麓幸子の「地方を変える女性に会いに行く!」

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「農家の母さんだからできることがある」その志が年商2億円の事業へと発展

Vol.08 石垣一子さん(陽気な母さんの店代表取締役社長)

聞き手:麓幸子=日経BPヒット総合研究所長・執行役員、取材・文:熊谷渓子=石山デザイン事務所【2017.1.11】

「胸を張って農業をしたい。おいしくて安全なものをつくり、地域に貢献したい」。そう思った秋田・大館の農家の母さんたちが、2001年に立ち上げた直売の店舗、その名も「陽気な母さんの店」。それから15年がたち、2億円を超える売上を上げる株式会社へと成長した。新規事業を次々と立ち上げ、体験交流型直売所として、行政を巻きこんで、グリーン・ツーリズム事業にも乗り出す。設立の中心メンバーであり、初代社長である石垣一子さんに聞いた。

石垣一子(いしがき かずこ)
1953年秋田県大館市生まれ。85年手打ちそば加工「中山そばの会」設立。88年営業許可を取得。95年秋田県女性農業士認定。2001年「陽気な母さんの店」立ち上げのリーダー格として活躍。03年秋田県農林水産大賞(活性化部門)受賞。04年全国女性起業家大賞最優秀賞受賞。08年農山村漁村女性チャレンジ活動 農林水産大臣賞受賞。11年3代目の会長に就任。15年株式会社化に伴い、代表取締役社長に就任(写真:大槻純一)
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高校生のときから将来の夢は農家。
「胸を張って農業を選んでいる」と伝えたい

――本日も「陽気な母さんの店」には、地元で採れた新鮮な野菜や果物がたくさんあります。お客さんもいっぱいで繁盛していますね。改めて、石垣さんが農家の女性たちで組織活動を始めようと考えた原点は何だったのでしょうか。

石垣 私は兼業農家に生まれました。家の手伝いは「おしん」よりも大変でしたが、家族で農業ができる週末が楽しみでした。高校生の頃から将来の夢は農家で、20歳で縁あって専業農家の主人と結婚しました。

 でも、実際は、農業の他に家事や子育てをこなし、畑と家を往復する毎日。自分のお金も時間もなくて、だんだん「働かされている」意識が強くなっていきました。そんな働き方に疑問を感じ、「JA若妻会」を立ち上げたことが組織活動の原点となりました。農村に嫁いだ同世代の女性が集まり、おしゃべりや趣味の教室を開催するなか、地元の特産である中山そばの味を受け継ぎたいと、1983年に「中山そばの会」を発足しました。活動が楽しくなるにつれて、妻が明るいと子どもを元気になり家庭の健康を守ることができることを実感。女性の居場所を確保して経済的に安定することが大切なんだなと思ったんです。

――地元の名産のそば加工から、直売に踏み切った転機はなんだったのでしょうか。

石垣 そばの会はつくったものの、男性への遠慮が強くあって、女性が前に出てはいけないのではと悩む日々でした。転機になったのは、「そばの会」が女性起業活動と認定され、95年に女性農業士として海外研修に行く機会を得たことです。そのイギリスで、「日本の女性は三歩下がって男性の影を踏まず歩くと言うが、それは奥ゆかしいことではない。女性も男性と同じ立場でパートナーとしての責任を果たすべき」という考え方を聞き、感銘を受けたんですね。

 でも、そんな矢先、帰国して地元の大館駅で見知らぬ人に話しかけられ、「農家の嫁」だと言うと「大変ですね、ご苦労されているでしょう」と同情されたんです。農業が職業として認められていないことを痛感し、その悔しさが背中を押してくれました。農家の妻だからこそできることがあるはず。女性目線で厳しい農業情勢を乗り越える方法を模索しようと決めました。

100人の女性の嘆願書を否決された悔しさをばねに

――そこで、リヤカーで農産物を売り歩く直売活動を始めたのですね。固定客が増えて活動が軌道に乗り始める中、常設の直売所がほしいと思ったきっかけは何でしょうか。

石垣 農業を「家業」ではなく「職業」にしたかったからです。農家は収穫がなく無収入の時期もある不安定な仕事で、家長の指示に従って休日もなく働かなければなりませんでした。でも、収入を計画的にコントロールすることで、安定した収益を上げて休日を取ることができるのではと考えたのです。

