『ホームレス農園』――。そう呼ばれる農園が神奈川県藤沢市にある。運営するのは一人の女性起業家。体験農園とネットでの農産物販売という事業を営みながら、ホームレスや引きこもりの人に、農業を教えながら社会復帰の後押しをしている。これまで72人の研修生を受け入れ、31人を就農もしくは就労に導いた。農業と福祉の連携、いわゆる“農福連携”の新たなスタイルとして関係者の注目を集めている。

小島希世子(おじま・きよこ)さん
株式会社「えと菜園」代表取締役。慶應義塾大学卒業。幼い頃から農業を志し、大学在学中から農業に道を求める。現在はえと菜園で体験農園と故郷の熊本産の農産物をネットで通販する事業を営みながら、NPO法人「農スクール」を運営する。著書に『ホームレス農園』(河出書房新社)。「えと菜園」のサイトはhttp://www.eto-na-en.com/ 「農スクール」のサイトは http://know-school.org/(写真:高山 和良)
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 ホームレスや引きこもり、生活保護受給者の人たちに農業を教えながら彼らの社会復帰を助けるユニークな取り組みを続けている女性起業家がいる。その人は小島希世子(おじま・きよこ)さん。年間100世帯ほどのユーザーが野菜づくりを楽しむ体験農園と、自らが選りすぐった農産物のネット通販という、二つの事業を展開する株式会社「えと菜園」(えとなえん)の代表取締役を務める。

 体験農園は藤沢市葛原にある。名称は「コトモファーム湘南藤沢」。ここでは一般のユーザーが、7坪(約23m2)ほどの畑を借りて指導を受けながら農業体験を楽しんでいる。ネット通販の事業は、小島さんの故郷でもある熊本県の提携農家から栽培法や安全性にこだわった米や小麦、野菜、加工品などを販売している。

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 その小島さんが手がけるもう一つの事業が、農業を通じた社会復帰を支援する特定非営利活動法人(NPO法人)「農スクール」だ。藤沢の農地にはコトモファームの体験用農園とは別のエリアに研修用の畑があり、ホームレスや引きこもりなど、様々な背景を持つスクールの生徒たちが就農支援プログラムとして野菜作りをしている。2014年には自らの活動を自著『ホームレス農園』にまとめて発表。これで世の中に広く知られるようになった。特に、ホームレスや生活保護などの問題を抱える自治体や、行政からの要請を受けてこれらの問題に対応しているNPO法人などからは、農業と福祉が連動する“農福連携”の新しいあり方として大きな注目を集めている。

 小島さんがこの取り組みを始めたのは2008年のこと。もともと「農家になりたかった」小島さんが市民農園を借りてスタートさせた家庭菜園塾「チーム畑」で、平日に畑を管理するためにホームレスの人をアルバイトで雇用したのが始まりだった。そもそもの発想はいたってシンプルで、「働きたくても仕事がないホームレスと、仕事があるのに働き手がいない農家を結び付ければ」と考えたのがきっかけだ。

「誰も困らない関係」をつくり上げる

 小島さんは、「農業界はずっと人手不足。農村に関しては空き家問題もあります。かたや仕事も家もない方がいる。それをうまく結び付けられたらお互いにメリットがあります」と語る。小島さんが言うところの「誰も困らない関係」ができるのだ。

 この後「チーム畑」に取り組んでいく過程で「ホームレスの就農の可能性を確信した」小島さんは、2011年に藤沢の農地に場所を移して就農支援プログラムとしてこの取り組みを発展させる。2013年8月には事業化、NPO法人「農スクール」として活動を本格化したのだ。

●農スクールとは
「農スクール」は、働く場所を求めるホームレス、引きこもり、生活保護受給者と人手が足りない農家を結び付ける。さらに、メンタルヘルスの問題を抱える人にも対応できるという考えだ(資料:農スクール)
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 現在は、神奈川県藤沢市に合計で1町歩(約1ヘクタール)を超える農園をかまえ、ホームレスや引きこもり、生活保護を受給する人たちを研修生として受け入れている。研修生は、個人で直接申し込んでくる人もいれば、自治体経由で他のNPO法人などから紹介されて来る人もいる。研修期間はおよそ1年間、3カ月を1ターンとして進められる。研修生たちは、この藤沢の農園で週に一度の農作業を通じて、社会とのつながりを再構築していく。就農の意思がある人には小島さんのネットワークを通じてその人に合う農家を紹介し、就農の手助けをする。

●農スクールのプログラムチャート
働けない状態にいる人たちは、畑で農作業をすることで段階的に社会復帰をしていく(資料:農スクール)
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 農スクールでは、最終的には就農や就労に結びつけることを目標にしている。実際に、研修を受けたことで社会との関係を取り戻し、就農や就労を実現させる人は多い。「農スクール」が2013年にスタートして以来、72人が研修を受け、そのうち31人が就農もしくは就労している(31人のうち13人が就農)。就労率は43%と高い。2016年の生徒も8人中4人が就農した。この中には10年以上引きこもりを続けていた人も含まれるという。

