今、産業界では多くの分野でイノベーション(革新)が求められている。だが、イノベーションを実践するうえで、その障害となる“壁”がつきものだ。こうした“壁”を幾度も超えながら革新を続け、多くの分野の発展に貢献してきたのが半導体業界である。そこで、近年の半導体の進化のカギとなった革新的な技術の1つであるCMP(Chemical Mechanical Polishing:化学的機械研磨)の開発に長く携わってきた荏原製作所 執行役専務 辻󠄀村学氏に、イノベーションの“壁”を乗り越えるための考え方や具体的なアプローチについて聞いた。前編では、CMPを題材に革新的な技術が生まれる経緯に迫った。後編では、イノベーションの実現に向けて構築した同社のユニークな研究開発システムのコンセプトを明らかにする。

 半導体チップのように、50年以上にわたってハイペースでの性能向上を継続できている工業製品は類を見ない。その進化の過程で数々のイノベーションが生まれたからこそ、私たちはその恩恵を享受できている。そのイノベーションを実現する大きな力をもたらしたのが、「半導体チップに集積可能なトランジスタの数は、2~3年ごとに倍増する」という「Moore(ムーア)の法則」と呼ばれる有名な技術トレンドである。この“法則”を提唱した、Gordon E. Moore氏が、この50年間で最も驚いた技術として挙げたのがCMP(概要は下記の「Mooreの法則を30年延命させたCMPとは何か?」を参照)である。(聞き手=伊藤元昭)

――人工知能(AI)や自動運転車など、社会の姿を一変させるような技術が広く使われる見込みです。そうした技術の進化を支える半導体には、さらなる進化が求められますね。

辻󠄀村氏 半導体は、まだまだ進化していくでしょうし、進化させなければならないと思います。 半導体業界には、技術開発の挑戦目標を明確に示す2つの重要な技術トレンドがあります。1つは半導体チップ上に搭載可能なトランジスタの数が2~3年で倍増していくことを予見した、いわゆる「Mooreの法則」。1964年にインテルのGordon Moore氏がたった4ページの論文で披露しました。そして、もう1つがMooreの法則を維持するには半導体デバイスのサイズを毎年0.7倍(面積で半分)のペースで縮小していく必要があることを示した「スケーリング則」です。1975年に、IBMのRobert H. Dennard博士が提唱した微細な電子デバイスを作る際の技術開発指針を体系化したものです。

荏原製作所 執行役専務 辻󠄀村学氏
(撮影:栗原克己)

 半導体チップは、これらの技術トレンドに沿って50年以上にわたって進化してきました。半導体業界は、この2つの技術トレンドの維持を大目標とし、それを実現する要素技術を明確にした技術ロードマップを共有して、様々な業種の企業が得意分野で分担開発してきました注1)。半導体チップの目覚ましい進化は、こうした多くの企業の努力の賜物だと言えます。

注1)半導体デバイスの加工線幅が初めてサブミクロンの領域に突入した1991年、「Micro Tech 2000 Workshop Report」と呼ぶレポートが米国で出された。そして、業界団体であるSIA(Semiconductor Industry Association)が「NTRS (National Technology Roadmap for Semiconductor)」と呼ぶ米国における半導体チップ開発の技術ロードマップを作成するようになった。その後、最先端の半導体の開発は米国だけで進めることが困難になり、日本、EU、韓国、台湾が参加して国際ロードマップ「ITRS (International Technology Roadmap for Semiconductor)」を作成するようになった。2015年にロードマップの役割は終わったとして、SIAがロードマップの策定活動の停止を宣言した。しかし、実際にはその活動自体は止まることなく、現在も新しいロードマップ活動が引き継がれている。

50年以上、指数関数的進化を続ける稀有な工業製品

――確かに、半導体チップほど、ハイペースでの進化を長きにわたって継続している工業製品はないと思います。

辻󠄀村氏 半導体チップがこれほど進化できたのは、業界全体で技術ロードマップを共有し、関係各企業がそれぞれの持ち場で求められる技術を確実に実現してきたからです。

 私は、技術ロードマップとスケジュールは全く別物だと考えています。スケジュールは、できそうなことを日程としてまとめたものです。これに対し、ロードマップは関係者が合意した最終目標に向かってやり遂げる意志を共有したものです。半導体技術は、電気・電子、物理、化学、機械、材料、制御など多様な技術の複合体です。一部の技術のがんばりだけでは、新しい半導体チップは作れません。このため、技術ロードマップを様々な業種の企業が共有し、業界全体で歩調を合わせて技術を進化させていく必要があるのです。

