公園など都市のオープンスペースのサステナブルな利活用について考えていくシリーズ「公園が変わる! 街が変わる!」。第13回は当初の掲載予定を急きょ変更し、昨今の新型コロナ現象による公園の在り方の変化について、公園行政の第一人者で造園技術者でもある前国土交通省公園緑地・景観課長の町田誠氏(SOWING WORKS 代表)に、緊急寄稿をお願いした。町田氏は、コロナ禍の昨今見られる「室内にいられなくなったから公園に行く」というパッシブな公園の価値に依存するのではなく、今こそ「公園を使い倒す」考え方が重要だと説く。

町田 誠
前国土交通省公園緑地・景観課長、SOWING WORKS 代表
町田 誠 1959年生まれ。82年に千葉大学園芸学部を卒業後、建設省(当時)に入省。都市・地域整備局公園緑地課緑地環境推進室企画専門官、東京都建設局公園緑地部長などを経て、2016年に国土交通省都市局公園緑地・景観課長に就任。18年7月退職。18年12月からSOWING WORKS代表に就任。千葉大学園芸学部と横浜市立大学国際教養学部で非常勤講師を務める

(1)前提I・公園の在り方についての筆者のスタンス

 新型コロナ禍まっただ中に、このタイトルでの意見開陳にはいろいろな意味でリスクが伴うが書かせていただく。論点、切り口は「専門性」と「リスク」対峙。専門性(専門家)が負うべきリスクは何なのか、リスク対峙の仕方、ということを新型コロナウイルス感染症が拡大する中で起きている現下の現象(以降、新型コロナ現象)を、公園に係る政策・施策を省みる素材として、公園の世界の現状、進めるべきこれからの公園在り方について論じたい。

 「公園を使い倒す」――。品の無い言葉を使って、私が公園の積極活用を訴える活動を始めたのは2013年頃のことだ。公園には様々な役割・機能・顔がある。その中でなぜ、これほどまでににぎわい形成、集客に、こだわり続けてきたのか。

 今から20年以上も前、公園の費用便益分析手法がない中、経済の先生方3人に導いてもらって便益の計測方法を国土交通省でつくった時の経験が、私のこだわりのベースとなっている。

 ここでは、公園利用に伴う価値(直接利用価値)の計測については旅行費用法を用いて、また、環境や防災など、一般的に「存在効果」と言われる価値(間接利用価値)の計測については、対価として世帯ごとの支払意思額をベースにした効用関数法によって導き出し、これら2つの方法のハイブリッドによって、公園の価値・効用を算出することとした。最初は比較的規模の大きな公園だけを対象とし、その後、小さい公園への適用を拡大する中で、手法の改善は進められてきている。

 ところが、最初の「旅行費用法と効用関数法によるハイブリッド手法」確立の作業の中で、直接的利用価値に比べて間接的利用価値(存在効果:公園の存在自体によって生じる環境や防災の効果)が全然積み上がらない、つまり、利用者にとって間接的利用価値はあまり重視されていないことに気づいた。そして、その傾向は今も変わらない。

 私自身は、正真正銘の造園技術者、専門家であるから、草も木も、鳥も虫も魚も大好きである。人間の侵入を拒絶するくらいの公園も「アリ」と思っているくらいであるから、存在効果が積み上がらないことに「いら立ち」が募った。しかし、それが社会の現実、平均的な都市生活者からの公園の評価、価値づけの現実であることを受け入れなくてはいけない。

 専門家が、都市の中の自然としての価値、あるいは防災の役割を主張・説明しても、平均的な都市生活者のそれらへの支払い意思は上がらない。そうした現実を専門家は受け入れて、「税を原資にして」公園をつくって、管理するのならば、公園のオーナー、クライアントである平均的な都市生活者の評価に応える公園を目指すべきである、というのが私の基本的な構えである。

