SDGs未来都市として「教育」も重視
――大崎町は2018年に「ジャパンSDGsアワード」を受賞、19年には「SDGs未来都市」に選定されます。ごみの分別リサイクルから、どのようにしてSDGsという大きな目標に移行していったのでしょうか。
松元 移行したと言うより、もともと大崎町でやってきたことがSDGsなのです。資源ごみの中間処理を担う「そおリサイクルセンター」ができたことで、雇用も生まれています。リサイクルをベースに、社会や経済の方面へ取り組みが広がっていったのです。
資源ごみの売却益が町に入るようになったことで、その一部を活用して18年にはリサイクル未来創生奨学金制度も創設しました。大崎町の子どもたちの勉学を支援し、故郷の活性化を担う人材に成長してもらおうという試みです。奨学生が大崎町に戻って10年間住み続けると、償還額と同額が補てんされる仕組みです。環境だけでなく、そうした経済、社会への取り組みをSDGsの文脈でまとめ、「ジャパンSDGsアワード」に応募したところ、内閣官房長官賞をいただきました。
――大崎町は「リサイクルの町から世界の未来をつくる町へ」と題して「サーキュラーヴィレッジ・大崎町」構想を打ち出しました。その経緯を教えてください。
松元 SDGs未来都市に選定され、改めて大崎町内の資源の循環について見直し、資源循環を確立するためには大崎町だけではできないことについてもアプローチが必要だという考えに至りました。大崎町でリサイクルしている製品をつくっているのは町外の企業です。ならばその企業に対して過剰包装の廃止や商品の提供方法を変えるよう働きかけていき、資源の消費を極力抑えた社会を実現したい。資源の流れを、社会全体の課題としてとらえ直したのです。そして、課題を外部の民間企業の方々と共に協力して解決していこうと「一般社団法人大崎町SDGs推進協議会(以下、大崎町SDGs推進協議会)」が21年4月に設立されました。
――「大崎町SDGs推進協議会」はどのようなメンバーで構成されていますか?
齊藤 大崎町、金融機関(鹿児島相互信用金庫)、放送局(南日本放送)、教育関連(保育園運営などを行うそらのまち)、そして事務局を担当する合作の5社でスタートしました。私は東京の企業から出向して大崎町で政策補佐監を務めた後、大崎町に魅せられ、合作を設立。同協議会の事務局は当社が担当しています。
「サーキュラーヴィレッジ・大崎町」を実現するためには、資源が発生するところ――すなわち製造から加工・流通・消費までが循環する仕組みをつくらなければなりません。製造過程の上流を担う企業と一緒になってやっていく必要がある。そのように社会の課題を大崎町から解決することは、大崎町の成長にもつながると考えました。
中村 2020年の4月に大崎町役場で協議会設立の担当になり、以降、齊藤さんとさまざまな企業に話をして回りました。町に欠けていたのが「情報発信力」だったため、より多くの人に訴えかけ、ご協力いただけるよう、まず南日本放送と連携しました。また、多くの企業とパイプを持つ鹿児島相互信用金庫には、企業への働きかけを支援してもらっています。そして、県内で同じく「ジャパンSDGsアワード」を受賞した「そらのまちほいくえん」を運営する企業(そらのまち)にも話を持ちかけ、SDGs教育の分野を担ってもらっています。
――SDGs17の目標のうち、ターゲット12以外の扱いに対ついて町はどう考えていますか。
中村 確かにリサイクルや資源循環への取り組みは大崎町のブランドであり、SDGsの中でもゴール12(つくる責任、つかう責任)を重視しています。ただ行政としては、過疎化や少子高齢化など他の課題にも目を向ける必要がある。元来、役場の仕事自体がSDGsのようなところがあり、他のゴールについても目標を達成し、次世代に大崎町をつないでいくことは私たちの責任です。SDGs未来都市に選定された当時、注力すべきテーマとして「教育」も掲げました。大崎町には小・中学校までしかありません。公教育でまかなえないものは、違う形で教育の機会を提供し、これから町の支えとなる子どもたちを支援していきたい。
例えば、子どもたちが町の取り組みを知り、誇りを持って育ってくれれば、また大崎町のブランド力が強まり、町の持続可能性につながります。そこで学校の授業の一つ、「総合的な学習の時間」を使って、大崎町の環境に関する取り組みを子どもたちに理解してもらう事業も行っています。