 目の前の仕事をこなすだけではなく、自分で仕組みをつくらなければ状況は何も変わりません。農業に夢を託していきたいと思っても、農家の女性が軽く見られる風潮は根強くありました。私は胸を張って、農業を職業として選んでいると伝えたい。だから、農家の女性の活動を発信できる拠点がほしいと思うようになりました。

――店舗を構えることは覚悟が必要だったと思いますが。

石垣 地域の女性農業従事者たちと共に、行政に女性の思いを話す活動を地道に続け、2000年に、常設直売所の設立を要請する女性100人の嘆願書を市議会に提出しました。しかし、結果は7人の男性の反対により却下されてしまったんです。あまりの悔しさに声を上げて泣いたことを覚えています。

 でも、女性はすぐにあきらめるという前例をつくってしまったら、今後さらに女性の活動は認められにくくなる。女性だからこそあきらめてはいけない、仲間たち全員でどんな形でも実現すると腹をくくり、任意団体「友の会」を設立。会員が1人3万円ずつ出資しました。結局、01年に15年間のリース契約を結んで借りた土地と建物で、「陽気な母さんの店」はスタートしました。

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国道103号線沿いにある「陽気な母さんの店」。「新鮮」「安心」「安全」をモットーに旬の農産物や手作りの味を販売。生産者の顔写真が並ぶ。ここの出荷者全員が、堆肥利用と減農薬栽培の「エコファーマー」認定を受けている。併設されている食堂では伝統の中山手打ちそばなどを提供する(写真:大槻純一)

生産者であり消費者であることが強み

――厳しい状況でもあきらめずに一歩を踏み出したのですね。事業内容とコンセプトについて教えてください。

石垣 事業の柱は「販売・宅配・食堂・体験」の4つです。「販売」部門は、出荷者全員が、堆肥利用と減農薬栽培の「エコファーマー」認定を受けており、生産者の名前を明示して旬の農産物を提供しています。また、地元には車をもたず買い物に不便を感じる高齢者も多く住んでいるので、「宅配」部門も欠かせません。さらに、「そばの会」で販売した打ちたての生そばを「ぼろぼろ切れてしまう」と言われた経験から、本当の中山そばを知らない人がいることが分かりました。本物を伝えるのも生産者の責任だと思っています。「食堂」や「体験」を通じて地域に伝わる食文化を伝え、社会の「母さん」になることを目指して立ち上げました。

――社会の「母さん」というのは具体的にはどういう存在ですか。

石垣 私たちは生産者でもあり、消費者でもあります。農家と主婦、両方の気持ちが分かることが強みです。ただ売るだけではスーパーにかないません。でも、スーパーで野菜を買っても、おいしい食べ方を店員に聞くことはあまりないですよね。そんな素朴な疑問を投げかけやすい雰囲気をつくりたい。

 例えば、以前「旬のものを買うと毎日同じ野菜ばかり食べてしまって」という悩みをお客さんから聞きました。私たちも毎日家族の食事をつくるので、その気持ちはよく分かります。その上で、旬の野菜の効能を説明し、料理のレパートリーを提案しました。

 生産者も質問に答えられるよう勉強を重ねますし、消費者の気持ちを聞くことで生産に生かすこともできます。食品市場は日々ものすごいスピードで変化しています。だからこそ、生産者と消費者の間に双方向の直接的な交流を生み出せる「母さん」の存在が重要だと思うんです。その一環として、旬の野菜でつくった料理を無料で店頭客にふるまう「ふるまいの日」を毎月設けています。6人の野菜ソムリエが、食材の摂取量や料理法のアドバイスもします。

頭に手ぬぐいと絣の着物。一見農家の母さんそのものだが、強いリーダーシップとマネジメント力で事業を拡大する(写真:大槻純一)
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――「友の会」の組織の仕組みを教えてください。

石垣 会員はほとんどが農業従事者で、弁当部・弁当加工部・環境部のいずれか1人1役を担っています。各々の農産物を持ち寄り、売上の88%を受け取る仕組みです。残りの12%は販売手数料として店に納め、運営費に使います。少しでも早く会員にお金を手にしてほしいので、振り込みは月に2回。立ち上げ当時は夫が通帳を管理することが一般的でしたが、私は会員に自分の通帳をもつように勧めました。自分の労働の成果を数字で見られるようになったことが、女性の意欲につながったと思います。