――自社の技術開発が業界全体の進化・発展につながるので、責任は重いですね。

辻󠄀村氏 半導体業界では、チップ上に形成するトランジスタや配線の加工線幅を指標として、2年ごとの微細化目標を決め、その実現に欠かせない要素技術をロードマップとして明示しています。10年以上先まで、採用候補となる要素技術の到達目標が書かれているのです。そして、それら要素技術が1つでも実現できなければ、チップは進化できません。だから、持ち場にどのような高い壁があったとしても、それを乗り越える強い意志とたゆまぬ努力が求められます。

――Mooreの法則の継続を危ぶむ声が出るまでに、半導体技術は進化しています。これからも進化できるのでしょうか。

辻󠄀村氏 確かに、半導体チップが進化し続けるたびに、超えるべき技術の壁はどんどん高くなってきています(図1)。ロードマップ上では、2020年に加工線幅が5nmに達します。この世代は、技術的に極めて大きな壁だと思われていました。しかし現状では、半導体業界の各社の努力で、間違いなく超えられるという感触が得られる状況になっています。しかし、その先には、さすがに乗り越えられない“Red Cliff(赤い壁)”が立ちはだかると業界では考えられています。

図1 技術ロードマップをクリアする度に、より高い壁が現れる
(図版提供:荏原製作所)

 今、半導体の応用市場は、爆発的に拡大しています。これまではパソコンやスマートフォンなど、1つの応用機器が半導体市場の成長をけん引していました。これが今では、IoT、クラウド、AI、クルマ、5Gといった半導体の応用市場が生活や社会を一変させるといわれています。私は、これら、爆発的な成長の前夜にある応用をひとくくりにして「ICAC5(アイカック・ファイブ)」と呼んでいます。ICAC5を実現するためには、半導体の進化を停滞させることはできません。2025年~2030年には加工線幅は、14Å(オングストローム、100億分の1m)というデバイスのサイズが原子の大きさに迫る時代に突入する見込みです。無理な目標のように見えますが、人間の欲求ある限り、その実現を目指すことになるでしょう。半導体に対する進化のニーズは永遠に不滅です。そして、その半導体の実現を支える装置産業も不滅でなければならないと私は考えています。

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Mooreの法則を30年延命させたCMPとは何か?

 CMP(Chemical Mechanical Polishing:化学的機械研磨)とは、半導体チップの生産工程の中で、チップ表面の細かな凹凸を平坦にならす研磨技術である。

 半導体チップの上には、ナノ(10億分の1)メートル・レベルの線幅の配線を張り巡らせた回路パターンが描かれている。こうした微細なパターンをチップ形成基盤であるウエハーに転写する際には、その表面が平らでないと正確に転写できない。凹凸のある壁にプロジェクターで画像を映しても、まともには映らないのと同じ原理である。また、たとえ何とか配線が形成できたとしても、素地に凹凸があると歪んだ低品質の配線しか形成できない。半導体チップが進化し、搭載する回路が複雑化する過程で、配線を多層化する必要が出てきた。すると、重ねる配線層が増えれば増えるほど、凹凸が大きくなっていった。CMPは、こうした凹凸を平坦にならすために使われる(図A)。

図A CMP導入前後での半導体チップ断面の形状の変化
(図版提供:荏原製作所)

 ナノの精度で作られる半導体チップは、地球上で最も清浄な環境であるクリーンルームの中でしか作れないというのが常識だ。このため、凹凸を平坦化する技術も当然クリーンな技術が求められる。CMP登場以前の平坦化技術には、真空中で処理する極めてクリーンな技術が使われていた。ところが、凹凸を十分に抑えることが困難だった。この平坦化の継続が困難なことを理由にして、Mooreの法則の継続が困難であるとする声もあった。

 この状況を打破したのがCMPである。CMPならば、チップ断面の形状を、あたかも定規で描いたかのように平坦にできる。ただし、この技術は、半導体の製造工程としては極めて異端の存在だ。前述したように半導体チップの製造はクリーンルームの中で行われる。ところがCMPは、いわば焦げた鍋をクレンザーでゴシゴシ洗うような工程である。それをナノレベルの回路パターンを描いたウエハーに施そうというのだから、半導体の専門家であるMoore氏が驚いたのも無理はない。だが、その異端の技術が実用化したからこそ、Mooreの法則を30年以上延長させることができたのは紛れもない事実である。

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