 環境や防災の役割が小さいと言っているわけではない。納税者の支払い意思が積み上がらない機能に重きを置いた姿の公園をつくることは好ましくないということだ。整備・管理に投下される金額(税)を上回る消費者余剰が積み上がる公園が、社会的な合理性を持つのである。こうして「利用者でにぎわう公園」、「公園を使い倒す」、「使われてなんぼ」という発想は生まれた。

(2)前提II・「専門性」の概念と「リスク対応」の在り方

 新型コロナ現象から学ぶ公園の在り方について話を進める前に、断っておきたいことがある。これまで何回も使っている「専門性」や「専門家」に相対する概念を表す適当な言葉が見つからず、困っているということだ。

 私が想定する「専門性」「専門家」は、「素人」や「アマチュア」の対義ではない。相対する概念として近いイメージの言葉を並べると、「大衆」「社会」「常識」「一般」などであり、これらの概念の複合語が欲しいのだが、本論を進めるため「社会」という言葉で代替させるということをお断りしておく。「素人」や「アマチュア」の対義の「専門性」「専門家」は、おそらく常に「真理」や「正しさ」と一体で存在するが、これから展開するロジックにおいては、「真理」や「正しさ」は、ほぼ「社会」の中(側)に存在する。つまり「専門性」「専門家」は永遠に「真理」や「正しさ」と一体化しない。継続的な努力により、「真理」や「正しさ」に近づこうとしなければならない。

 さて、新型コロナ現象である。新型コロナ現象から「専門性、専門家のリスク対峙の仕方」を学び、最終的に「これからの公園の在り方」へとたどり着きたい。

 新型コロナ現象の中で、私たち社会の一般人(専門性のない人たち)は、コロナの持つ本質的なリスクに関する情報を十分に与えられることなく、「3密を避ける」ことが早い段階で求められた。「換気の悪い密閉空間」「多数が集まる密集場所」「間近で会話や発声をする密接場面」を避けることが求められ、抽象的な「3つの密」では社会万人向けの行動規範となり得ないので、追っかけ「人との接触を8割減らす、10のポイント」が「専門家会議」の「会見という形」で示された。

新型コロナウイルス感染症専門家会議が2020年4月22日に示した「人との接触を8割減らす、10のポイント」(資料:厚生労働省)
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 こうした流れとともに、「新型コロナ特措法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)に基づく緊急事態宣言」の発令を受け、(1)不要不急の外出の自粛、(2)学校や保育所、興行場などの使用の停止、(3)大勢の人が集まる催しものの開催制限――などについて、都道府県知事による要請がなされている。

 具体的な対策(要請内容)は行政の判断の結果であり、それが経済的リスクを伴うものであっても、感染症のリスクが不明であるから、社会の一般人は受け入れざるを得ない。

 しかし、「感染症のリスク」と、トレードオフの関係にある「(感染症対策の結果発生する)経済的なリスク」のどちらもが、社会に向かってきちんと説明されていないという状況下で、新型コロナ対策が大がかりなものであればあるほど個人の経済的な損失が大きくなる。さらに根本的なリスクの回避の目途が不明であるから、いつまで続くか分からないというエンドレスの不安を生み出す、という構図となっている。

 さて、新型コロナ現象の中で、公園という分野はどういう立ち位置なのか。公園の専門性は、感染症学とは無縁、もしくは縁が薄い。感染症の知見はない、あるいは少ない。

 では、どのように立ち回るべきか。感染症の専門性から提供されるリスクに係る情報を勘案したうえで行政によって決定される総合的な対策(注)の中に、公園の特性を踏まえた的確な具体的措置を盛り込み、総合的な対策を講ずるべき一員として、期待される役割を確実に果たす――。公園の専門家の役割は、これに尽きるのである。

注)新型コロナウイルス感染症対策を進めていくプロセスにおいて、専門家会議が会見という形で提言を発表(4月22日)したこと、そして、専門家会議に座長の求めに応じて出席していた学識者(厚生労働省クラスター対策班に所属)が、単独で、「人と人の接触を8割減らさないと、日本で約42万人が新型コロナウイルスで死亡する」旨の分析を、これも会見という形で公表したことは、本来あってはならないことであると筆者は考える。

