単なる大規模化は人口減を招くだけ

 ほかの農村に比べて農家の所得は高い大潟村だが、この点について髙橋村長は楽観していない。「農家1戸当たりの水田の平均は現在17.7ヘクタールですが、米価も下がっているので、もう大規模な稲作農家とは言えないという認識を持って、さまざまな努力に取り組んでいます」。

 大潟村の主力産品である米はこの先、国内需要は確実に減少するという危機感を村も、個々の農家も持っている。

 1970年に入植した大潟村農業協同組合の細川忠通専務理事はこう指摘する。「大規模農家は米だけでいいですが、15ヘクタールの農家は、別の方向に舵を切らないと、これまでと同じ生活はできません」。

大潟村農業用同組合の細川忠通専務理事(写真:佐保圭)
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 「大潟村の15ヘクタールの農家がコストメリットを求めて40ヘクタールや50ヘクタールとさらなる大規模化を目指すと、村内土地は限られているため、逆にそこで暮らす人口は減ってしまう。人口を減らさないように大潟村で生き残っていくことが一番大事なので、15ヘクタールでも食べていけるよう、農協がきっちりと営農指導しなければならない」(細川専務)。

 農地を増やさずに収入を増やす方法として、大潟村の農協が推奨するのが「米以外の農作物の栽培」だ。もともとが干拓地の大潟村の土地は、水はけが悪く、畑作には向いていない。しかし、土質改良した園芸団地では、ニンニク、麦、大豆、果物や野菜などがつくられている。湖底だった土壌にはミネラルが豊富に含まれているため、メロンやかぼちゃの栽培には適しており、収穫されたものは糖度が高く、市場の評価もよいという。

 この畑作の収入が300万円から600万円ほどプラスされることで、15ヘクタールの農家の年収は2300万円から2600万円程度になっている。

 畑作への取り組みが広がったのには大潟村特有の背景があった。大潟村は食糧増産の生産基地としてつくられたが、誕生からわずか4年後の1970年、政府は米の価格維持のための減反政策を開始し、全国の稲作農家に米作りから畑作への転換を迫った。

 大潟村の農家は、国の方針に従う「生産調整派」と、国に従わず米づくりを続ける「自主作付け派」に真っ二つに割れ、1995年に食糧管理法が廃止されるまで激しく対立した。

 この歴史を背景に「生産調整の補助金があるうちに、作物の栽培のコツを取得しようという意識の高い農家の方たちも増えていきました」(細川専務)。最近では、ほかの理由から、花や園芸品に取り組む若い世代が増えているという。「ここはもともとチューリップの産地でしたが、最近はトルコキキョウやひまわりなどの花卉の栽培も盛んです。花は関税がゼロですから、関税がなくなって市場が開放されたとしても、競争力のある産品を持っていれば将来に効いてくる。このように補助金に頼らない農作物でやっていきたいという人が増えているようです」(細川専務)。

 花卉や園芸、野菜の栽培に関しては、もう1つ、メリットがある。村で農業に取り組む女性が自分の仕事の価値を実感しやすいという点だ。大潟村の産直センター「潟の店」には、さまざまな花卉や野菜が並んでいるが、そのラベルに書かれた生産者のほぼすべてが女性の名前だ。

 「米はすべて夫の名前で出荷されます。一方、花卉や野菜は、女性でも、自分でつくって、自分で値段をつけて、自分の名前で売れますから、働きがいがあり、みなさん非常に楽しそうです」(細川専務)

園芸団地のハウスで栽培されるトルコキキョウ
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 JAも村も、あらたに畑作に取り組む農家を積極的に支援してきた。たとえば、JAが発売元となり、現在、秋田県で一番売れているお土産「パンプキンパイ」も、かぼちゃの売り先を広げるためにJA大潟村の女性職員が考案したヒット商品だ。「かぼちゃをアンに使ったスイーツができないか」と考えた彼女は、まんじゅうや練り込みなどの試行錯誤を続けた末、バターたっぷりのパイ生地でかぼちゃのアンを包んだ甘さ控えめのパイを開発した。

 平成30年から国が生産調整に関与しなくなるが、細川専務は「米の競争は相当激化しますが、大潟村は生き残れると考えています」と胸を張る。

 一方、あくまでも“米”にこだわって大潟村の未来を拓く取り組みも進められている。