ゴールが見えていたから、14年間、あきらめたことは一度もない

――中国語が話せたことは交渉の時に大きな力になったかと思います。しかし、その後1991年に会社を設立され、14年かけて「ジオン注」を開発されるまでさまざまなことがあったはず。膨大な時間と資金を投資されて、やり遂げられたのはなぜでしょう。

 医薬品の開発をゼロから始めた場合、成功する確率は1万分の1だといわれています。実際に製品化されるまでには基礎研究、非臨床試験から臨床試験まで約15年の月日が必要になります。開発費も何十億とかかります。百億円をかけて動物実験まで成功したのに、人に投与する段階で効果が出ずドロップアウトするケースもあります。私は素人で知識がありませんでしたから、怖さを知らずに挑戦することができました。「ジオン注」の場合は1からではなく元になる薬があったことも大きいですし、これは日本国内できっと発売されると信じ込んでいました。何があっても諦めたことは一度もありません。

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<div style="clear:both;"> </div>社員たちと。社名の「レキオ」とはアジア諸国との中継貿易で栄えた15~16世紀の琉球国を指すポルトガル語。そこにも沖縄の誇りがある(写真:河野哲舟)
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社員たちと。社名の「レキオ」とはアジア諸国との中継貿易で栄えた15~16世紀の琉球国を指すポルトガル語。そこにも沖縄の誇りがある(写真:河野哲舟)

――奥社長ご自身で行った実験が特許取得につながっていますね。

 沖縄に持ち帰った消痔霊には、時間がたつと沈殿物が生じる問題がありました。このままでは日本では売ることができません。私は入っている成分を1つずつ調べることにしました。自宅で試験管を振り、あらゆる組み合わせで作ったサンプルをベランダにならべてデータを取りました。その結果、問題点と解決点を見つけることができ、日本国内を含め17カ国で特許を取得することができました。その後は資金繰りとの戦いでした。ベンチャーキャピタルから出資を受けることができましたが、動物実験だけでも年間数千万円から億単位の資金が必要となるのです。

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上/中国で医学会に所属し、理事として活動する。下/中国やベトナムなどアジアにおける幅広いネットワークも奥社長の強みだ(写真提供:レキオファーマ)
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上/中国で医学会に所属し、理事として活動する。下/中国やベトナムなどアジアにおける幅広いネットワークも奥社長の強みだ(写真提供:レキオファーマ)
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上/中国で医学会に所属し、理事として活動する。下/中国やベトナムなどアジアにおける幅広いネットワークも奥社長の強みだ(写真提供:レキオファーマ)

――「ジオン注」発売の転機は何だったのでしょうか。

 このまま開発を続け、厚生労働省に製造承認の申請をするためには、膨大な資金力と組織力が必要だと判断し、パートナー探しに奔走しました。九州の吉富製薬(現・田辺三菱製薬)の奥田充夫会長(当時)が興味を持ってくださり、共同開発をしていただくことになりました。そのおかげで2004年、「ジオン注」の製造承認を得ることができました。「ジオン注」は患部に注射し、痔核を硬化、退縮させる薬です。従来の主な治療法である切除手術に比べると治療後の痛みも少なく、最短で日帰りもできるメリットがあります。

 開発当初、消痔霊の素晴らしさを日本の先生方に知っていただきたくて、日本大腸肛門病学会で発明者による発表をさせて欲しいとお願いしたことも、今振り返ると身の程知らずでした。ところが、学会発表は無理でも研究会での発表ならいいと機会を作ってくださいました。そのおかげで実力のある病院が臨床を引き受けてくださり、取り扱ってくださる病院が増えていきました。大きな運に見守られてきたのだと思います。