(3)新型コロナ現象下での公園分野の専門性と対応について

 公園の専門家としての意見を言わせてもらうならば、「3つの密」を避けるという方針さえ示されれば、公園空間や施設の管理者・経営者は、適切な対応ができるという立場を貫くべきである。なお、後に専門家会議の提言として示された「人との接触を8割減らす、10のポイント」は、「3つの密」の回避の必要性を既に示されている公園の専門家にとっては言わずもがなであり、空間や施設の管理者・経営者は、本来これを待つべき立場ではない。それ以前に、具体的な対策を打ち出していて当然だといえる。

 ちなみに「3つの密」は、3月1日に厚生省が発表した「新型コロナウイルスの集団感染を防ぐために」の中にその趣旨が既に見られ(専門家会議の資料としては第4回・2月29日)、クラスター対策のための原則と言える。「10のポイント」は4月22日、専門家会議からの提言という位置づけでしかなく、「3つの密」をかみ砕いたものである。この間にほぼ2カ月の時間がある。

 「3つの密」回避の措置を講ずるための労力や、措置に伴い発生する様々な反応(苦情やクレーム)への対応など、多くの労力が発生したり、本来は利用してもらいたい施設を閉鎖しなければならないというジレンマ・苦痛にさいなまれたとしても、確実にこなさなければならない。それぞれの公園、現場においては、さらに公園の専門性を発揮させ、個々の現場における感染症の拡大防止対策としての的確性を高めるように努めることが必要である。

(4)新型コロナ現象下での公園の対応策:「3つの密」の回避が原点

 新型コロナ現象の下、公園の世界ではどういうことが話題になっていたか。

 2月下旬から3月の頭に「3つの密」の回避の必要性が言われて、具体的なクラスターとして大型客船やライブハウスが大きく取り上げられ、人が室内で集まる状態が良くないと認識され、同時期に学校の一斉休業の方針が出されて実施された。そんな中で、公園で遊ぶ、公園で過ごす人が増えた。この時、公園の関係者の間で散見された意見は、「公園がにぎわっていて、やっぱり公園ってすばらしい」「公園は心身の健康を保証する」という認識をベースとしていた。

 こうした希望的な意見は否定されないであろうが、「3つの密」の回避に照らせば、いずれ問題になることは容易に想定され、ユーザーからの意見ならまだしも、こうした発言が専門家同士の中で交わされていたとしたら、公園分野の専門性に疑問を持たれても仕方ない。

 それだけではない。後述するが、こうした外部要因により引き起こされる公園への需要、必要論への依存は、公園の本質的な社会価値の向上につながらない。「樹木は二酸化炭素の吸収固定源になる。だから公園を増やすべきである」という論理ではダメなのである。「二酸化炭素の吸収固定源」というのは事実ではあるが、そうしたパッシブな価値づけは、気候変動への実効性(経済合理性)に係る情報提供を待つまでもなく、ユーザーに選択されない。ユーザーの支払い意思額が積み上がらない、と言っても良い。ユーザーは価値の本質を見抜いている。公園が有するもっとアクティブな価値をユーザーは求めている。

 「公園は役に立っている」などと主張する間もなく、花見の時期が訪れ、公園管理者は「3つの密」を回避するための手立てに追われることになる。3月20日、私は所用があって、東京都の上野公園を訪れた。すでに桜は咲き始めており、取られていた措置は、座ったスタイルの花見の回避、であった。

2020年3月20日に撮影した上野公園の様子。「3つの密」を防ぎつつ、飲食を伴わない花見を楽しめるような工夫がなされていた(写真:町田 誠)
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 緑(植物)を基調とするオープンスペースである公園にとって、花見を楽しむというのは間違いなく積極的に打ち出すべきアクティブな価値である。毎年レジャーシートが敷かれる場所にロープが張られて、縁石に座る利用者がいたとしても、ほとんどの来訪者は園路を歩きながら桜が咲き始めている空間を通過して楽しむことができる環境がつくり出されていた。公園の管理者としてもできるだけ花見の時期の利用者のアクティビティーを実現させてあげたい、という気持ちが伝わってきて、「飲食を伴わない花見」は公園の専門家として要領を得た実効性のある対応であった。

 しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大によって、ほぼ1週間後、そうした対応だけでは許されない社会的状況が形成され、花見エリアの全面閉鎖の措置が取られたのである。これもまた致し方ないことである。少しの期間であっても、上野公園のさくら通りを歩く時間をつくり出した管理者の努力は評価されるべきである。

 その後、どうしても人が集まってしまうということから、見ごろを迎える花の刈り取りや遊具の使用を制限する立ち入り禁止テープの設置が進められている。これもまた致し方ないことであり、社会的な要請に応えるための措置である。感染の拡大にはそれほど影響を及ぼさないのではないか、学校に行けない子供達に元気いっぱい遊んでもらいたい、という気持ちを抑えて淡々と責任を果たすべき局面である。

 すべては「3つの密」の回避が原点である。「3つの密」をベースとして、社会で起きている様々な感染被害の実態に係る情報を勘案しながら、公園の特性を熟知している公園の専門家としての行動規範を導き出せば次のようになる。

新型コロナウイルス感染症とトレードオフになる公園の不利用を巡るリスクがあるとすれば何か。その1つは、家に閉じこもり体を動かさなくなることにより引き起こされる健康上の疾患(血栓ができることによるいわゆるエコノミー症候群など)と、閉じこもることに伴うストレスの増加による心身への影響(不調)ということになる。公園の専門家はこれらのリスクの大きさを数値で表すことができないが、少なくとも、こうしたことがあり得るということを前提に、可能な限り、公園を利用可能な状態に置くことを目標に自らの行動規範の在り方を探る必要がある。

 日々の報道からうかがい知ることができることは、

  • 感染は、接触感染と飛沫感染が主体であり、感染率は驚くほど高くない(空気感染はしない)のではないか(空気感染・エアロゾル感染の差異も明確でなく、検査件数も不明ではあるが)
  • 重症化率、致死率も、高齢者や基礎疾患のある場合を除き、それほど高くないのではないか
  • (しかし、)罹患して重症化したら容易に治すことができないようである

 といったことである。そして、「3つの密」の回避が求められるわけであるが、オープンエアであり換気の心配がない公園に照らした場合の感染の機会を減らすための検討フローは、以下の通りとなる。

  • 空気感染(エアロゾル?) ⇨ 換気の徹底 ⇨ 公園では不要
  • 接触感染 ⇨ 手に触れる公園施設の消毒 ⇨ 公園管理者による作業(現実的には大変)
         ⇨ 施設利用後の手の消毒(徹底できない)
  • 飛沫感染 ⇨ 集団による利用を避ける ⇨ 注意喚起(大人には一定の効果、子供の制御は困難)
         ⇨ マスクの着用 ⇨ 注意喚起(大人には一定の効果、子供の制御は困難)

 公園における接触感染対策の中で課題となるのが遊具である。うかがい知り得る限り、感染率もそれほど高くなく(ここは誤解の恐れがあり、感染者数の実態に係る情報が必要)、子供の重症化率は低いようなので、元気な子供たちであるならば遊具の使用は認めても良いのではないか、という考え方もあり得る。ただし、子供が高齢者などに接触する可能性を払しょくすることはできないので、施設の消毒、利用後の子供の手の消毒、マスクの着用など、実効性の高い措置が確実に講じられないのであれば、子供の感染の機会を減らすため、遊具の利用は停止すべきである。しかし、もし実効性の高い措置を講じることが可能なのであれば、全力で対策を講じたうえで、遊具の利用を継続すべきである。