「全員会議」で情報を開示・共有、一人ひとりが力を発揮できる環境をつくる

――立ち上げ後は初年度から売上1億1000万円。いきなり売上目標の1億円を達成しましたが、成功の理由はなんだと思いますか。

石垣 出店までに4年かかり、その間に会員の生産物や生産量、収穫時期を細かく把握しました。そのデータから1日・1人単位で販売計画を緻密に立てたことが大きいと思います。毎月「全員会議」で前月の反省と来月の計画づくりを行うので、その都度どの商品がいつ不足するか会員に情報発信をしました。情報を開示して共有することで、全員に売り上げを出す機会をつくるように努めました。

――03年には学校給食への食材提供も始めました。

石垣 地産地消の一環として、市農林課や教育委員会に提案しました。地元のおいしい食材を届けて、子どもに大館の味で育ってほしかったからです。近年、食生活の中心は「おふくろの味」から「ふくろの味(袋に入った既製品)」に変わりつつあります。大館市内で市外のものを食べていたら、大館の食べ物は廃れてしまいます。ふるさとの味を知らないで育つなんて寂しいですよね。大館には高校生までしか住まない子供も多いですが、大館市を離れてからも大館産の食べ物のファンでいてもらえるようにという想いを込めて食材提供をしています。

――翌04年には仕出し部門を設けました。毎年のように新しい事業を始めています。

石垣 野菜をふんだんに使った、ヘルシーで優しい味の惣菜や弁当が人気です。加工物を製造することで、農産物に付加価値をつけられます。それに、形がいびつだったり、色が多少悪かったりして、店には出せない野菜を無駄なく使うこともできるのです。時には首都圏から講師を呼んだり、モニター会議を行ったり、料理や栄養価の研究をしながら開発を行っています。

 このように多角的に事業を行うメリットは、相乗効果でそれぞれが発展し合うことです。例えば、食堂の新メニューに、夏でもさっぱりと食べられるサラダうどんを開発しようというアイデアがありました。そのために、サラダうどんにかけるドレッシングも開発。四季でどのように使えるか考え、店頭の野菜の試食コーナーに添えると、試食した人がお土産にドレッシングを買ってくれます。1つのアイデアの可能性がどんどん膨らんでいくのです。

――その後も着実に業績を伸ばしましたが、売り上げが1億8000万円で足踏みした時期もありました。それをどのように打開したのでしょうか。

石垣 一番の弱点は、会員が朝一気に出荷するので、午後から商品が少なくなってしまうことでした。「空箱を見にきたわけじゃない」とお客さんに怒られることもありました。そこで、行政からの補助金を活用し、商品の売れ具合を会員にメールで知らせるシステムを導入しました。すると、会員が補充をしやすくなり、せっかく来てくださったお客さんが手ぶらで帰るような機会損失が減りました。このシステムを導入した06年以降は、売り上げが2億円を超えるようになりました。全員会議もそうですが、会員と情報を共有して1人1人が力を発揮できる環境をつくることが鍵だと思います。

石垣さんとスタッフ。「チアフルマザー」たち(写真:大槻純一)
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求められる第二のふるさと観光、グリーン・ツーリズムに注力

――最近は修学旅行生の農業体験を受け入れるグリーン・ツーリズムに力を入れていますね。

石垣 ただ物を売るだけではなく、「この人がつくったものを買いたい」というファンを増やし、農村を残していきたいと考えています。15年は約200回で4000人ほどの体験を受け入れました。農業体験やきりたんぽ作りなどを通じ、食から地域の学びを伝えることを目指しています。

 以前は北海道からの修学旅行生が北東北に来ても、大館市は素通りされることが多かった。でも、観光地ばかりが土地の魅力ではないですよね。この辺りは農村地帯ですから、農業や食を通すことが地域の魅力を伝える第一歩。ありのままの生活に溶け込んでもらうことが、田舎流のおもてなしです。身近なところから地域の特色や歴史を紐解くことに面白みがあります。

 14年には、「大館市まるごと劇団」を旗揚げ。農家の女性たちが秋田弁で演じる、ユーモアたっぷりの芝居が好評です。大館に来なければ会えない母さん、食べられない物、見られない景観、伝わらない想いを知ってほしいです。人と人の自然体な交流が、かけがえのない経験を生み、学びになると思います。

