノクスでは専用のウルトラファインバブル生成装置「ナノ・フレッシャー」を2012年に製品化。装置は、まぐろ延縄漁船、漁港、魚市場などに数多く導入されており、船倉の臭いがなくなった、身質が向上した、鮮度が長持ちする、変わらない食味を維持できる、といった高い評価を受けているという。(ちなみにナノ・フレッシャーは高酸素ウルトラファインバブル海水も作れるため、養殖などにも活用されている)。

 鮮度が落ちなければ、産地から離れた消費地にも魚介類を新鮮なまま届けられ、商機の拡大が図れるとともに、流通や小売りでの廃棄も減らせる。使い方は簡単で、出荷前に低酸素ウルトラファインバブル海水に魚介類を30分ほど浸し、あとは水を切って通常通り発泡スチロール製の魚箱に箱詰めするだけでよい(図3)。

図3 窒素を用いた低酸素ウルトラファインバブル海水に水揚げした魚介類を30分程度漬けるだけで鮮度を維持
(画像提供:ナノクス)

 両社の取り組みは、経済産業省の地域イノベーション創出研究開発事業や、中小企業庁が推進する戦略的基盤技術高度化・連携支援事業および戦略的基盤技術高度化支援事業などに採択されており、地域イノベーションのひとつとしても着目されている。

賞味期限の延長や消費者の買い置きに有効なMAP包装

 スーパーの鮮魚や精肉売り場で見かける一般的なトレイ+ラップに代わり、専用のトレイを使い、中に窒素ガスなどを充てんし酸素を置換して、鮮度の低下を防ぐとともに消費期限/賞味期限を延ばす「MAP包装」がスーパーマーケットに広がってきた(図4)。店頭での鮮度維持と廃棄の削減、セントラルキッチンへの発注頻度の削減、および、消費者に対して買い置きの提案などが主な狙いである。

図4 スーパーマーケットの鮮魚や精肉売り場に広がるMAP包装(画像はイメージ)

 MAPとはModified Atmosphere Packagingの略で、「ガス置換包装」や「ロングライフ包装」とも呼ばれる。食品工場で大量生産される食品にはかなり以前から用いられてきたが、重さなどが一品ずつ異なる魚介や精肉にも広がってきたのが近年の特徴といえよう。

 空気を置換するガスとしては窒素が主流で、ほかに二酸化炭素(CO2)や酸素(O2)なども用いられる。食品ごとに最適なガス配合は異なり、MAP包装機を提供するメーカーあるいはMAP包装を利用する小売業者のノウハウとなっている。

 課題はコストと手間だ。従来のラップ包装のように手軽にはいかず、トレイとラップ(フィルム)には機密性の高い専用のものが必要で、シーラー(包装機)も導入しなければならない。窒素などガスの供給も要る。そのため包装作業は、各店舗のバックヤードではなくセントラルキッチンで行われることが多い。

 代表的なところでは、ダイエーが2016年12月から一部の鮮魚や精肉にMAP包装を採用し、全店舗に展開している。包装(セントラルキッチン)は同社のグループ会社であるアルティフーズが請け負っている。

手軽な窒素ガス精製装置も登場

 窒素ガスを使って商品の付加価値を高めていくこうした取り組みは、新たな商機を生み出しているといえるだろう。また、食品業界においては、国内だけで年間600万トンを超える可食食品の廃棄(いわゆる「食品ロス」)をいかに減らすかが課題になっており、包装材および包装技術の開発と併せて、窒素が持つ保存性に対する期待は高い。

 一方で、窒素ガスを使おうとすると、一般にはボンベを購入するか、それなりの大きさを持つ窒素ガス発生装置を備えなければならず、前者は保安等に注意が必要である。

 そこで、窒素ガスをより手軽に扱いたいというニーズの拡大を受けて、中空糸分離膜を使って圧縮空気から窒素を分離生成するコンパクトな装置をCKDが製品化している。半導体製造のような工業プロセスとは違って、超高純度の窒素ガスを必要としない包装用途には十分であり、設備投資や保安管理のハードルを下げられるとして、MAP包装などへの導入が増えているという(図5)。

図5 圧縮空気から中空糸分離膜を利用して窒素富化ガスを生成する装置の例
CKDの製品。写真のシステムにはインライン酸素濃度計も組み込まれている。窒素を分離した後の空気中の酸素濃度を測定することで、窒素濃度を常時監視できる。(撮影:関行宏)

 以上、窒素ガスの新しい応用の一端を紹介したが、こうした活用が付加価値を生み、新たな商機へとつながることが期待される。