 今回の新型コロナ現象の中で、都市公園とオープンスペース・レクリエーション活動に関する国際的な非営利組織「世界都市公園会議(WUP:World Urban Parks)」の会長から、「国の指示やガイドラインが最優先であり、地域によって事情が異なることを理解し、指示を順守することを前提に、物理的な距離をとりつつ公園緑地を利用することについて」という声明が出されている。公園の世界に身を置く人間であれば内容は既に理解されていると思う。端的に言えば、「公園という社会資本の特性・大きな社会的効用を踏まえて、新型コロナ現象の下にあっても、その効用をできる限り発現できるよう、専門性を発揮して、具体的対応策の決定にもコミットして、公園の利用を促すために責任を果たそう」ということである。一言で言えば、負えないリスクがあることも理解した上で、最大の努力をもって実施可能なことはする、ということだ。

 また、天然資源や環境を損なわない経済成長を達成するために活動している政策センター「世界資源研究所(World Resources Institute)」(米国ワシントンDCに所在)が公開した記事「新型コロナウイルス感染拡大により今後の都市計画に求められる5つの視座」の中には、ロックダウンの中で公園が求められたこと、より広いオープンスペースを都市構造に組み込むことが災害時などにおいても有効であることなどが述べられている。

 公園関係者としては、こうしたことをエールとして、また、新型コロナ現象の中で新たに積まれる経験と知見を貴重な財産として、どのような緊急時においても、少しでも大きな社会的効用を発揮し続ける公園の姿と適正な管理を可能にする方策を模索し、着実に実行していくべきである。

(5)新型コロナ現象後も「公園を使い倒す」発想に変化はない

 公園は、公共事業の中で「不要不急」という扱いを受けてきた、と感じている。全体の公共事業費が伸びる時には、図体が小さいので、全体の伸び率を上回って伸びていくが、全体が削減されるときには、いち早く削られてきた。

公共事業の伸びと公園事業の伸び(資料:国土交通省のデータを基に筆者作成)
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 事業別(道路、河川、港湾など)の中期計画(五箇年計画)が束ねられて社会資本整備重点計画となった時、政策上の4つの柱(観点)として「活力」「安全」「暮らし・環境」「ストック型社会への対応」が示された。公園事業も全方位的に「活力」「安全」などのカテゴリーにも多く位置付けられるように努力したが、なかなか思い通りにはならなかった。機能や効果がエビデンスとともに示しづらい特性を持つ公園事業の宿命を感じた。

 では、税を原資として整備し、管理する公園という社会サービスは、このままでいいのか。

 まず言えるのは、新型コロナ現象の中で公園に人が集まる現象を受けて、花を刈り取ったり、駐車場を閉鎖したり、遊具の使用禁止を行い、公園全体を閉鎖せずに来訪行動に制限をかけていくことは、致し方なく、適切な対応策である、ということである。「3つの密」を回避する公園利用が求められる状況下だからである。

 しかし、新型コロナ現象後、「にぎわい」へのこだわり、「公園を使い倒す」発想そのものに変化があるかと問われれば、私は「ない」と答える。むしろ、日常生活全方位的に公園という空間を使いこなすということをさらに強く目指すべきだと主張したい。

 これからの公園の在り方を、本質的な公園の在り方論として考えようとするとき、新型コロナ現象の中で言われる「新型コロナウイルスとの闘い」「大規模(自然)災害と同じ」という言葉にとらわれるべきではない。

 新型コロナウイルスは、天然痘のような根絶(1980年WHO天然痘根絶宣言)に向かう対策を全世界的に打つことが可能なようには思われず、致命的な健康被害を回避する共存・共生ということになるのだと思う。根絶を目指す「闘い」と致命的な健康被害を回避する「共存・共生」では、打つべき政策、もっと言えば、具体的な対応策(特に現場レベルでの)が違ってくると思うのだ。

 また、新型コロナ現象は、大規模(自然)災害と同じでもない。情緒的・感覚的な物言いで申し訳ないが、大規模(自然)災害は「大きな怪我」であって、感染症による社会的被害は文字通り「深刻な病気」である。これも違う政策、違う現場対応が求められる。持続的、本質的で根気のいる「根本的な改め」が必要なのは、むしろ、感染症による社会的被害への対応のように思う。そうしたことを含めて、これからの公園の在り方を、本質的な公園の在り方論として考える必要がある。

