夢と冒険の島「ネバーランド」を開店。ピンチを乗り越えて確信つかむ

――どんなお店をオープンしたんですか。

村上 自宅の一角に小さなログハウスを建てて、ファンシー小物を販売する「ネバーランド」というお店を91年11月にオープンしました。店の外ではご近所の方々の応援で野菜の朝市も開催して。オープンからしばらくして、障害のある方3人に働いてもらえるようになりました。ただし、どこにも「障害者の店」といった看板は掲げませんでした。

 店名はピーターパンに出てくる「夢と冒険の島」にちなんでいます。知的障害を持つ人たちにとって、外はドキドキ、ワクワクする夢と冒険の世界ですから。そして、ネバーランドの本当の意味は「存在しない島」。いつの日か、このネバーランドが必要なくなる本当の共生社会ができることを願う意味も込められています。

「障害者の働く店、地域と接点になれる場所をつくりたい」との思いで91年にオープンしたファンシーショップ「ネバーランド」。現在は施設の一角に移築されている。このお店から事業がスタートした(写真:大槻 純一)
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――お店の資金、仕入れや販売のノウハウはどうしたんですか。

村上 銀行からの借り入れは、個人の私ではなかなかOKが出なかった。県の広報課の方に、女性はお金を借りにくいという話をしたのがきっかけで、「やさしさライフビジネス支援資金」という県の融資制度ができたんです。第1号として500万円近く借りました。仕入れや経営に関しては、お店を持っている知り合いに聞きました。動けば、いろんな情報は入ってくるものです。1号店の翌年には、隣町に2号店を開店しました。

――このお店を経営する中で、印象に残っていることはありますか。地域の方とどんな出会いがあったのでしょうか。

村上 最初は障害のある人が働いている姿をかわいそうだと思って、毎日、大量に買い物をしてくださる方がいました。寄付の気持ちからか、50円のきゅうりを買って1万円を置いていくような方もいて、慌てて追いかけて、おつりを渡したこともありました。でも、しばらくするとそうした「同情買い」はなくなりました。そのとき、やっと対等な店員とお客さんになったと感じました。同情買いは長く続きませんから。

 それと、お昼ごはんはみんなで、近くの飲食店に食べに行ったり、お弁当を買ったりするようにしたんです。スタッフもどこかの「お客さん」になるので、地域にとって「必要な人」になれます。買い物や飲食店の利用という経験は、社会生活力の向上にもつながりました。

(写真:大槻 純一)
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――2号店の後、ケーキショップもオープンされていますね。

村上 みんなで行っていたうどん屋さんが「閉店するので引き継いでやってみないか」と声を掛けてくれたんです。それをあるお母さんに話したら、「障害者が作ったうどんなんて、誰が食べにくるの?」と。そうなのか……とあきらめたんですが、食べ物を扱うならあえて生もので勝負しよう!と思ったんです。よりハードルが高いものに挑戦すれば、「障害のある人が触ったものは汚い」という概念がなくなるんじゃないかと。仕入先を探したところ、有名菓子店から独立した方の協力を得ることができ、ケーキショップをオープンできました。

 次に開設したのが、包装センターです。主に会葬御礼品を包装する作業所を93年3月に開設しました。ここも閉鎖的にならないよう、地域から有償ボランティアを募って入っていただいています。場所は、地元の方がプレハブを建てて貸してくれました。

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包装作業は、雇用契約を結ばずに就労機会を提供する就労継続支援B型事業として「コンチェルト」事業に受け継がれている。ポップな音楽が流れる事業所で箱詰め作業をする(写真:大槻 純一)

――大家さんが、貸すためにわざわざ建物を建ててくださったということですか。大家さんはお知り合いだったんですか。

村上 同じ地区の方で、土地をお持ちと聞いてお願いに行きました。実は、周囲の方からは「障害のある人になんか、貸すもんじゃない」と心配されたそうです。でも、私たちを信頼して、数年後にはプレハブから立派な建物に建て替えてくれました。心配していた方もすっかり変わって、認めてくれているそうです。

――ネバーランド2号店が放火に遇うという怖い経験をされたそうですね。

村上 2号店は数軒の店が入っている平屋建てでした。隣の店を狙った泥棒が、深夜にうちの店の裏口のガラスを割って侵入し、壁に火をつけたんです。火事になった時、足が震えました。これまで築いてきた地域の方との絆、信頼関係を失ってしまったと落ち込みました。一番心配だったのは「障害のある人の店は火事を出す、障害のある人は危ない」というレッテルを張られること。それが本当に怖かった。

 火事の後、地域の方から電話がかかってきました。てっきりお叱りの電話と思い、平謝りしていたら、「違うんや。わしはあんたを励まそうと思って電話したんじゃ」とおっしゃるんです。「みんな知っちょる。あの店は火の気もないし、みんな一生懸命頑張っている。心配せんでいいけん、とにかく頑張りよ。また店を開きよな」と。その後、いろいろな方から励ましの電話、手紙やファクスが届き、義援金も寄せられて、店はすぐに再建できたんです。

 大変な思いをしましたが、このことがあったおかげで、自分たちがやろうとしていることは間違いないんだ、と確信を持てました。地域の方々はちゃんと見ていてくださっていた、理解は広まっていたんだ、と。