新しい産業社会を目指す日本発のコンセプト「Connected Industries」。その実現に向けた具体的なアプローチの一つとして、東京大学 大学院工学系研究科 人工物工学研究センター 教授の梅田靖氏が提唱している概念が「デジタル・トリプレット」である。仮想空間と現実空間の連携だけでなく、そこに日本流の現場の改善力を組み合わせて昇華させることで、日本の強みを生かせるものづくりが実現するという。その実践に向けて教育カリキュラムの開発などに取り組む梅田氏に、その現状や今後の展開などについて聞いた。(取材・文:松尾康徳)

―― 人工物が社会にもたらす問題の解決を目指す研究機関として1992年に設立された人工物工学研究センターは、2019年4月から次世代ものづくりの研究教育機関として新たなスタートを切りました。現在の研究体制を教えていただけますか。

梅田氏 現在の人工物工学研究センターには3つの部門があります。具体的には、産業に使えるAI(人工知能)を研究する「実践知能部門」、技術と人間の親和性をテーマとする「認知機構部門」、新しい価値を創り出す次世代のものづくりの全体像を描く「価値創成部門」の3つです。私は価値創成部門に所属し、サービス化の流れに対応した価値作りを実現する新しいものづくりのプロセスについて研究しています。

梅田靖氏 東京大学 大学院工学系研究科 人工物工学研究センター 教授
(撮影:栗原克己)

 この部門で取り組んでいる研究テーマの一つが、製品のライフサイクルを見越した設計手法です。製品がライフサイクルを終えた後のリユースも設計の要件として考える手法で、リユース品を使ったビジネスの創出を目指しています。多くの市販製品では、設計段階でリユースまで考慮されていません。このため分解しにくい構造や、分解しても個々の部品がリユースに耐えられないことが少なくありません。そこで製品のコンセプトやビジネスのオプションなど、これまでの設計要素にライフサイクルの考え方を付け加え、それを個々の部品や素材に落とし込む手法を確立したいと思っています。

 似たような考え方に「ライフサイクルアセスメント」がありますが、そちらは環境への影響を評価することが主な目的です。私が取り組んでいるのは、ユーザーの使い方の違いや部品の劣化なども考慮に入れ、リユースまでの流れを可視化する「ライフサイクルシミュレーション」です。こうしたシステムが実用化されると、建機メーカーなどがすでに実施しているリユース品を使ったメンテナンス・サービスが、製造業のほかの業種でも実現できるのではないかと思っています。

日本の強みを生かした製造業のデジタル化

―― 2019年12月に開催された「ロボット革命・産業IoT国際シンポジウム2019」で登壇された際に、日本の製造業が目指す方向として「デジタル・トリプレット」の実践について言及されていました。

梅田氏 産業のデジタル化を象徴する大きな概念に「Cyber Physical System(CPS)」があります。CPSは、サイバーの世界とフィジカルの世界が連携した仕組みを表していますが、ここに「現場」における知的活動、つまり現場を支える技術者の知見やノウハウを積極的に活用する仕組みを盛り込んだ概念が、デジタル・トリプレットです。これまでの強みを生かしながら、デジタル時代の新しい日本の製造業を実現するうえで重要な概念だと思っています。この概念を実践するための取り組みは、経済産業省が打ち出している「Connected Industries」の実現に向けたアプローチの1つだと考えています。

(撮影:栗原克己)

 欧州で生まれた製造業革新の概念「インダストリー4.0」は、どちらかというとトップダウンで意思決定することを前提にしているのではないでしょうか。本部にいる上級のエンジニアが考えたものづくりを現場の生産ラインに落とし込むのが基本な考え方で、現場の作業者はそれに従うという形です。一方で、日本のものづくりの強みは、現場を支える技術者が高度なノウハウを持っていることです。それを生かして現場における改善を繰り返すことによって生産システムを継続的に進化させてきました。

 こうした現場に、トップダウンを前提にした欧州の概念をそのまま展開すると、日本の強みを生かせなくなってしまいます。「デジタル化」を進めるということではデジタル・トリプレットとインダストリー4.0は同じですが、現場発の改善によって生産ラインを日々進化させるという日本の製造業が得意とするアプローチは、インダストリー4.0の概念には含まれていないからです。つまり、デジタル・トリプレットは、日本の製造業に合わせて進化させたデジタル化の概念だと言えます。

 欧州発の概念との違いを、もう少し具体的に説明しましょう。デジタル・トリプレットでは、人の知恵を活用するという点が大きなポイントになっています。ところが、この人の知恵のすべてがデジタル化できるわけではありません。そのままデジタル化できるのは半分くらいだと考えています。つまり、現場から取得したデータをツールで分析し、その結果を改善につなげるという一連のエンジニアリング・サイクルを、デジタル環境の中で実施することになりますが、その環境の中で人の知恵のすべてが扱えるわけではないということです。ここが、すべてをデジタルな環境に組み込むことを目指している欧州のインダストリー4.0の考え方で扱えない部分です。

