「障害者=いつも配慮される存在」になりかねない「多様性」

――その「違い」というのは、最近よく使われている「多様性」という言葉とはニュアンスが違うように思えます。伊藤さんは「多様性」のあり方について、「あまり好きではない」と発言もされていますね。

伊藤 そうですね。最近はいろいろなところで「多様性」という言葉が使われていますが、まず、当事者はあんまり多様性という言葉は使わないんです。そこにまずギャップを感じています。

 「多様性」という言葉が広まることで、(障害者への)理解が深まるのはすごくいいことなんですが、同時にすごくステレオタイプなラベリングになってしまいかねないんですよね。

 そうなると、「あ、この人、目が見えないんだ。じゃあこういう配慮をしなきゃいけないね」ということになって、いつも配慮される対象になる。すると、当事者は「いつも障害者を演じなきゃいけなくなる」ということがあって…。

――伊藤さんの著書を読むと、例えば「視覚障害者」といっても、人それぞれ感覚が違うことに気付かされます。

伊藤 もちろん障害のことは知ってほしいですし、必要な配慮はしてほしいと思います。でもやっぱり、当事者からするとずっと障害者として扱われ続けるのはしんどい。普通の人として接してほしいと思いますよね。

(写真:鈴木愛子)
(写真:鈴木愛子)
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 そういう意味で私がいつも言っているのは、「その人の中に様々な顔がある」ということです。「社会の中には様々な人がいる」ということよりも、その人の中の多様性のほうが大事なんじゃないかと思っているんです。

 「この人は視覚障害者」だと思うと、いつもその顔しか見えないけれども、違う側面が存在するんだということを意識して接していると、その人が(障害の話とは)全然違う話の相談相手になったりするわけです。自分の子どもの教育についてすごく悩んでいたときに、その視覚障害の方にも子どもがいたりすると、ちょっと子育てのことを相談できたりもしますよね。

 こうやって違うチャンネルでもたくさんつながれるわけです。でも、どうしても「多様性」という言葉には、その障害者の「障害」の部分だけでつながろうとしてしまう力というのがある。それがちょっと窮屈なんじゃないかなって思っています。

――そういった「障害者と健常者」という枠組みではないコミュニケーションは当然あるわけですが、一方で、障害者と健常者とでは違うところもたくさんあります。

伊藤 もちろんそうです。そして、障害を持っている人はとてもイノベーティブだと思うんですよね。

――どのあたりにそれを感じますか。

伊藤 「世界と自分がフィットしてない」というのが障害の定義です。この世にこの体で生まれてきたけれども、環境が自分に合ってないという人が障害者ですよね。そのときに、社会を変えていくことがまずは重要なんだけれども、いまだ埋めきれない日々のギャップに対して、「どうやってこの環境に自分の体を添わせるのか」「うまく組み合わせることができるのか」ということについて、いつも工夫をしているのが障害を持っている人なんです。

――ずっと自分で工夫し続けないと、社会とつながれないわけですね。

伊藤 そうですね。だから健常者って「ぼーっとしていられる人」だと思うんですよね(笑)

――確かにそうかもしれません(笑)

伊藤 それで、この前の冬に、知り合いの人にニット帽をプレゼントしたんです。その人は病気で片手が使えないんですが、「ニット帽、ありがとう」というメールの最後に「どうやったらこのニット帽を自分がかぶれるかを、今研究しています」って書いてあって…。確かに、ニット帽を片手でかぶるのはすごく難しいですよね。

 もともと人間関係ができていたので成り立ったやり取りだとはいえ、これって一歩間違えると「私の配慮が足りない」っていうことにもなるケースだと思うんです。でもそうではなく、むしろ前向きに捉えてくれる力というのが、実は彼の中にあったわけです。

 もちろん、ベースに信頼関係があるということはとても大事だと思いますが、これを配慮、配慮で接しすぎてしまうと、彼らの創造的な部分を発揮できなくしてしまうことにもなりかねないわけですよね。

――もしかしたら、そういったところから、例えば「片手でも被りやすいニット帽」が生まれるかもしれません。

伊藤 そうですね。彼らが持っているちょっとした工夫というのは、やっぱりすごいなと思うんです。ちょっとしたゲーム、例えばオセロゲームをするとき、普通にやったら視覚障害者はどっちが黒でどっちが白か分かりません。そうすると、どうやったらできるんだろうと工夫をし始めるんです。片面に何かシール貼っておこうとか。

 そんなふうに、すべてのものごとに“翻訳”とか“変換”が入るんです。常に障害という要素が入ることで、これまでとは違う発想がその場にもたらされる。障害者がその場に入ることで、当事者である障害者だけではなく、場自体がものすごく創造的にならざるを得ないわけです。そこがやっぱり面白い関係性だと思います。