新しい発想は、雑談から生まれる

――伊藤さんの専門は美学ですが、今、アートとビジネスの関係性といったことが盛んに言われています。美学という領域から見えてきた障害者と健常者の関係性や、そこから生まれた発想をビジネスに生かすといったことは考えられますか。

(写真:鈴木愛子)
(写真:鈴木愛子)
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伊藤 私自身はビジネスという視点で考えてはいませんが、生活の中でのヒントは障害者の方から常にもらっています。多分ビジネスでも何かヒントになるものはあるんじゃないかなとは思います。

 抽象的な話になってしまうのですが、美術の世界の面白さというのは「対立している方が楽しい」ということなんです。つまり、作品には解釈が複数あってもよくて、正解はない。しかも自分と全然違う解釈を聞いても面白いわけですよね。つまり、自分の考えを変えなくても、人の考えが分かるわけです。「ああ、この絵ってそういうふうにも見えるんだ」と考えられるというところが、やっぱり面白いと思っているんです。

 それに対して、ビジネスの世界の人と時々お話しをすると、どうしても二項対立的な発想が多いのかなと感じることがあります。利益の追求が大前提の目的だから当然といえば当然なのですが、Aがあって、Bがあったとすると、「AとB、どちらがいいか」という発想になりがちですよね。ビジネスの世界だとそうせざるを得ないのかもしれませんが、でも、美術の世界というのはそこがまったく違っています。「AとB、両方面白いよね」とか「AとBがあるんだったら、Cじゃん(笑)」みたいな考え方をするんです。その「AとB」の「と」というところが面白い。その間が面白いみたいなことだったりするので、そういうところまで入っていただけるといいのかなとは思います。

 18世紀に市民社会ができて、みんなが自分の利益を追求するようになっていったこの時代に、カントという哲学者がいました。彼は美というものの役割は無関心性だと言ったんですね。無関心というのは、興味がないという意味ではなく、自分の利益と関係ないというところに行ける、ということです。そのことが「美」というもののすごさだし、社会的な役目だと言っていたんですけど、私は本当にそうだなと思っていて、利害関係みたいなものからいったん離れて、自分はこう思う、ほかの人はこう思う、違うのが面白いねと言えたりとか、そういう役割が美術にはあると思っています。そうした、ちょっと違う人と人との関係をつくる場が美術なんだというところに共感していただけると嬉しいなと思います。

――では最後に、これはビジネスに限った話ではありませんが、新しいことを始めようとする人、あるいは、新しいテーマを見つけようとしている人に、アドバイスをお願いします。

伊藤 「雑談を大事にしましょう」ということでしょうか。うちのセンターでは、会議もするんですけど、雑談でいろんなことを決めるというか、決めると言っても「あれは…決めてるのかな?」というような感じで話が進んでいきます。最初の計画どおりに進むということも大事なんですけど、そこから新しいことは生まれないので。

 「生成的コミュニケーション」と私は言っているんですけど、何か役割がいろいろ切り替わったり、最初からゴールが見えているわけではないような状況で、雑談のようなところから生まれてくるものがたくさんあるんじゃないかなと思っています。

――コロナ禍の中、どうやって雑談の場を維持するのかが課題となりそうです。

伊藤 そうなんですよね。SNSでつながるなど、会っていないときに相手が何をしているのかを知ることがすごく大事になってくると思います。

 おそらく、その人の見えてない側面みたいなものを探すという作業が雑談だと思うんです。様々なトピックが投げ込まれたときに、「あ、それって俺、すごい詳しい」みたいな、これまで見えていなかったその人の側面が急に出てきて、そこから新しい研究のテーマだったり、何かが生まれるということも珍しくありません。その見えていない側面を探す努力というのは、多分、これまで以上に必要になるんじゃないかなと思います。

インタビューを終えて
カメレオンの独特な動き、フクロウの回る首が好きだという伊藤さんは、元々は生物学者を目指していました。“人間とは違う体”の生きものに興味を持ったからです。

やがてその興味の対象は、一人ひとり違う“人の体”へと向かい、独創性の高い研究につながります。

日経BP 総合研究所に属する私は、様々な企業の方から新事業を創出するためのイノベーションをどうやって起こすのかという相談を頻繁にいただきます。そんなとき私は、「自分たちと“ねじれ”の位置にある、まだ知覚していない企業・人と出会う必要があります」と、いつも答えています。その“違い”が、イノベーションを生む大きな原動力となるからです。

そして、“違い”を見出し受け入れるには、柔軟な発想が必要です。今回、伊藤さんのお話をうかがうなかで、“違い”を見出すための精度を高めることが、より深い“違い”の理解につながるのだと再認識しました。

新しい発想を得るには雑談、つまり生成的コミュニケーションが大事だと伊藤さんは言います。気楽な雑談がきっかけとなり、お互いの見えてない側面が引き出され、そこから新しい展開が生まれる――。コロナ禍の今、そんな雑談の機会を持つことは難しい状況にありますが、デジタルもアナログも駆使して、より多くの、自分とは違う人に興味を持つことが、イノベーションを生み出す力となるでしょう。
高橋博樹(たかはし・ひろき)
日経BP 総合研究所 戦略企画部長/ソリューション・アーキテクト
高橋 博樹(たかはし ひろき) 日経BP入社後、インターネット草創期のビジネスモデルづくり、ICT、建設など幅広い分野を担当。2015年9月、日経BP総合研究所の発足と同時に戦略企画部長に就任、現職。「新・公民連携最前線」「Beyond Health」の2つのメディアを創案して立ち上げた(写真:栗原克己)