一大産業の城下町でも、大都会や大規模工業地帯のベッドタウンでもない。しかし、50年前から人口を増やし続ける地方の町がある。和歌山県西牟婁郡の上富田町は、なぜ、半世紀以上も人口を増やし続けることができたのか。キーワードは「金がない」と「巻き込み」だった。今回は「番外編」として“人口が増え続ける元気なまち”を取り上げる。

 和歌山県上富田町の人口は、国勢調査で1965年の9660人から2010年の1万4807人まで、一度も減ることなく増え続け、2017年1月31日現在は1万5562人と、半世紀以上にわたって人口増加を続けている。

 北の田辺市と南の白浜町に囲まれ、海に近いが接してはいない面積約57km2の小さな町。古来から熊野古道の入り口「口熊野」として知られるが、観光産業が盛んな訳でもなく、町内の駅はJR西日本紀勢本線の朝来駅のみで、2時間に1本、普通列車しか停車しない。

 地方の町や村が深刻な人口減少に悩まされるなか、なぜ、この町は人口を増やし続けることができるのか。そこには財政の乏しさを逆手にとり、住民や企業に町政の取り組みに積極的に参加・支援させることで、産官学民が一体となる町づくりを実現した「巻き込み型」の自治体戦略があった。

農業の町を方向転換、まず企業誘致で働き場所を作った

 上富田町は、古くはウメとミカンの栽培を主産業とする町だった。1976年に議決された第1次総合計画では「農業の町」として発展を目指し、農林省からさまざまなモデル事業の補助金も得た。しかし、11年後の第2次総合計画では、町の目指すべき方向を「農業と商工業の調和のとれた田園工業型の町」へと転換した。

 上富田町の小出隆道町長は言う。「農業だけでは町の人口が増えないので、地場産業も大事にしますからほかの企業も来てください、と企業誘致に力を入れた」。

和歌山県西牟婁郡上富田町の小出隆道町長(写真:佐保圭、以下同)
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 実は、すでに第2次総合計画が議決される6年前の1970年の時点で、町役場や議員の熱心な働きかけにより、和歌山市に本社を置いていた老舗アパレル素材メーカー「ヤマヨテクスタイル」(現在は本社も上富田町に移転)の工場を誘致し、地元に100人の雇用を生んでいた。また、1975年4月には、工場長が上富田町の出身者という縁から、ベアリング製造業界大手のNTNの工場も誘致した。

 「町の人口を増やすには、仕事と生活環境が非常に大事です。働く場所としての企業を誘致し、暮らす場所として和歌山県と上富田町で企業団地を造成し、町役場が住宅団地をつくった。この第2次総合計画が、今の上富田町の発展につながっている」(小出町長)。

 ただ、ヤマヨテクスタイルの山下郁夫社長が「農業の町から工業の町になっても、それで終わってしまう町がたくさんある」と指摘するように、企業誘致だけで人口を増やし続けるのは難しい。「そこで出てくるのが、健康で生きがいのある町づくりです」と小出町長は言う。

交付金で作ったスポーツ施設を軸に健康のまちづくりへ方向転換

 第2次総合計画を議決してから4年後の1989年、地域振興のための「ふるさと創生事業(自ら考え自ら行う地域づくり事業)」として、上富田町にも1億円が交付された。

 「1億や2億では何もできない」と考えた上富田町は、この1億円にその後の数年間で得たさまざまな補助も足して初期の原資とし、地方債なども発行してまとまった資金を調達して、スポーツセンターと文化会館をつくることにした。

 上富田スポーツセンターは、1992年に着工し、1995年に完成した。

上富田スポーツセンター。現在は、サッカー、ラグビー、アメフト、ラクロス、フットサルなどで使用できる天然芝の多目的グランドが2つ、それらに加えて野球やソフトボールにも使用できる人工芝の多目的グランドが1つ、プロ仕様の野球場と屋根付きブルペンが1つ、屋内イベント広場(雨天練習場)、人工芝のテニスコート4面と、非常に充実している
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 「どこかの町みたいに金塊を公開するのではなく、子どもたちの将来につながることに使おうと考えたことが、いま芽を出している」と小出町長が言うように、十数億円を投じてつくったスポーツセンターが、その後、町のイメージアップに加え、「上富田町=スポーツ教育の盛んな町」という認識を醸成して、人口増加にも寄与することになる。

 1996年、上富田文化会館も完成。同年には、第1回紀州口熊野マラソンが開催された。和歌山県で唯一のフル、ハーフマラソン公認コースで、歴史と豊かな自然を感じながら走れる日本陸上競技連盟公認大会として、第22回を迎えた現在では県外からの参加者が半数を超える人気となっている。

 そして、1998年2月、上富田町役場で総務部企画課の財政課長、建設部長を歴任してきた小出隆道氏が町長に初当選。翌1999年には、第3次総合計画「健康で生きがいのある町づくり」が議決された。

 町づくりの主体を「農業」から「企業誘致」と変えてきた上富田町は、次なるテーマとして「健康(スポーツ)」に照準を合わせた。この頃から、上富田町の「行政に住民や企業を巻き込む」という戦略が顕著になってゆく。

