高齢者も子どもも障がいのある人も支え合い暮らすまち

――そもそも近山さんがプロデュースした「ゆいま~る」とは、どのような高齢者住宅なのですか。

近山 自立した高齢者を対象にした高齢者向け住宅で、それぞれの部屋には独立したリビング、キッチン、バス、トイレがあり、プライバシーは保たれています。まだ元気なうちに「終のすみか」に移り住んで、自分らしく暮らす。そして、介護が必要になったとしても安心して最後まで暮らせるような、そんなサービスを受けられる仕組みです。

 生活コーディネーターが居住者の暮らしの相談にのるほか、入退院時の付き添いや、介護保険申請・手配の支援も行い、毎日の安否確認や緊急通報システムなど、生活支援サポートも整っています。また、食堂は居住者だけでなく地域にも開放され、仕事や趣味、ボランティア活動などで、居住者同士や地域との交流を持てるようなコミュニティスペースにもなっています。

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大阪・梅田からきた本田さん(上写真中央)は、86歳で入居して7年目。週末だけ居酒屋になる「ゆいま~る食堂」(下写真右)で、仲間とお酒を飲むのが楽しみだと話す(写真:大槻純一)

――那須のような里山に作られることが多いのですか。

近山 いいえ、里山とは限りません。「ゆいま~る」シリーズは、現在全国に10カ所ありますが、「団地再生型」「駅前再開発型」「過疎地再生・環境共生型」の3タイプがあります。

 団地再生型とは、1960年代に都市部の郊外に建てられ、住民の高齢化や建物の老朽化、空き家などの深刻な問題を抱える巨大団地を再生させるためのもの。東京都の「ゆいま~る高島平」や日野市の「ゆいま~る多摩平の森」などがこれに当たります。

 駅前再開発型は、区画整理やバブル期の駅前開発などにより、異なる生活背景や価値観を持った人々が集まり、コミュニティの存続に課題がある地域を再開発するものです。神戸市の「ゆいま~る伊川谷」や東京都の「ゆいま~る拝島」などがあります。過疎地再生・環境共生型は、人々が都市へ移り住んだ結果、農村漁村地域の人口が減り、産業が衰退し、自治体収入が減るなかで高齢化が進むという問題が生まれているところの再生です。ゆいま~る那須がこのタイプですね。ほかに北海道の厚沢部町にもあります。

 どの「ゆいま~る」も、高齢者だけに限らず、子どもや障がいを持つ人たちも含めて、多様な価値観を持つ人たちが世代や立場を超えて、お互いの生活を尊重しながら、共に支え合う仕組みのある「まちづくり」を目指しています。孫子の代まで安心して暮らせるまち、ということで、私たちはこれを「100年コミュニティ構想」と呼んでいます。

――近山さんは、1988年、民間で日本初のデイサービスを併設した高齢者住宅「シニアハウス新町」(大阪市)の立ち上げに尽力し、全国各地で様々な高齢者住宅をプロデュースしています。そしてご自身も「ゆいま~る那須」に住んでいます。なぜ、「共に支え合って住まう」ことに熱心なのですか?

近山 子どもの頃、母親が私を連れて家を出たことがあったんです。結局、私だけが父のもとに連れ戻されて、居心地の悪い環境で暮らさざるを得なくなった。つらく理不尽な経験をしてきました。私はいつの間にか「血縁ではなく、自分が選び取った家族や仲間と、自分が選び取った場所で、安全に暮らしたい」というのが、生き方のベースになったんです。私にとっては「どこで誰と住むか」ということは大問題でした。

 36歳のとき、母が脳梗塞で倒れて要介護になったのをきっかけに、再び一緒に住むことになったのですが、母の介護と自分の仕事を両立させるにはどうしたらいいのか、悩んでいたとき、「困ったもの同士が助け合って住む共同住宅」のアイデアを考えたんです。それが縁で生活科学研究所(現・コミュニティネット)に入って、共同住宅の企画に携わるようになったのです。

自分が関わったゆいま~る那須に住む近山さん(写真:大槻純一)
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70年代から近山さんと友人の佐々木敏子さん(右)、櫛引順子さん(左)もゆいま~る那須で共に暮らす。3人共著で『どこで、誰と、どう暮らす?』という本も書いた。(写真:大槻純一)
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