東日本大震災から8年、2011年度に策定した「気仙沼市震災復興計画」の最終年となる2020年度に向け、宮城県気仙沼市では、まちの再開発やインフラの整備が急ピッチで進んでいる。「まち」はどこまで復興したのか。これから「しごと(産業)」をどうしていくのか。それを担う「ひと」づくりをどうするのか。その答えを求めて現地を訪ねた。前編では<まちの復興><しごとの復興>について、そして、今回の後編では<ひとの復興>についてまとめた。

<ひとの復興>気仙沼まち大学構想で人によるまちづくりを推進

気仙沼市が推進する産業界の人材を育てる「経営未来塾」(現・気仙沼経営人材育成塾)。「プレゼンをしたことも、パワポを使ったこともなかった自分の背中を未来塾の関係者が押してくれた」と菅原氏(写真提供:気仙沼市)
[画像のクリックで拡大表示]

 まちが再生し、産業を創出する――。それを担う「ひとづくり」に気仙沼では力を入れてきた。

 「気仙沼は震災によって様々な支援がもたらされ、ボランティアの若者やCSR活動を行う企業人などがやってきて、これまでにないネットワークが得られた。それらを生かして、人を中心にしたまちづくりを考えている」と、同市震災復興・企画部の小野寺憲一氏は説明する。

 市がまず取り組んだのが地元産業界のリーダー養成だ。まず、無償で被災地の復興を応援する経済同友会の「東北未来創造イニシアティブ」に手を挙げ、人材育成道場「経営未来塾」を2013年に立ち上げた。期間は6カ月間。月1回、博報堂やマッキンゼーなどから派遣されたスペシャリストによる専門分野の講義があり、さらにトーマツなど、4大監査法人のスタッフがメンターとして伴走しながら、最終回に練り上げた事業を塾生が発表するというもの。メンターとはメールやテレビ会議、上京したときに面談などで密な指導が行われた。

 2期生として2014年に参加した菅原工業専務の菅原渉氏は、「経営未来塾は、気づきの連続だった」と振り返る。

菅原工業は年商17億円と、震災前に比べ、売り上げが20倍に拡大した。気仙沼には仕事があることを知ってもらって、将来、Uターンしてもらおうと、中学校に出前授業をやっている(写真:日経BP総研)
[画像のクリックで拡大表示]

 「震災で会社に残ったのはダンプカー1台と従業員5人だけだった」と菅原氏。しかし、道路の復興工事の受注でどんどん会社の規模が大きくなっていった。菅原氏が経営未来塾への入塾の話を持ちかけられたのは、ちょうどそんな時期だった。

 「会社は順調だった。しかし、この復興需要が終わったとき、社員40人、協力会社を含めると100人を超す所帯をどうすればいいのか」――。入塾を決めたのは、菅原氏がそんな課題感を持っていたからだ。

 入塾のときのことだ。菅原氏は指導役だったアイ・エス・エル代表の野田智義氏から、「せっかく道路を作っているのなら、世界の72億人を相手にしては」と声をかけられ、インドネシアに目を向けるきっかけになった。実は気仙沼にやってくる漁船の乗組員の多くが、インドネシア人。水産加工業も技能実習生はインドネシアから大勢来ていた。

 「いろいろ調べてみると、気仙沼市は若い人が少ない、若い働き手がいなかった。確かに会社でも道路工事の仕事はあるのに、募集しても働き手が集まらない。ところがインドネシアは逆で若い人は多いが、働く場所がない。しかも日本の技術を学びたいという人が多いのが分かった。そこで、気仙沼の人手不足をインドネシアの技能実習生により解決することを経営未来塾の課題に据えた」(菅原氏)。