「量子コンピューター」。これほど、一般人の立ち入りを拒絶するような言葉もなかなかない。量子コンピューターとは、量子力学と呼ばれる一般の人には不可思議で仕方ないルールを利用した新しい形のコンピューターである。近年、量子力学を利用した技術の進展は目覚ましく、その一つのゴールが量子コンピューターである。同様に量子力学を利用した技術として最近話題に上るようになった「量子アニーリング」。それを実装した「量子アニーリング・マシン」という装置は、すでに実用化されており、応用開拓の段階にある。しかも、いち早く産業の発展に役立つ使い方が分かってきた。その最新状況と今後の可能性について、量子アニーリング・マシンを実際に使いながら応用開拓に取り組む東北大学大学院情報科学研究科准教授の大関真之氏に聞いた。

――量子コンピューターや量子アニーリング・マシンという技術の名前は、最近よく耳にするようになりました。従来コンピューターとの違いを教えてください。

大関氏 とりあえず私自身の研究の舞台である量子アニーリングに限定してお話しすると、量子アニーリング・マシンに興味を持つ人や企業が次第に増えています。テレビや雑誌などの報道などでは、従来のコンピューターでは解けなかった難解な問題を、より高速に計算できるかもしれないといった期待が寄せられています。いかにも、現在のコンピューターを置き換える存在であるかのようにとらえられがちですが、量子アニーリング・マシンについては、これは誤解です。実際には、どんな処理でも高速化できるわけではありません。量子アニーリング・マシンは、ごく限られた種類の問題を、手軽に、少ない手数で、速く解くアクセラレーターのようなものです。

(撮影:栗原克己)

身近だが解けなかった問題の答えが瞬時に

――量子アニーリング・マシンが得意な問題とは。

大関氏 量子アニーリング・マシンは、「組み合わせ最適化問題」と呼ばれる問題を解くことができます。具体的には、複数の目的地すべてを最短経路で回る巡回セールスマン問題や、仕事やプロジェクトのタスク管理やスケジューリングなど、実社会での応用として想像できる身近な問題の例として、そのようなものがありますね。製造業ならば、工場内を動き回る複数台のロボットが、衝突することなくそれぞれのタスクに応じて、目的地に到達する経路を導き出す問題なども含まれます。

 こうした問題は、一般に既存のコンピューターでは解くことが難しいとされていました。全く解けないわけではないのですが、莫大な時間や効果に見合わないほどのコストが掛かるため、解くのをあきらめて、熟練者の経験をあてにして処理していた問題です。こうした、身近だが解くことが難しかった問題が、量子アニーリング・マシンの実用化によって、一瞬でそれなりの答えを出せる見込みが出てきたのです。

――量子アニーリング・マシンは、なぜ組み合わせ最適化問題を簡単に解くことができるのですか。

大関氏 例えば、箱の中にパチンコ玉を適当に詰め込んだとしましょう。すると、隙間がたくさんできてしまいます。この状態は、無駄な部分が残された、最適な配置・配列ができていない状態だといえます。ここで、箱の空間を有効利用して、隙間が最小化できるように玉を詰め込む最適な配置・配列の解を求めようとします。玉を規則正しく、隙間ができないように1個1個配列していく方法が最も素朴なアプローチです。しかし、これは結構時間が掛かる方法です。もっと簡単で自然の力を生かして短時間に最適化を得る方法があります。箱を揺らしてやればよい。それぞれの玉が同時に動き、ぶつかりながら、最も落ち着く場所に収まっていきます。これが、自然の中に潜んでいる力を利用して最適解を導き出す解法です。

 量子アニーリング・マシンは、基本的にはこれと同じような原理で最適解を探ります。ただし、パチンコ玉ではなくて、抽象的なデータを数値化して、その数値に見合った実体のある別のモノに置き換えて、お互いに影響し合う状況を人工的に作り上げます。この人工物を実際に揺らして、落ち着くところを探らせるというわけです。そこで自然の力を借りることができます。ここに、複数の状態が重ね合わさって存在する量子の性質を応用したのが量子アニーリング・マシンです。具体的には、超伝導物質で作った回路中を流れる電流が、右回りと左回りのどちらに流れているのか分からない状況を作り、それを複数のデータが重ね合わされた状態を表現するのに利用します。そして、しばらく放っておくと最終的な落ち着きどころに至ります。これを読み出して最適解とするのです。しばらくといっても、たかだか20μ秒と短時間で落ち着くため、極めて高速に解が得られます。

(撮影:栗原克己)