 新型コロナ現象下で、公園における問題点として「見ごろを迎える花」や「遊具」ばかりが取り立てて一般に認識され話題に上ったということは、何を意味するのか。それは、公園という空間が、いかに人々の生活活動・時間の断片しか受け入れていないか、ということの裏返しと言える。今回の新型コロナ現象で、現在の公園は、限定的な目的において、局所的ににぎわいをつくり出している存在であることが確認できたと見るべきだ。

 だが本来、公園は、もっと全方位的に生活活動・時間を受け入れるポテンシャルを備えているはずだ。

 私が、10年以上も前から説明してきた公園という社会資本の量、すなわち1人当たり10m2を達成している意味、「国民全員一人ひとりが同時に10m2のレジャーシートを重なりなく敷いて真ん中に座った時、公園は初めて埋め尽くされ、家、オフィス、商業施設、交通施設、ありとあらゆる公園以外の場所から人は居なくなる」という量的充足を果たしている(偏在という問題はあるにしても)事実――。こうした前提に立てば、公園は、「密」を回避しつつもっと多くの人を迎える底力を持っている空間であることは明白だ。一方で、この社会資本をこれから永劫、税を原資とした資金で管理していくことは極めて難しい。民間との連携は不可欠といえるだろう。

 では、「全方位的に生活活動・時間を受け入れる」とはどういうことか。公園に本を読みに行く、公園に昼寝しに行く、公園でノートパソコンを開く、公園へ女子会に行く、ということが、現在において社会的に、普通にイメージできるのか。特定の目的が無くても、今日は1日公園に行く、ということに公園という社会装置は耐えるのか。そのレベルにはるかに到達しないのが実態なのではないか。公園にキャッチボールに行く、犬の散歩に行く、公園でMTBのトレイルをする、テントを張ってピクニックをする――これらは公園側が拒絶してしまっている行為である。

 公園の造りということで端的な例を挙げれば、公園のベンチは限られた場所に固定され、わずかに設えられているだけである。地面から切り離されて、移動可能なチェアやベッドがたくさんあるだけでどれだけ多くのアクティビティー、時間を公園が担うことができるか。

愛知県岡崎市の籠田公園。同市が実施する公民連携プロジェクト「QURUWA戦略」の一環として、暮らしの質の向上やエリアの価値を高める公園として昨年再整備された(写真:岡崎市)
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 「管理が大変そう」――。預かった税金でつくって税金で管理している公園が、オーナーでありクライアントである市民へのサービスを最大化するための苦労をすることは当たり前ではないのか。雨を避けるだけの屋根空間があるだけでも、公園の使いこなしは全然違ってくる。これまでの施設の設えや、使い方を常識としないアプローチ。空間的に、時間的に分割して、プライベートな使用を可能にするようなシェアリングする社会資本としての在り方も、おそらくこれからもっと成熟させるべきソーシャル・キャピタルの概念形成を促す社会資本として、公園は進歩的な役割を果たすのではないか。

 「余暇」時間ではなく、生活時間のできる限り多くの部分を公園中に切り出して存在させることが大事であり、有している空間(全国に9万カ所もある街区公園など小さな公園もすべて)をフルに使うための公園の在り方、公園の運営の仕方を真剣に考えるべきである。目指すのは公園の日常的生活空間化である。特定のユーザー層が高頻度に利用する公園、もしくは、特定のヘビーなコミットメントに応じる中で禁止行為の看板が増えていくような公園から、より多くの、すべての人が訪れ時間を消費し、信頼関係にベースを置いたコミュニティーの協調行動を促すような公園を目指すべきであり、「時間消費社会資本」としての全方位性を高めるべきだ。