――さらに、農商工連携や広域で連携する動きも出ています。

石垣 せっかく修学旅行生が増えても、農家だけではできることが限られます。特に、修学旅行では大人数の団体を受け入れることになります。05年にここ大館市は1市2町が合併したのですが、その後も旧市町がバラバラで活動していたことに、「もったいない」と思いました。農業体験の他にも、伝統工芸品の大館曲げわっぱや、市が推進するエコリサイクルにも触れてほしい。各地域、各産業の人で一緒に大館市をPRしていこうという考えから、10年に観光協議会、JA青年部、青年会議所、市産業部などと共に官民共同で「まるごと体験推進協議会」を設立しました。修学旅行生の受け入れ窓口を一本化し、体験メニューの幅を広げたのです。「母さんの店」は各施設で体験活動の勉強会や人材派遣を行っています。大館全域の中でそれぞれの得意分野を生かし、訪れた人に少しでも長く滞在してもらうことが狙いです。

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体験工房も併設。この日は首都圏からの参加者にそば打ち体験をしてもらった(写真:大槻純一)
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――新しいことにチャレンジしようという意欲がすごいですね。

石垣 常に話題になって注目されることが、店や地域の元気の源です。みんなで面白がりながら新しい企画を考えていますし、女性だけなので遠慮しないでどんどんアイデアを出すことができます。10年には集落型の農家民宿もスタートしました。修学旅行生に「また来いな」と言って別れるのに、いざ再訪した時に受け入れる場所がないと困ると考えたからです。少しずつ未来の大館ファンのことも考えていかなければいけません。民宿では大人の方にも農村に来てもらいたいと考えています。ふらっと訪れて、農業に触れたり、「母さん」に愚痴をこぼしたり、そんな一種の「ふるさと」のような場所が求められているように感じます。

――事業規模が年々拡大し、15年には株式会社化も果たしました。

石垣 88人で立ち上げた「友の会」の会員も、高齢化の影響から今は69人に減りました。60代、70代が中心です。立ち上げ当初は素人臭さも一つの個性でしたが、いつまでも素人ではいられません。支援者の保証もしていく必要があります。そこで、会員全員が株主となって、株式会社を設立しました。16人のパートの希望者全員を正社員にし、今後は農家や女性に限らず採用の幅を広げて人材を育成していきたいと考えています。私たちの共通の思いは「ずっと陽気な母さんの店を守っていきたい」ということ。その思いを汲んでくれる後継者が交代しやすい環境を整えています。足りない農産物を供給してくれる応援会員の協力も得ています。

 今後は、山菜の作付けにもチャレンジする予定。大館市は山に囲まれており、山菜が豊富です。おいしい旬の山菜を伝えたいので、16年から薬膳料理の勉強も始めたところです。山菜の栽培は難しいともいわれていますが、今まで通り冷静に課題を分析してクリアしていけばいい。私たちが誇りをもつ「農業」の魅力をさらに発信するため、やらなければいけないことは尽きません。

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大館市とネスレ日本が連携、「ネスカフェ キッチンカー」の仕組みを活用して地域課題を解決する「地域活性化プロジェクト」にも参加している(写真:大槻純一)
<インタビューを終えて>
 石垣さんと初めて会ったのは6、7年前だと思います。そのときに、秋田弁で事業を熱く語る石垣さんの、強いリーダーシップと組織マネジメント力に感嘆しました。でなければ、2億円超の事業に育てることはできません。行政を巻き込み、企業と提携し、次々と事業を拡大する石垣さん。その中心にあるのは、安心・安全でおいしいものを届けたいという生産者としての使命と、故郷をこよなく愛する深い郷土愛だということがよく分かりました。
麓 幸子
麓 幸子(ふもと・さちこ)
日経BPヒット総合研究所長・執行役員
麓 幸子(ふもと・さちこ) 1984年筑波大学卒業。同年日経BP社入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。06年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。日経ウーマン、日経ヘルスなど3媒体の発行人となる。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年現職。2014年法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府、林野庁、経団連・21世紀政策研究所研究委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書等に『女性活躍の教科書』『なぜ、あの会社は女性管理職が順調に増えているのか』(日経BP社)、『企業力を高める―女性の活躍推進と働き方改革』(共著、経団連出版)、『就活生の親が今、知っておくべきこと』(日本経済新聞出版社)などがある。

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