「ファブラボ」の概念をものづくりの現場に

―― 講座の成果はいかがですか。

田中氏 今回の講座の中で、「金型の温度モニタリングシステムおよびタブレットアプリ」「恒温質の室温モニタリング」「吸湿性のある材料の保管に関する気温、湿度のモニタリング」など、それぞれの受講者が自分の職場のニーズに応じたシステムを考案し、実際に開発にも取り組みました。

 終了後、講座で学んだことを、すぐに自社で実践した方もいました。熊本県の樹脂メーカー、小森プラスチック工業の方です。射出成形機の金型温度をモニタリングする装置を開発し、これを工場の射出成形機に実装しました。これによって、1日6回、工場内を巡回しながら28台のアナログ温度計のデータを読み取る作業が不要になり、1日に180分も担当者の作業時間を短縮できました。実はこの方は、講座に参加する前にはネットワークやセンサーに関する知識はほとんどなかったそうです。

(撮影:栗原克己)

―― IoTデバイスやデータ収集の仕組みを実習で学べるセミナーや講座は、すでに数多く開催されています。こうした既存のプログラムとの違いは、どこにあるのでしょうか。

田中氏 特徴の1つは、データの取得から活用まで一気通貫で学べるプログラムになっていることです。さらに注目していただきたいのが、自社のニーズに適したフルカスタムのIoTデバイスを、3Dプリンターなどのデジタル・ツールを使って自分自身で作成することです。かつてファブラボで展開していたデジタル・ファブリケーションの概念を、センシングやモニタリングに適用したわけです。ファブラボは、あらゆるものを個人で作る「パーソナル・ファブリケーション」の場として注目を集めましたが、企業への展開は、「ものをつくる」というより、むしろ「現場環境をアップデートする」ことを目的とした、デジタル・ファブリケーションの新しい局面だと言えるでしょう。

 受講者が、自分の職場の課題を解決するためのソリューションを開発する点も重要な特徴です。講座で学んだ成果を、そのまま社内に残すことができます。従来のセミナーでは、同じ教材を使って参加者が同じものを作ることが多かったのではないでしょうか。この場合、ツールの使い方は習得できますが、実際に作成したものを自社に持ち帰って活用できるとは限りません。ファクトリー・サイエンティスト養成講座でも教材は用意しますが、教材をどう使うかについては受講者に任せています。

―― 成果がそれぞれの現場に残ることを重視しているのはなぜですか。

田中氏 自分の現場に最適な仕組みは、自分の手で作れるようになることが重要だと考えているからです。最近ではソフトウエアやデバイスのベンダーなどが、IoTを素早く実践するための様々なパッケージやキットを提供していますが、自社の用途にぴったりの仕様を実現できる、いわばかゆいところに手が届く仕様の製品は、なかなか見当たらないのではないでしょうか。そもそも、現場によってニーズは異なります。1つのパッケージやキットで、それらすべてにきめ細かく対応することは不可能です。この問題を解決するためには、ベンダー任せにするのではなく、ユーザー自身が開発した方が有利なのは明らかです。こうした役割こそが、ファクトリー・サイエンティストの重要なミッションだと考えています。

 もっとも自前で進めるのがよいと言っても、あらゆる仕組みを、将来にわたってずっと自前でということまでは求めていません。先進的な技術を持ったベンダーに頼ることも必要でしょう。このときに自前でも開発できるだけの知識や経験があれば、ベンダーが提案するソリューションを的確に評価できるので、ベンダーと協力しながら、かゆいところに手が届くシステムが実現できるはずです。

技術者の新たなキャリアパス

―― 学生など若い人材が、ファクトリー・サイエンティストを目指すようになるでしょうか。

田中氏 すでに、その兆しがあります。ファクトリー・サイエンティストにとって重要なスキルの1つに、データをいかに収集し活用するかを学ぶデータサイエンスがあります。最近では、IT業界だけでなく農業や食品、医療など、業界を問わず共通して必要な素養と位置付けられるようになりました。そこで慶應義塾大学 SFC(湘南藤沢キャンパス)では、このデータサイエンスを必須科目にしています。こうした環境で学んでいる学生たちの間で、製造業に対する関心が以前よりも高まっているようです。実際に私の研究室から、製造業に就いた学生もいます。大学で身に着けた技術や知識を現場で実践し、その成果を実感したいという希望が強く、あえて中小企業を選んで就職しました。

(撮影:栗原克己)

―― それは意外ですね。先進的なデジタル技術を学ぶ学生の間では、もはや製造業は人気がないのではないかと思っていました。

田中氏 今の学生は、生まれた時からインターネットが普及していた世代です。この4月に入学した学生は、多くが2000年生まれですから。この年代の学生にとって、製造業のようにアナログな領域が残っている世界は逆に魅力的に映っているのかもしれません。現場の課題を、大学で学んだデジタルな技術を活用して解決することに働く意義を見出しているのではないでしょうか。

―― ファクトリー・サイエンティストは、どのようなキャリアパスを進むと考えていらっしゃいますか。

田中氏 データという客観的な情報をもとに、企業の戦略を立案する役割を担う重要な人材になると期待しています。経験を積んだファクトリー・サイエンティストの中には、コンサルタントとして独立する人も出てくるかもしれません。そこでも、ものづくりの現場での経験は大きな強みになるでしょう。現場を正しく知っているコンサルタントは、製造業にかかわる企業にとって頼りになるはずです。

 ファクトリー・サイエンティストがスキルのレベルアップを図りながらキャリアパスを築けるように、養成講座を受講した人のコミュニティを立ち上げるつもりです。ファクトリー・サイエンティストの間で情報を共有できる基盤があれば、所属する企業に頼らずとも自らキャリアパスを開拓できるのではないかと考えています。また海外では、既にファクトリー・サイエンティストという肩書きを持つ技術者もいると聞いています。こうした方々と、日本のファクトリー・サイエンティストの交流の場を提供するのもよいかもしれません。

―― ファクトリー・サイエンティスト養成講座の今後の展開について教えてください。

田中氏 夏ごろに実施する2019年度の講座では、スケジュールの組み方など実施形式を変えることを考えています。受講者にとって、もっとも効果的な実施の仕方を探るためです。詳細は、ホームページ等で告知します。

 2020年度からは参加人数の枠を拡大し、大規模に展開するプランを温めているところです。ファクトリー・サイエンティストの輪を日本中の製造業に広げることで、日本のものづくりにおけるデジタル化を後押ししたいと思っています。

(撮影:栗原克己)