東京都豊島区の南池袋公園。公園は進歩的な社会協調を創り出していく社会資本になれるはずだ(写真:日経BP 総合研究所)
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(6)ソーシャル・キャピタルの形成を促す「時間消費型社会資本」へ

 朝起きて一番のコーヒーを飲む人を誘う朝陽が揺れるテーブル。既成の児童保育の概念から離れた子供たちが集う生活の広場。入院する人もお見舞いに来る人も清しさに包まれる緑の中の病院。雨の音を聞きながらPCに向かいリモートミーティングができるワーキングスペース。ケータリングやデリバリーのオーダー先として指定される公園の広場。人生の記念日のパーティーのためにシェアされるセミプライベートスペース――。 

 11万カ所、13万ヘクタール、国民一人ひとりに6畳間のレジャーシートの広さを同時に供給することができる公園のストックの効用を本気で高めるならば、24時間の生活の場の多くを公園は担えるはずだ。

 新型コロナが終息し、テレワーク普及などで働き方や都市の在り方が変わったとしても、「公園を使い倒す」発想を進化させることはいくらでもできる。公園は、新型コロナ現象の収束を経たウィズ・コロナのライフスタイルを成立させる空間量を、先人たちの努力によってつくり出してきたのではないのか。現行の枠組みにとらわれず、生活者が望むであろう時間の使い方のすべてを受け入れる空間の在り方を、先入観や偏見なしに追い求めてはじめて、求められる価値を提供しうる社会資本になるのだ。

 新型コロナ現象の中で垣間見られた、「室内にいることができなくなったから公園に行く」というようなパッシブな需要論に、公園管理者は一喜一憂していてはいけない。もっとアクティブな価値、今日的、未来的価値づけを公園の中に創出していくことが求められていると考えるべきだ。公園が目指すべきは、ソーシャル・キャピタルの形成を促す時間消費型社会資本となっていくことである。

 2017年の都市公園法の改正によって、公園の中に収益の上がる公園施設を民間事業者により設置し、様々な規制緩和とともに、収益の一部を公園の環境整備や再生整備などに充てるPark-PFI(公募設置管理制度)という新たな制度ができ、全国で100を超えるプロジェクトが現時点で動いている。もともと都市公園法の中には設置管理許可制度があり、民間による公園施設の設置運営(経営)の例は以前からあったとはいえ、新たにこうした施設を計画的に導入するという動きは、Park-PFI制度がきっかけになっていることは間違いない。飲食や物販を始め、アートやスポーツ、福祉、教育、宿泊、シェアスペース、園芸文化など収益が期待できる公園施設の幅は狭くない。バラエティ豊かな事例が、現実に全国各地に生まれつつある。

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東京都武蔵野市の井の頭公園。2012年全国都市緑化フェアで筆者がチャレンジした時間消費型の公園の姿(現在はない)(写真:町田 誠)
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 こうした動きを、公園の本質から離れたと解釈する向きもあるが、11万カ所、13万ヘクタールの公園の30年後、50年後、100年後の実態にリアルに思いを巡らせれば、「これまで通りで良い」という見解が全く無責任なものであることは明白である。Park-PFIだけでなく、公園の中に保育所の設置(占用)を可能にするような規制緩和も、公園の常識に、今後も大きな変化を引き起こしていくだろう。もっと多面的な公園の機能発揮のトリガーとなるはずだ。

 2017年の都市公園法改正は、一言で言えば「公民連携・パートナーシップ促進改正」である。様々な改正項目が、都市生活環境インフラとして貴重な公園を少しでも健全な姿で維持して、地域の価値向上、生活時間の豊かさを形成するための資源とするため、様々な試みをためらわずに実施することを可能にしている。

 公園がもっとユーザーに近い立ち位置で、生活インフラとして身近で欠かせない存在になるためには、2003年地方自治法の改正によりできた指定管理者制度の進化も必要だ。制度化以降、公園の管理においては、地方公共団体によって状況は違うものの制度導入が順次進み、いわゆる外郭団体である法人、次いで民間企業、NPO法人等が公園の指定管理者として誕生してきている。全体の傾向として地方公共団体の直営作業から外郭団体たる法人、民間企業・NPO法人へとウエイトが移ってきていると言ってよい。

