最初は「会社でもつくる?」みたいな軽いノリで始めた会社だった

――20年前、東京から鳥羽に戻ってきたそうですね。もともと家業の旅館を継ぐ気持ちはあったのですか。

江崎 実家は明治から続く老舗旅館の海月です。東京で就職したとき、家業を継ぐつもりはまったくありませんでした。両親から倒産寸前だという知らせを聞いて、清算するつもりで帰ったとき、新しく会社を興して引き継ぐ方法もあると父の友人から聞きました。

 大好きな海を見ながら考えているうちに、これは私にしかできない仕事が降ってきたということだ、となんだかラッキーな気持ちになりました。旅館をやったほうが面白いことになるな、と。それで1997年、23歳のときに会社を辞めて地元に戻り、海月の女将になりました。今考えると、当時は知らないことばかりで、度胸があったんでしょうね。

――旅館の女将がエコツアーを始めることになったきっかけは?

江崎 旅館の再建に取り組む中で、鳥羽の観光業のあり方がお客様のニーズとずれているのでは?という思いを持つようになりました。実際、周りの旅館が何軒も廃業していくのを目の当たりにしました。観光客は、鳥羽ならではの素晴らしさを求めているのに、観光業はそれに応えていない。鳥羽の魅力を伝えることが地元を元気にすることになるはずだという思いがだんだん強くなっていきました。

 旅館では修学旅行生の受け入れもしていたのですが、あるとき、大阪の小学校の先生から「子どもたちに釣りをさせたい」とリクエストされました。釣り竿とライフジャケットを用意し、答志(とうし)島で釣りを楽しんでもらったのですが、自分が子どものころに釣りや磯体験で楽しんでいたことを思い出し、こうした鳥羽ならではの体験は、みんなに喜ばれるのではないかとヒントを得ました。

 また、答志島では漁を終えてものすごい勢いで漁場から戻ってくる漁船と遭遇し、活気あふれる漁師たちの姿を初めて目にしました。島ののんびりした雰囲気とのギャップが面白く、とてもワクワクしたんです。こういう漁師の姿こそ、観光客に見せるべきじゃないか、オプショナルツアーみたいにできたらいいのに……と思ったのです。

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(上)無人島にカヤックで渡るツアーも人気だ。(下)カヤック小屋の近くに住む女性と。浜のみんなから「きくちゃん」「きくちゃん」と声をかけられる江崎さん(写真:大槻純一)

――それで有限会社オズを作ったわけですね。

江崎 実は、最初からエコツアーをやる目的があったわけではなく、同級生と4人で「みんなで何かしよう」「会社でもつくる?」みたいな軽いノリで始めた会社でした。いろいろなことを手掛ける中で、釣りや磯体験ツアーを企画・運営するようになっていきました。