事前に新規開発のリスクを抑制

―― 市場に全くない製品は、製品化しても売れるとは限りません。開発が無駄に終わることもあるのでは。

大坪氏 確かに自社の力をすべて投入し、時間をかけて1つの製品を開発するようなやり方をすれば、それが失敗した途端に投じたリソースは、すべて無駄になってしまうでしょう。そうなると企業の経営を揺るがすことになりかねません。

(撮影:栗原克己)

 我々はそのようなビジネスはしていません。よい結果を出すために全力で開発に取り組むのは当然ですが、その過程で外部に流出するキャッシュについては、あらゆる可能性を念頭において管理しています。つまり、提携する企業との間で役割の分担を明確にしたうえで、よい結果が出なかった時の対応についても提案の時点できっちり説明します。こうして発生した損失を分担してもらうことを、あらかじめ納得してもらってから開発に着手しています。

 例えば、時計師の浅岡肇さんと協力して、ほとんどの精密部品を切削加工で作ったオリジナルの腕時計を開発したことがあります。この時、工具メーカーのOSGさんもプロジェクトに加わっていただきました。実は時計作りで大きな費用がかかるのは専用工具です。ここで発生する費用の負担をOSGさんがシェアして下さったことで、当社は開発時のキャッシュの持ち出しをぐっと減らすことができました。このおかげで、作った時計が1本も売れなかったとしても、時計を開発した経験や実績が後に生かせると考えることができ、プロジェクトの着手に踏み切ることができたのです。実際、あの時計を発表してから、海外から同様の精密加工の注文が数多く入るようになりました。

独立時計師である浅岡肇氏と工具メーカーのOSGとの共同プロジェクトで開発した機械式時計
(画像提供:由紀精密)

―― 未知の製品でも何をもって成功とするかを定義しておけば、売れないというリスクも許容されうるというわけですね。

大坪氏 こういうことができるのも、当社が従業員40数人と小規模で、下請けという形態を維持しているからでしょう。大会社の経営者は、このような考え方は、なかなかできないと思います。だから私は下請け企業という現在のポジションを脱却したいとは思っていません。ただし、あらゆるものづくりにおいて“源流“をたどっていくと、私たちのところにたどり着くと言われるような、豊富な技術や優れた開発力を持った下請けになりたいと思っています。これが当社の理想です。

 下請けという立場の企業にとって怖いのは、納入先からの注文が途絶えること。すなわち自社が作ったものが使われなくなった時です。そのような事態を防ぐためには、取引先の数だけでなく、取り引きする業界の幅も広げていかなくてはなりません。研究や開発は、そのための活動だとも私は考えています。

自由な雰囲気が人材を引き寄せる

―― 社内を見回すと若いスタッフが多いようです。中小製造業では若い人材の採用に苦労していると聞いています。

大坪氏 採用に関して苦労してないというわけではないですが、最近は当社のことを自分で調べて応募してくる学生の方がいます。こうした学生の皆さんは、当社の自由な雰囲気に魅力を感じてくれるようです。自分の思いを実現できると考えてくれているのでしょう。応募書類に、自分の意気込みを自由に書いてもらう欄を設けると、記入欄いっぱいに書き込んでいる方ばかりでした。

(撮影:栗原克己)

 航空宇宙の仕事を手がけるようになってから、こうした学生の方が増えてきたようです。実際、各自がやりたいことを自由にやれるように、会社としては細かいマネジメントは、あえてしないようにしているつもりです。

―― 由紀精密は、ICT(情報通信技術)を活用した新しい仕組みの導入にも前向きです。こうした姿勢も、若い人材を引き付けているのではないでしょうか。

大坪氏 ICTを活用したデジタル化の取り組みは採用に関係なく、今や製造業に関わる企業にとって避けて通れないテーマです。既に部分的に利用する企業が増えていますが、今後は企業を支える仕組み全体において必要なところではデジタル化を進めるべきだと思っています。由紀精密においても、必要に応じてICTの導入は進めるつもりです。

 ただし、デジタル化はツールありきで進めるべきではありません。ニーズが先にあり、そのためのデジタル化でなくては意味がありません。ニーズありきでデジタル化を進めるためにはニーズを知る現場の人がデジタル化を主導する必要があります。

デジタル人材は現場から

―― 慶應義塾大学の田中浩也教授が、製造現場でデジタル化を推進する人材を育成する「ファクトリー・サイエンティスト育成講座」(関連記事)を立ち上げました。このキッカケとなったのは、大坪さんとのディスカッションだったと聞いています。

大坪氏 その通りです。以前からデジタル化を推進する人材は、製造業の中でも積極的に育成した方が、デジタル革新を合理的かつ速やかに進めるうえで有利だと思っていました。優れた機能や性能を備え、しかも比較的簡単に使えるICTツールの数が、この十年ほどの間に増えたからです。例えば、データを収集したり、処理したりするサーバーはクラウドを利用して素早く安価に構築できるようになりました。無料で使えるツールもあります。こうした情報を、現場の方々が知っていると製造業のデジタル化が加速するはずです。社外のベンダーと対等にディスカッションしながら必要に応じたICTツールを導入できるからです。高度なシステムでなければ、自らの力でシステムを構築する企業も出てくるでしょう。

―― 由紀精密は、これからどのような方向に発展させる考えですか。

大坪氏 会社の規模を大きくすることは考えていません。小回りの利く規模を、今後も維持したいと考えています。

 開発部から生まれた製品が思いも寄らぬヒットに及んで、大量生産が必要になることもあるかもしれません。それはそれでうれしいことですが、大量生産が必要な事態になった場合は、自社の製造設備を拡張するのではなく、OEM(Original Equipment Manufacturer)の力を借りればよいと思っています。自社で設備を抱えると、新しいことにチャレンジする時の足かせになるかもしれないからです。我々は、あくまで「町工場」のポジションを維持しながら、新しいものを開発し、新たな技術領域を開拓することに注力したいと思っています。

(撮影:栗原克己)