 この動きも、官民のパートナーシップという観点からも無視できない大変大きな動きである。公共施設の管理を民間のセクターが行うことは、利用サービスの向上、社会資本の効用発揮という意味で大変大きな意味を持つのである。生活に密着した、また地域に密着した生活施設としての公園の効用発揮を促していくのは、これまでの公園管理の常識ではない。公物管理上課題とされる許認可等の公権力行使の権限までも検討の範囲に入れて、大きな公園から小さな公園までエリアの公園を一括して管理するなど、指定管理者制度をどんどん進化させていくべきだ。指定管理者制度の進化とPark-PFI制度のパッケージは、これからの公園の在り方を模索、実現していくうえで大きなブレイクスルーになると考えられる。

 ユーザーに近い立ち位置にいる管理者と利用者の間では、公園に関わる多くの情報の相互的供給(交換)がなされるだろう。そしてこの交換は、官たる公権力と民の私権が対峙する公物管理からは生まれにくい新たな関係性が、管理者とユーザーの間に築かれる呼び水となる。

 公園の管理に割ける公的リソースの実際(限界)、禁止看板ばかりになる管理者とユーザーの関係性、ほとんど利用されずに維持するのがやっとの小さな公園の存在――。まずは、そんな現在の公園の姿を共有する。そこを起点として、官民双方が一体となってマネージすれば高い効用発揮をするであろう「これからの公園」の姿についてのマインドを共有していく。そして、そこから構想を広げていくことによって、ソーシャル・キャピタルの形成を促す時間消費型社会資本としての公園の可能性は大きく開けていくだろう。

(7)おわりに

 新型コロナ現象の報道の中で気になることを、最後にもう1つ挙げておきたい。行動自粛を促す意図で流される、サーファーが海に浮かぶ映像、車が連なっている映像、水上バイクの映像など。「問題の本質は何なのか」という本質からずれていく。もしも、彼らが、飲食や買い物などを一切伴わず、増大する精神的なストレスの軽減を図るため、ドアから自然環境下へ、そして、自然環境からドアへと戻っていたら、感染症拡大のリスクは増大せず、社会経済の悪化のリスクの軽減に役立っている可能性もあるということだ。商店街などでは、自粛要請通りに営業時間を短縮して、環境を整えて営業を続ける店舗等に対して、非難する自警的活動があることも紹介されている。

 緊急的な事態ではあるが、〇か×か、白か黒か、ということを過度に社会が求めるようになることを助長するような報道姿勢は好ましくないと感じる。

 これから目指すべき、社会やコミュニティが豊かであるという状態は、ソーシャル・キャピタルが高く保たれている状態であると考える。公園は「ソーシャル・キャピタル形成社会資本」となりうる公共施設であるということをしっかりと認識しながら、これからの公園の在り方、そこに向かう具体的方策の議論を関係する多くの皆さんと進めていきたいと思う。

 それは、社会の利益の総和を確実に増大させていくことができる実行力の高いしなやかな専門性を、公園の世界の中に育てていくこと、と同義である。

ランドスケープ経営研究会
Landscape and Business Development Association, Japan
2017年10月に一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会が設置した研究会。略称LBA。都市公園法等の改正を受け、Park-PFI等「ランドスケープ経営」に関心のある企業、団体、個人を募り、公園から始まるまちづくりのための公民連携方策の技術・情報交流、研究・提言を通じ、新たな時代の緑とオープンスペースにおけるビジネスモデルを構築することをミッションとする。収益施設のビジネスを得意とする民間事業者と、公園など造園/ランドスケープに関わる業界が集結することによって、多様な主体の協働による新たなまちづくりへの取組みを推進する。公式サイトURLはhttp://www.lba-j.org/

この記事のURL https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/032300072/052500015/