●農スクールの「就労率」
2016年までに31人が就労した。2016年は8人のうち4人までが就労している(資料:農スクール)
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 小島さんは、農業が持つ癒やしや再生の力を確信している。「畑で見る朝日や夕日は本当にきれい。見たこともない虫に遭遇して自然の力に感動したり、みんなで汗を流して育てたものが収穫できたり、みなさんがみるみる変わっていくことがわかります」と目を輝かせる。就農についても、「本人が本気でやりたいのであれば必ず就農できると思う。本気なら誰しもが農家になれる」と力強く語る。研修生たちは、小島さんやトレーナーからの指導を受けて週一度の農作業に励む。畑仕事に集中することで癒やしを得ながら、自分たちの生きる意味、働く意味、そして社会との関わり方を見出していく。

運営費は個人や企業のサポーターからの寄付が中心

「(研修生は)言葉と気持ちが真逆のことがよくあります」と語る小島さん(写真:高山 和良)
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 もちろん様々な背景を持つ人たちだけに難しいことも当然ある。メンタルヘルスや社会性の問題を抱えている人も少なくない。2008年以来の紆余曲折を経て、小島さんが設けたのは三つのゴールとそれを達成するためのルールを守るということ。

 3つのゴールとは、(1)「各人が土と向き合うことで、自分自身とも向き合うことを目指す」、(2)「農作業を通じて、自分のいいところを見つける」、(3)「つらいときに支え合えるような仲間作りを心がける」ということだ。このゴールを達成するために、「挨拶をする、時間を守る、休むときは連絡を入れる、畑に来るときは飲酒しない」といった、いくつかのルールを設定した。それも上から押し付けるのではなく、研修生と一緒に決めていくようにする。

 小島さんは、こうした枠組みを作った上で、研修生一人ひとりに向き合い、日々のちょっとした変化にも気を配る。さらに、「ワークノート」という研修生がその日の作業を振り返って付ける業務日誌を活用して、普段接していても気づかない微妙で潜在的な変化にも注意を払う。ワークノートに書かれたいくつかのポイントをデータ化して分析することで、言葉には表れない気持ちの変化までが見えてくるという。「言葉と気持ちが真逆のことがよくあります」と小島さん。

 事業を継続的に続けていくために収益は重要だ。費用についても「一人の研修生を3カ月指導するために約3万円かかる」(小島さん)。こうした費用は、研修生を紹介するNPO法人などからの支払いでまかなうほか、個人や企業のサポーターからの寄付に頼っている。引きこもりの場合は保護者からの寄付をお願いしているというが、ホームレスや生活保護を受けている個人からは研修費用は受け取っていない。紹介者からの支払いがないケースもあり、その場合には小島さんの持ち出しになってしまうこともある。農スクールの事業単体での台所事情は苦しい。

 小島さんのきめ細かな対応や、事業収支の面での苦労を見ると、「農スクール」で取り組んでいる事業はおいそれとマネできるものではない。しかし、小島さんは、最近になって国が農業と福祉の連携を後押しする制度を整えていることで、他の志のある人や自治体や団体に同様の取り組みが広がることを期待している。

 厚生労働省が2015年にスタートさせた「生活困窮者自立支援制度」では、生活困窮者に対する就労訓練事業を行う社会福祉法人や生活協同組合など一部の事業者に対して、内容も地域によって違ってくるが、固定資産税や不動産取得税などの一部を非課税にする措置や、事業を立ち上げる時の経費の補助、自治体による商品の優先発注といった支援がある。生活困窮者というのは、生活保護に至る前の人たちを指す言葉で、「農スクール」の研修生たちのような、引きこもりやニートといった長期未就労者やホームレスなどを含む。

 また、農林水産省でも、いわゆる「福祉農園地域支援事業」という、福祉農園の全国展開を支援する事業を進めている。平成29年度の予算でも、同様の施策が取られていて、「農山漁村振興交付金」の中に、福祉農園を支援する枠が設けられた。こちらはNPO法人、民間企業、一般社団法人なども申請できる。

「農スクール」のマニュアル化・公開を目指す

 こうした制度の充実に伴って、引きこもりやニートなどの生活困窮者に対して就労訓練をする福祉農園は今後増えていくだろう。生活困窮者の中でもホームレスに対しては衣食住の緊急支援が優先となるが、その後の社会復帰のためには就労支援も重要だ。これからは、「農スクール」と同様に、ホームレスに対する就労訓練に取り組みを広げる福祉農園も出てくるかもしれない。

 小島さんも「プレイヤーは増えてほしい。そうすれば、うちが定員をこれ以上増やせない場合も紹介して受け入れてもらえます。有料ではありますが、できる範囲で惜しむことなくノウハウを提供することも考えています」と語る。実際にマニュアル化を目指して「農スクール」におけるノウハウの蓄積も進めている。これとは別に、研修生を指導するトレーナーを育成するためのプログラムも用意している。

 もちろんマニュアルやトレーナーを手に入れたからといって、同様の取り組みがすぐにできるわけではないが、ホームレスや引きこもり、生活保護受給者に対する就農支援のノウハウは大きなヒントになる。これから続く人や団体もこうした土台の上に立ってスタートすれば成果を上げやすくなる。

 生活困窮者や生活保護受給者が支援プログラムによって就農し社会復帰することができれば、社会保障費の削減にもつながるだけでなく、高齢化に伴い担い手が減り続ける農業にとっても助けとなる。農業と福祉の「農福連携」が注目を集める中、これからどういった取り組みが出てくるのか、関係者の期待は大きい。

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