ワークシェアリングで
会社も時間制約のある女性も共に成長できる

――そもそも、ゼムケンサービスはどのような経緯で生まれた会社なのでしょうか。

籠田 父がハゼモト建設という総合建設業を営んでいて、営繕工事を担当する関連会社として1993年に創業しました。当時は母が代表取締役を務めていましたが、99年に父が亡くなり、2000年に私が代表に就任。生まれたばかりの長男を抱えながら、社員の採用も行いつつ事業を拡大してきました。近年は特定建設業になったことで大型物件の工事が受注できるようになり、13年に初めて売り上げが2億円を突破。今年は4億円を超える見込みです。

――籠田さんはなぜ建築業界に進もうと思われたのですか。やはり家業の影響でしょうか。

籠田 子どもの頃から職人たちの膝の上で遊び、彼らが現場で働く姿を見て育ちました。時代の変化とともに仕事が減っていくのを目の当たりにして、「大好きな職人さんのために仕事を取ってきたい」と思うようになったんです。父は「女が建築の道に進んで何になる」と猛反対でしたが、母が「これからは女も手に職の時代よ」と応援してくれたおかげで、短大で建築を学ぶことができました。

 その後も父は私のことを認めてくれませんでしたが、一級建築士に合格すると態度が一変。実家に帰ってこいと言われて、今に至ります。

亡き父である櫨本春夫氏がハゼモト建設を創業。母喜代子さんが初代社長だったゼムケンサービスを受け継いだ(写真:大槻純一)
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――これまでを振り返って、キャリアの転機となった出来事は何でしょうか。

籠田 20代の時に、北九州市内のあるケーキショップの施工を担当したときのことです。新鮮なフルーツと生クリームのケーキの店ということでしたが、店内のデザインがなかなかしっくりきませんでした。そんな時、オーナーの家で偶然「赤毛のアン」の本が目に留まり、「これだ」とひらめいたんです。「赤毛のアン」をモチーフにして、店内はプリンスエドワード島をイメージ。「大人になったアンたちへ……」というキャッチコピーや麦の穂を添えたラッピング、制服のデザインまで手がけて、一貫した世界観を作り上げました。これが大ヒットして、小さな1軒の店が30店舗を構えるまでに成長。いわゆるコンサルティングをやった最初の成功体験でした。父にも「お前がやっているのは建設業ではなくサービス業や」と言われました。

――地方では人材不足が深刻といわれていますが、こちらでは女性の力を生かすことに熱心に取り組んでいますね。出産や育児など、様々な制約のある女性に活躍してもらうためには何が必要でしょうか。

籠田 06年から女性技術者のワークシェアリング制度を導入、一級建築士とインテリアコーディネーターをパートで採用しました。パート社員が産休から復帰した際には、子育てと両立できるよう在宅ワークも取り入れました。

 ワークシェアリングは、物件ごとに2、3人でチームを組み、関わり方の度合いによって各人の売り上げと粗利額を按分するものです。年次ごとの各自の実績を見える化することで公正な評価を共有でき、モチベーションアップにもつながります。

 工事現場では、男女の現場監督がペアになってワークシェアリングをしています。例えば男性が朝早く現場に行き、育児中の女性は子どもを送り出してから10時ごろ現場に入って男性と交代。男性は別の現場に確認に行くといった形で連携しています。

 それぞれの事情や能力に合わせて働き方を工夫することで社員は成長できますし、それによって業績もアップさせることが可能です。

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同社は8人中6人が女性。ワークシェアリングなど、時間制約のある女性が活躍できる環境を整える。本社前で、みんなで「Jポーズ!」(写真:大槻純一)

――女性も現場監督をしているんですね。職人さんとのやりとりなどで苦労もあるのではないでしょうか。

籠田 女性がいると現場のコミュニケーションが活発になるというのは大きなメリットですが、職人に指示を出すとなると話は別で、課題も多いです。工期ギリギリの厳しい状況になると一生懸命さのあまり、つい感情的になってしまったり、職人にどなられて委縮してしまったり。私自身、20代のときはどうやったら職人さんに一目置いてもらえるかあの手この手を試して、失敗もたくさんありました。

 私が一つ女性社員に伝えているのは、「職人とは使っているボキャブラリーやメンタリティが違うのだと自覚する」ということ。女性は相手の気分を害さないように、自分が嫌われないようにと優しい言い方をしようとしますが、職人はむしろはっきり指示が欲しいものなんですね。そこをまず理解したうえで、少しずつ接し方を学んでいってもらっているところです。