「金がないこと」が公民ともに当事者意識を育てる

「口熊野マラソン」のチラシ。2017年は2月5日に開催され、4662人(フル:2593人、ハーフ:2069人)が参加した(資料:上富田町)
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 「小出町長は、民間の商業感覚に近い。スポーツセンターも文化会館も、放っておけば維持費だけで何千万円もかかり、役場の財政が苦しくなるから、町長も役場の職員もコストをなんとか回収しようと一生懸命です」。そう説明するのは地元を代表する企業であるヤマヨテクスタイルの山下社長だ。小出町長は自ら日本サッカー協会に足を運び、Jリーグの柏レイソルやなでしこジャパンのキャンプを誘致し、補助も得た。また、プロ野球のウエスタンリーグ(2軍)の公式戦も呼ぶことができた。

 これらの誘致活動の特徴は、運営に町の補助金を使わないことだ。「町役場は財政の範囲でしか動けないから、常に『できるかぎり協力してほしい』と町民や地元企業に発信しています」(小出町長)。

 実際、毎年行われる「口熊野マラソン」の運営は1000人近くの町民のボランティアで支えられている。また、ウエスタンリーグの開催・運営についても「子どものためにと言われて、十数年間、招待券の購入などで支援しています」(山下社長)というように、地元企業のサポートを受け、補助金なしで運営されている。

 言葉は悪いが、これだけこき使われ、資金援助を求められ続けて、企業や市民は文句を言わないのだろうか。

 小出町長は笑顔で答えた。「地域の行事には役場の職員がボランティアとして必ず率先して参加するので、町民も企業も自ら進んで参加してくれる。私も職員も、後ろだてはしても介入はしない。町のことは、押し付けられてするものではないんです」。

 「小出町長は、何をするにも地元企業、住民の青年部、商工会議所の人たちに協力をお願いして、企業も住民も行政に巻き込みます。どんなイベントでも全員参加で、すべて成功して今日に至っています」(山下社長)。

 決して強制するのではなく、「お金がないから」とボランティアや資金援助など自主的な協力・支援を願い、企業や住民を巻き込むことで、結果、まちづくり(町政)を住民や地元企業の“自分ごと”に変えているわけだ。企業や町民はまちづくりに参加した達成感を得るだけでなく、イベントの実績や取り組みの成功で上富田町に誇りを持ち、愛着を深めることになる。結果、「住み続けたい町」になり、人口流出を食い止め、人口増加につながるという構図だ。

 この戦略が「教育」面でも生かされたとき、上富田町には「移り住みたい町」の評価も加わることになる。

魅力ある教育と住宅を整備し「住みたいまち」をつくる

 2010年に議決された第4次総合計画のテーマは「みんなが学んで花ひらく口熊野かみとんだ」で、それを代表するのが、2006年にNPO化された総合型地域スポーツクラブ『特定非営利活動法人くちくまのクラブ(通称 Seaca)』の活動だ。

 総合型地域スポーツクラブは、1995年から文部科学省が実施するスポーツ振興施策で、全国に存在する。しかし、スポーツセンターと文化会館を有する上富田町のSeacaの充実ぶりは、群を抜いている。毎月500円の会費さえ払えば、サッカー、野球、バレーボール、バスケットボール、バトミントン、空手、柔道、剣道、ダンスなどのスクール、英会話、卓球、カヌー、レスリングなどのサークルに自由に参加できるのだ。現在、上富田町の約870人の小学生のうち約500人が参加。これらの運営も町民のボランティアが主体となり、商店も含めた地元企業160社の寄付金やイベント時の参加賞の提供などでサポートされている。

 「町に人が増える要素では教育が大事だと思います。Seacaに子どもを通わせたいからと上富田町に移り住む人もいます」と小出町長は胸を張る。実際、上富田町以外の市町村からも150人ほどの小学生がSeacaに参加しているという。

 働く場所(仕事)があり、住民たちが積極的にイベントや教育活動に参加し、自分たちの暮らす町に誇りと愛着を持っている上富田町は、近年、田辺市や白浜町で働く人たちに「住む場所」としても選ばれ始めた。とりわけ、瀟洒な住宅が並びセンスの良い飲食店も点在する「南紀の台」エリアの人気は高く、造成・開発が積極的に進められ、町の人口増加に直結している。

上富田町のみならず、周辺の田辺市、白浜町で働く若いファミリー層からも人気の高い住宅地「南紀の台エリア」
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 こうして「住み続けたい町」の魅力に「移り住みたい町」の評価を加えた上富田町では、転入者が転出者を上回り、今も人口増加を維持している。それでも「金がない」という事実に変わりはないという。

 小出町長は、悪びれることもなく「うちは学校給食の実施が和歌山県で一番遅い」と告白する。「学校の耐震化とか、保育所をつくるなど、公でがやるべきことは役場で優先的に実行する。その代わり、学校給食は後回し。個人でカバーできる部分はできるかぎり個人でしてほしいという旨を町民に伝えている。学童保育も民間にやってもらう。財政が貧弱だから、できない部分は民間の人が助けてくれる。昔からそうだ」(小出町長)。

 上富田町の行政の特徴は「したたかさ」だ。「町財政の脆弱さ」を武器に変え、住民や地元企業の協力・支援を得ることで、「移り住み、住み続けたくなる町づくり」を“自分ごと”として実現させてきた。それが「人口増加」の秘密を解く鍵だった。

 最後に、どうすれば住民や地元企業が町に誇りと愛着を持てるようになるのか、尋ねた。

 「一番大事なのは、人のつながり。人の和を大事にしたら、必然と、他の人も大事にしてくれます」

 上富田町の取り組みは、地方創生はもちろん、日本全体の今後を考えるうえでも示唆に富んだ実例と言えるだろう。

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