東日本大震災前には1万人を擁した宮城県女川町の人口は、東日本大震災による被害で7000人に減少した。復興で目指すのは、人口減の時代にも活力を備えたまちづくりだ。海と街を遮る防潮堤を排し、かさ上げした中心市街地に生活の拠点を集約。公と民の役割分担によって、商業地に欠かせない将来の流動性を担保する。須田善明町長に、都市復興の現状を聞いた(関連記事)。

(写真:阿部 勝哉)
(写真:阿部 勝哉)

――女川町では、中心市街地一帯をかさ上げして整備します。中心部は災害危険区域ということで、基本的には住居は建てられず、居住地は周辺の高台に移転させます。こうした計画はどのようにして生まれたのですか。

 2011年の震災当時、私は県会議員を務めており、同年11月に町長に就任しました。防潮堤をつくらずに中心市街地をかさ上げするという考えは、安住宣孝・前町長もお持ちでした。これを踏襲したうえで、街の構造をつくり替え、すべての人の日常のアクションを一点に集中させるようなまちづくりを進めています。中心市街地を集約することで、人口は減少するけれど、日常の活力は常に街にあふれるようにしたいと考えたのです。

 女川町の特徴は、コミュニティーの濃さや地域の連担性にあると考えています。明治以降単一の町を営んできた歴史もあって、行政上の地区は分かれていても、実際の生活ではそれを超えた結びつきを有しています。

 新しい街づくりでは、こうしたつながりの強さ、地域の連担性を最大限生かせるようにしたい。例えば、女川駅周辺の地区と南側に隣接した地区の2つを分断していた山を切り崩して、1つの連続する地域を生み出しました。今まであった「地域」の意識もユナイト(統合)していく、という考え方です。

 具体的な機能面は、専門家を集めた「女川町復興まちづくりデザイン会議」が中心につくり上げていきます。また、町民によるワーキンググループでは、町民が意思形成のプロセスに参加します。アイデアの種出しだけでなく、どのように花を咲かせるか。人口減に耐えられる構造というコンセプトの下、具体的にどうしていくかを皆で考えてもらいながらまちづくりを進めています。