(撮影:栗原克己)

新時代をリードする人材を育成

―― デジタル・トリプレットは、人の関与を明確に定義し、人の知恵を取り込めるようにするものづくりの基盤を表しているというわけですね。

梅田氏 そうです。実際にデジタル化に取り組んでいる欧州の現場でも、上級のエンジニアが最適な生産方法を見い出すために様々な試行錯誤しているのです。ただ限られた人しかそれをやらないので、わざわざ思考プロセスや改善の記録を残す必要はありません。一方、生産プロセスの進化に大きく関与している日本の現場では、試行錯誤の過程で得られた知見やノウハウを積極的に活用しています。こうした日本の製造業の強みとも言える特長を、デジタル・トリプレットには反映しているわけです。

(撮影:栗原克己)

―― デジタル・トリプレットを実践するうえでの課題は。

梅田氏 デジタル・トリプレットの概念を実践しようとしたときに問題になるのが、現場の技術者の教育です。デジタル・トリプレットでは、デジタル化を前提に、現場がリードしてものづくりを進化させるサイクルを確立する必要があります。つまり、サイクルを構築するために集めるべきデータは何か、そのために使うべきツールは何かという問題を、現場の人が考えなければなりません。当然、そのために必要な基本的な知識やスキルを現場の技術者が身に付ける必要があります。

 ところが残念ながら従来の生産工学の教育カリキュラムは、1980年代から基本的に進化していません。デジタル化にまつわる内容が盛り込まれていないのです。このため、現場を支える技術者や予備軍となる方たちが、これまで培ってきたものづくりにまつわる技術やノウハウとともに、IoT、AI、システム思考などデジタル化を巡る知識を学べる新しい教育の場が必要です。

 そこで、「デジタル・トリプレット型生産システム構築・実践演習」と呼ぶカリキュラムを開発。2018年秋に、実際にメーカーの技術者の方々を集まっていただきカリキュラムに基づく演習を実施しました。2019年夏には東京大学の学生を対象に同じプログラムを実施しています。このプログラムではデジタル化に必要な知識や情報を提供するのはもちろんですが、実際の現場を模擬的に経験するプログラムを盛り込みました。机上の学びだけで、現場の革新に貢献する人材を育成することはできないからです。このために小さな工場を、大学の研究施設内に構築しました。ここで様々な生産条件を試行し、改善策を立案。さらに、これを実際に現場に適用して検証するといった一連の過程を経験できます。

(撮影:栗原克己)

大規模な取り組みが競争力を創出

―― 今後の展開は。

梅田氏 これまで実施してきたプログラムでは、ものづくりのプロセスの一部しか網羅していません。さらに領域を広げ、より多様な知識やノウハウを学べるカリキュラムを開発するつもりです。例えば切削加工の場合、粗加工から仕上げまでの加工経路をCAM( computer aided manufacturing)ツールで定義できますが、その前に、どのように作業を分割して、どのような工具を使って加工するかは、人が考える必要があります。CAMによるデジタルなシミュレーションと人の知恵を、デジタル・トリプレットの基盤上で連携させることできれば、最後の仕上げまで考慮に入れた最適な加工手順の検討が可能になるでしょう。その過程をレシピ化すれば、これまで暗黙知とされていた経験に基づくノウハウなどの伝承も容易になるかもしれません。そうなれば、新人教育にも生かせます。

 このほか設計や保守などにも領域を広げて、最終的にはエンジニアリングチェーン全体をカバーできるようにしたいと思っています。これに向けて、研究施設内に設置している模擬生産システムの拡充を図ります。現在は1台のロボットからなる組み立てユニット1台だけですが、3種類の組み立てユニットから成る一段と複雑な生産システムを稼働させる予定です。すでに装置の設置が終わっており、いま調整作業を進めているところです。

(撮影:栗原克己)

―― デジタル・トリプレットを1つの企業の中では具現化できません。様々なプレイヤーを巻き込んで連携する必要があると思います。

梅田氏 確かにおっしゃるとおりです。企業の枠を超えて連携する仕組みは欠かせません。それを実現するには、様々な関係者の利害を調整しながらプロジェクトを推進するコーディネータが必要です。インダストリー4.0を推進しているドイツでは政府や欧州最大の研究機関であるフラウンホーファー研究機構などが、コーディネータの役割を担っているようです。実際、さまざまな企業や公共機関などを巻き込み、多大な予算を獲得している大きなプロジェクトに、同研究機構は数多く関わっています。日本でも、製造業のデジタル革新に向けた大型プロジェクトをけん引するコーディネータの登場を期待しています。コーディネータの活躍によって革新に向けた業界全体の動きが加速すれば、デジタル化がもたらす新しい時代の製造業において日本が先頭に立てる可能性はあると思っています。欧米のものづくりにはない、優れた現場力が日本の製造業にはあるからです。

(撮影:栗原克己)