応用開拓で産業界が先行

――解を計算しているというより、ほとんど物理や化学の実験をしているかのように聞こえます。でも、最終的に落ち着きのよいところに至るというのは、直感的に分かります。組み合わせ最適化問題以外に、どのような応用に適用できるのでしょうか。

大関氏 現在見えてきた量子アニーリング・マシンの応用は大きく3つあります。すなわち、「組み合わせ最適化問題」「量子シミュレーション」「機械学習の学習処理の効率化」です。これらのいずれもが、産業界、特に製造業における技術開発や生産において多くのニーズがあると考えています。量子アニーリング・マシンは、適用できる問題が限られています。しかし、その限られた適用先が産業界に大きなインパクトをもたらすものが多く、しかも実用化で先行したことから、応用開拓と技術開発が一気に加速しているのです。

 なかでも量子シミュレーションへの応用は、産業界に与えるインパクトが極めて大きいと考えています。自然界にある物質の性質は、それをかたち作る原子や分子の量子力学的な挙動によって決まります。量子アニーリングは、その量子力学の原理を活用した情報処理手法です。だから、量子力学が関連する自然現象を表現し、挙動を再現するのに向いています。

 これまで、材料や薬品を開発する際には、原子や分子の自然な振る舞いを人間と機械が扱いやすい近似的なモデルで模倣し、スーパーコンピューターなどを使ってシミュレーションして、材料や薬品の性質を洞察していました。自然現象を、人間や機械が扱いやすい形に直しているため、実際に起きる現象を正確に表現できない部分や、情報処理の手法として非効率な部分がどうしてもあったのです。しかし、量子力学的にネイティブな表現で原子や分子の自然な状態を表し、シミュレーションできれば、こうした不正確さや非効率的な部分は解消します。このため、新材料や新薬の開発を加速することができる可能性があるのです。

――量子シミュレーションに応用した場合、スーパーコンピューターで出せなかった結果が得られるのでしょうか。

大関氏 これまでは、比較的長時間を要する化学現象を再現したくても、コンピューターの計算能力がまったく足りていませんでした。極めて短時間で起きる現象しか表現できなかったため、本当に安定した化合物が出来上がるのか、時間の経過と共にどのようなことが起きるのかが分からなかったのです。これまでシミュレーションできなかった部分で起きることを知るためには必ず実験が必要になり、その分、研究開発のコストが増えていました。量子シミュレーションの研究が進展すれば、こうした問題が解消できる可能性があります。

今は種まきと水やりの時期

――量子アニーリング・マシンは、適用できる問題は限られているといいながら、その応用は意外と広く、しかも産業界にとって有用な応用が多いということですね。

大関氏 その通りです。応用可能な分野は広いと思います。ただし、現状の量子アニーリング・マシンは、生まれたばかりの非力な状態です。期待通りの成果がすぐに得られる状態になっているのかと問われれば、そのような状態ではありません。実用化したての発展途上の段階にあるマシンであり、精度はそれほど高くはなく、扱うことができる問題の規模も小さいため、応用開発の際には様々な制限が加わります。ただし、今後、急速に性能向上が進む可能性は非常に高いです。だから、今のうちに量子アニーリングの使いどころを知り、扱い方を熟知しておくことが重要になってくると思います。

――現時点で量子アニーリング・マシンの扱いに取り組んでいる人たちは、すぐに成果を求めているのではなく、将来の収穫に向けて、種まきと水やりをしているということですか。

大関氏 解きたい問題を片っ端から試して、何ができて,何ができないのか見定めている段階ですね。商用の量子アニーリング・マシンが実用化し、クラウドサービスとして提供されるようになったことで、手軽に試せるようになったことが極めて重要です。こうした新しいツールは、いち早く使いこなした人が、確実に果実を手中にするになるでしょう。世界では米ロッキード マーティン社と南カリフォルニア大学、NASAとGoogle、ロス・アラモス国立研究所、オークリッジ国立研究所を始め、多くの研究機関がその新しいツールを互いに競いながら利用しています。彼らの研究の量には圧倒される部分は大きいですが、狙っているところや解決する方法について、まだまだ負けていません。今がチャンスです。

 私たちがクラウドを介して使っている量子アニーリング・マシンは、カナダのD-Wave Systems社のマシンです。扱うことができるデータの規模は、2048量子ビットです。この規模は、まだ小さいものです。このため適用できる応用は限られています。それでも、このマシンを使って独Volkswagen社 がセンセーショナルな成果を発表しています。同社は、北京市の渋滞を解消するためのクルマの最適な誘導法探索などに応用しました。額面通りの効能の一端が垣間見える状況になってきており、使いこなしのうまさを競う競争が激しくなってきています。(後編に続く)

(写真提供:D-Wave Systems)