大切なのは異分野融合ができる環境

――田中さんが独創的成果を得たプロセスを聞くと、技術者が日々行っている技術開発の様子と大きな違いはないように思えます。

田中氏 画期的発明と評価される仕事がなぜ自分にできたのかを自問自答して、独創的な成果を目指すのならば、異分野融合ができる仕組みや場が極めて重要だということに気づきました。私が仕事をしてきた環境は、まさに異分野融合ができる環境だったと思います。

 Nature誌が発行する「Nature Index」のなかで、「High quality research output」のランキングが紹介されています。その日本企業を対象にした2018年版では、2位のリガク、3位の島津製作所、7位の日本電子など10位以内に分析機器メーカーが3社も入っています。これは、分析計測機器を作っている現場が独創性を生み出しやすい環境であることの裏づけだと思います。

 分析機器、特に私が開発に携わっている質量分析機器は、応用分野が広範にわたります。このため、様々な分野の専門家と雑多に議論する機会が多いのです。また、機器の実現に際しては、化学、物理、電気・電子、ソフトウエア、数学など様々な学問の知見を集めて作ります。つまり、こうした機器を開発する現場では、日常的に異分野融合が行われています。このため、専門性の殻を破るための気づきに出合える機会が多いのです。電気工学を専攻していた私に化学の発明ができたのも、こうした異分野融合の場に身を置けたたからだと思います。

(撮影:栗原克己)

――なるほど。イノベーション創出には、個人の資質を問うだけではなく、異分野融合ができる場が大切だということですね。

田中氏 その通りです。異分野融合の場を生かせば、凡才や素人でもイノベーションや独創を生み出すことができると思っています。元々、経済学者のシュンペーターによるイノベーションという言葉の定義は、「新結合」「新しいとらえ方・活用法」を意味しています。その実現手段として、異分野融合は極めて有用だと思います。

欧米をまねることで独創的成果は生まれるか

――日本のものづくり企業の多くが、イノベーション創出の重要性を口にするようになりました。そして、世界の先進企業からイノベーション創出の手法を学ぼうとする機運が高まっています。

田中氏 異分野融合の素地となる場は、大学より企業に、企業の中でもものづくりの現場でより生まれやすいと考えています。そして、それぞれの専門性を持つ人たちによる、チームワークが大切になります。チームワークという面では、日本は欧米よりも本来ずっと得意なのだと思っています。

 ところが、その日本の現場が独創性の発揮を阻害している。そんな先入観を抱いて、闇雲に欧米の手法をまねようとしている動きがあるように感じます。私は、欧米とは違う日本独自の独創性を生み出す手法があってよいと考えています。文化的な背景が違う欧米の手法を単純にまねたのでは、一歩も二歩も遅れてしまうのではないでしょうか。日本のものづくりの現場の文化や仕組みを生かしたイノベーション創出のあり方を探るべきです。

 今、日本に一番欠けているのは、自信だと思います。ものづくりで韓国・中国に抜かれて慌てていますが、自信を失うとせっかく持っている利点も欠点に思えてきます。本来の利点も含めて、過去のシステムや文化を全否定しがちです。確かに欧米や新興国から学ぶべきことが多いとも思いますが、目立っている大規模なイノベーションばかりを気にしていると、日本にしか生み出せないイノベーションの機会を失ってしまいます。日本の会社や社会の文化の中にはイノベーションを起こす仕組みがたくさんあるのに、それに気づいていないだけだと思います。

(撮影:栗原克己)

――異分野融合での強みを発揮するため、個人や組織にはどのような心がけが必要ですか。

田中氏 異分野融合は、まずお互いが取り組んでいることを理解するところから始まります。その時、他分野の人に自分が取り組んでいること、その素晴らしさを様々な分野の人々に分かりやすく説明するコミュニケーション能力が、極めて大切になります。話し上手である必要はなく、分かりやすく話す力が必要なのです。

 理系の人間は専門分野に閉じこもりがちで、他分野の人への説明に慣れていないという方が少なくありません。理系ならば誰でも知っている物理・化学・数学などの知識に置き換えたり、例え話にしたりして話せる力。例えば、台風の形は銀河の渦巻きに似ているとか、フラーレンはサッカーボールに似ているといったふうに話す能力が求められます。ついつい専門的な厳密さにこだわりがちですが、相手に分かりやすく伝わる方がよほど重要です。

――コミュニケーション能力は、個人の資質では済まされない、すべての技術者や研究者などが備えるべきスキルかもしれません。

田中氏 さらに、異分野連携するパートナーと出会う場を大切にする必要があります。技術者や研究者ならば学会など、企業ならば営業担当者を通じて、異分野の人に出会う様々な機会があるかと思います。この時、著名な人の意見を請うだけではだめで、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論ができるようなパートナーを見つけることが大切です。異分野連携の場は、忖度し合う仲良しクラブではありません。異なる観点を持つ人同士が真剣に向き合うことで、一人ひとりの知恵や常識の限界を突破できる場だと思います。

(撮影:栗原克己)

異分野融合の場から次々と生まれるイノベーション

――田中さんは、今も企業に籍を置く現役の技術者です。島津製作所のグループでは、どのようなイノベーション創出に挑んでいるのでしょうか。

田中氏 分析装置の進歩によって、これまで誰も見たことのないモノを見られるようにして、社会に貢献したいと考えています。直近でも、国立長寿医療研究センターなどと共同で、血液検査でアルツハイマー病変を早期に検出する手法を確立するという大きな成果を上げることができました。当研究所の金子直樹主任が中心となって取り組んだ仕事で、論文はNatureオンライン版に掲載されました。

 人間の体の中には、量が多いものから少ないものまで多種多様なタンパク質が含まれています。その量の差は、10ケタ以上もあります。量が少ないものでも大きな役割を果たしているものが数多くあります。医学では、少量のタンパク質の機能や挙動もしっかりと理解する必要があります。ところが、質量分析で定量的に評価できる範囲はせいぜい4ケタまでです。このため、どのくらいの量が含まれるタンパク質を検出するのか、当たりをつけて分析する必要があります。

 私たちは、分析の的を絞るため、たくさんあるものはゴミとして取り除き、量の少ないタンパク質だけを調べる方法を確立しました。直径0.001mm~0.1mmの酸化鉄の微粒子の表面に樹脂をコーティングし、その上にたくさんの抗体を生やした抗体磁気ビーズをつくります。そして、その抗体に特異的に結合するタンパク質を吸着させます。ここで吸着したのが、測定対象となる量が少ないタンパク質です。そして、磁石で抗体磁気ビーズを引き寄せ、吸着しなかったものを含む液体を取り除きます。さらに、残った抗体磁気ビーズに酸性の溶液を加えると抗体からタンパク質が剥がれます。この状態でビーズを取り除き、溶液に残ったものを質量分析します。

 血液の中に含まれるタンパク質の一種、アミロイドβの量を分析することでアルツハイマー病の進行を検知することが期待されています。今回開発した質量分析技術を使って高齢者の血液を分析したところ、アミロイドβ関連分子が新たにいくつも見つかりました。これまで、専門家の誰も存在するとは考えていなかった分子です。この量の変化に注目すれば、アルツハイマー病の超早期状態を検知できる可能性があります。

――医療機関との異分野融合によって、次々とイノベーション創出が生まれているのですね。

田中氏 国立長寿医療研究センターをはじめとする方々とは、まさに侃々諤々の議論を重ね、この成果にたどり着きました。これからも、多くの業種・業界の方々と共に、社会の発展に貢献できる独創的な仕事に取り組んできたいと思います。