通所授産施設とデイサービスセンターを同じ建物内に開設

――1998年に社会福祉法人を設立されました。きっかけは何でしょうか。

村上 利用者さんに障害の重い方が増えていたんです。作業をすることは難しいものの、音楽をかけたら笑顔になる。その姿を見て、働く場があるだけではだめなんだと感じて、もの作りやレクリエーションなどを行う、知的障害がある人のデイサービスセンターがあれば、と思ったんですね。その事業は社会福祉法人じゃないと運営できないので、法人の認可を取ろうと行政に相談しました。98年6月にシンフォニーとして法人格を取得し、翌年4月に「コンチェルト」(授産施設)と「ファンタジア」(デイサービスセンター)を作りました。

――授産施設とデイサービスセンターを同じ場所にしたのはなぜですか。

村上 その当時まで、一つの事業は一つの建物で行うと決まっていて、二つの事業を行うには、別々の敷地に建物を建てないといけなかったんです。すると、障害の重い人と軽い人を分ける必要がでてきますが、その線引きは難しい。建物は同じだけど、授産施設の作業とデイサービスの活動を別々の部屋で行う、という形にできたら……と市に相談したら「それはいいアイデアだ」と国に掛け合ってくれた。それで、全国初の合築施設ができたんです。利用者は両方を試してみて、希望するほうを選ぶことができます。

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1999年に開所した「シンフォニー」は、授産施設「コンチェルト」(上右)とデイサービスセンター「ファンタジア」(上左)を行う全国初の合築施設となった。その中には児童デイサービス事業「ま~ち♪」も行っている(中)。シンフォニーの建物(下)(写真:大槻 純一、給食写真はシンフォニー提供)
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――それまでにあったお店や施設はどうされたんですか。

村上 コンパルホールの喫茶だけを残して、すべて施設に移転しました。とても残念でしたが、ある程度の人数がいないと建築の許可が下りなかったので。この施設の4分の3は補助金を使って、残りは夫と私が私的に積み立てていた年金や借りたお金を法人に寄付するという形で賄いました。

――法人ができて、変わったことはありましたか。

村上 この施設ができてから、マイクロバスで送迎を行い、給食を用意しました。すると、利用者さんが自分で移動したり、お金を使ったりする機会がなくなってしまったんです。これでは、せっかく身につけた社会生活力を失ってしまう、このままではいけないと思いました。まず、自力で通える人はバスを使ってもらうようにし、昼食は給食ではなく食堂にして、好きなものを選んでお金を払う形式に変えました。

 そしてもう一度、まちの中で働く場を増やそうと、市役所、県庁、医療系の大学、警察署などに喫茶をオープンしていきました。現在、7店を運営しています。

――喫茶ネバーランドで障害のある方が働く意味を教えてください。

村上 行政を担う市役所や県庁の職員、医療を学ぶ学生、警察の方たちに障害のある人を知ってもらう機会ができます。適切な環境と支援があれば、知的障害のある人がこんなふうに働けるんだということが分かってもらえる。理解が広まって、障害のある人がまちの中で暮らしやすくなる、それが狙いです。

――ネバーランドの経験をもとに、一般就労に移行された方もいらっしゃるんですよね。

村上 最近では高齢者施設の食堂で働き始めた方がいます。慣れているせいか、自信を持って楽しく働いているようです。飲食業や清掃業は人手不足がさらに進む分野。そういうところで働ける力があれば、雇用につながりやすいのでは、という思いもあります。

「ないものは創る」を実行し、利用者のニーズに応える

――ホームヘルプサービス、児童デイサービスなど、先進的なサービスを次々と始められて、事業が多岐にわたっていますね。

村上 ニーズを聞いて「ないものは創る」を実行してきただけです。家庭内での困りごとを耳にし、日常生活の支援を行うホームヘルプサービスを(99年12月)、未就学の子どもを通わせるところが欲しいというお母さんの声から、児童デイサービス「まーち♪」を(2000年10月)、専門の相談員がいたら安心かな、と思い相談事業の「コーラス」(10年10月)を、という感じです。「コーラス」とは「Call us」、「電話をください」という意味です。

――福祉事業に携わって約30年、世の中が変わってきたなと思うことはありますか。

村上 今は当たり前のように多くの方がネバーランドを利用してくださるし、大分市内では他の法人も公共施設の中で飲食店を営業しています。以前、ネバーランドに研修に来た福島県須賀川市の方が、市役所の中に喫茶をオープンさせました。障害のある人が業務に従事して、まちが変わっていくと思うとうれしいですね。

 大分県内で18年に一般就労として就職した人が200人近くいるそうです。保護者の意識も変わったし、企業側の採用の流れもできてきた。とてもありがたいことです。

――では、今後の課題を教えてください。

村上 福祉サービスは充実してきましたが、財源には限りがあります。場合によっては、家族や支援者で工夫することで、公的サービスを使わずに済むことがあるかもしれないと考えています。

 また、行政が私たち事業者にさまざまな事業を委託してくれるのはありがたいのですが、その分、行政の方が直に障害のある人やご家族に会う機会が少なくなっている気がします。現場で何が起きているかを見ていただく機会をもっと増やしていただけると安心ですね。

 シンフォニーとしては、就職する人をどんどん増やしたいのですが、もしうまくいかなかったら、いつでも戻ってきてもらえるシステムを用意しておきたいと思っています。

 障害のあるなしにかかわらず、誰もが安心して暮らせる社会こそ良い社会だと思うんです。そのために、これからもどんどん動いていきます。

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障害者の仕事がなかなか見つからないと言われるが、村上さんは、障害者の仕事を創り出してきた。メンテナンス会社の仕事を見て「窓ガラス清掃ならできるのではないか」と思いつき、メンテナンス会社に協力を求め技術を教えてもらい、メンテナンス事業も開始した(左)。大型のリサイクル工場は5福祉法人それぞれの得意分野を生かして協働している(右)(写真:大槻 純一)
(写真:大槻 純一)
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インタビューを終えて

 知的障害のある人が尊厳を保ちながら生きるにはどのような社会であるべきなのか?そのようなことをずっと考えていました。なぜなら、私の孫に知的障害があると分かったからです。いずれ私も、親もいなくなった後も彼は何十年も生きることになる。その時にも自分らしく生きられるようにするためにはどうしたらいいのだろう――その解を見つけるためにシンフォニーに伺いました。そこで穏やかに過ごされている方、箱詰めの作業に一生懸命な方、さまざまな方にお会いしました。一番驚いたのは、喫茶店ネバーランドにて笑顔で颯爽と働く姿を見たことです。「どうもありがとうございました。気を付けてお帰りください」と私たちに声をかけてくれました。”…なんと礼儀正しい好青年だろう”と思いました。自分の中にあった”障害者が弱いもの、守られるべきもの”という固定観念を恥じました。村上さんのミッションである障害のある人が、「まちで働き、まちで暮らす」実践を目の当たりにし、「ないものを創る」をモットーに社会を変革してきた村上さんの情熱に感銘を受けました。

麓 幸子(ふもと・さちこ)
日経BP総研 フェロー
麓 幸子(ふもと・さちこ) 麓幸子(ふもと・さちこ) 1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。06年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。日経ウーマン、日経ヘルスなど3媒体の発行人となる。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年執行役員。18年現職。2014年法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。文部科学省、内閣府、林野庁、経団連・21世紀政策研究所研究委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書等に『女性活躍の教科書』『なぜ、あの会社は女性管理職が順調に増えているのか』(日経BP社)、『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』(共著、経団連出版)、『就活生の親が今、知っておくべきこと』(日本経済新聞出版社)などがある。