「最大震度7、最大津波高34.4m」。これは2012年3月31日、内閣府が公表した「南海トラフの巨大地震による震度分布・津波高の推計(第一次報告)」で、高知県黒潮町に示された数字だ。「日本で一番高い、34.4mの津波が来る町」とされて以降、黒潮町は「震災前過疎」に見舞われた。しかしこれを逆手に取り、新たな産業を生み出す。アレルギー対応の防災缶詰を開発、黒字化に成功したのだ。

「黒潮町缶詰製作所」の外観。「34M」と入ったロゴマークが特徴的だ(写真:山田真弓)
[画像のクリックで拡大表示]
7大アレルゲン(えび、かに、小麦、そば、卵、乳、落花生)不使用を全アイテムで打ち出した黒潮町缶詰製作所の缶詰(写真:山田真弓)
[画像のクリックで拡大表示]

 のどかな漁師町の一角、シンプルながらしゃれた外観の工場が佇んでいる。周辺には特に大きな建物は見当たらない。高知県黒潮町の第三セクター「黒潮町缶詰製作所」の缶詰工場だ。自治体主導で防災関連産業としてスタートした黒潮町缶詰製作所は今、「アレルギー対応食品メーカー」「地場産業メーカー」として注目を集め、他県、他社からの依頼も増加している。

 そのロゴマークに示された「34M」という数字は、内閣府が想定した黒潮町の津波の高さ=日本で一番高い34.4mを表現している。そこには「ネガティブな状況をポジティブに換える。ピンチはチャンスに変えることができる」という、これまでの黒潮町の姿勢が映し出されている。

“世界で一番の津波が来る危険な町”を“防災について一番知っている町”に

黒潮町 産業推進室の濱口無双氏(写真:山田真弓)
[画像のクリックで拡大表示]

 高知県黒潮町の人口は2017年11月30日現在で1万1436人、世帯数は5558世帯だ。実は東日本大震災前、2010年時点の人口は1万2366人。当該の震災の被災地ではないのだが、7年間で900人、人口が減少している。

 黒潮町 産業推進室の濱口無双氏によれば、これは2012年3月31日に内閣府が「南海トラフの巨大地震による震度分布・津波高の推計(第一次報告)」で黒潮町を「最大震度7、最大津波高34.4m」が来る町、つまり「日本で一番の津波」が来る町としたことの影響が大きかった。津波リスクや高台に住宅地がないことから、職場が町外にある町民が転出する動きが加速し、2013年には社会減(他地域への転出によって生じる減少数)が自然減(死亡数から出生数を引いた数)を超える事態に。いわゆる「震災前過疎」の状態だ。

 ただでさえ産業衰退、人口減少が懸念される地方にとって、これは危機的状況だ。

 また、残った町民の間には「逃げ場所がない」「高知県沿岸に津波が到達するまでの時間は2分だから逃げても仕方がない」と考え、「避難を放棄するあきらめムード」が漂った。そこで大西勝也町長を中心に職員たちは防災に関するワークショップを重ね、住民とともに「個別避難カルテ」を作って避難計画を具体化したり、日本一の高さという避難タワーを作ったり、避難具を整備したりと「町の予算の多くを防災にかけて、防災を最優先させた」(濱口氏)という。

 「“一番危険な町”と呼ばれているなら、逆に“防災について一番知っている町”にならなければならない。“なんとなく、こうしている”では実際には避難できない。課題をあぶり出し、どれくらい予算があればできるのか。今すぐできるのか。すべてを“想定外”で片づけず、第一段階ではここまで逃げて、第二段階でここまで逃げるなど、避難計画を具体化し、避難路を確保するなどインフラを整備していった」(濱口氏)。

[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
上は黒潮町の「戸別カルテづくり」で集められた全世帯の避難計画。右は日本一の高さを誇る避難タワー(写真提供:黒潮町)
避難経路の確保を推進した(写真提供:黒潮町)
[画像のクリックで拡大表示]

 こうした努力の甲斐もあり、町民の間からあきらめムードが消え、おのおの防災を自分事として捉えられるようになったのを実感していると濱口氏はいう。とはいえ“防災について一番知っている町”になれても、震災前過疎問題は解決しない。すぐに「人口減少を食い止めるためには、防災だけでなく産業が必要」(濱口氏)という課題に行きつく。