公園など都市のオープンスペースのサステナブルな利活用について考えていくシリーズ「公園が変わる! 街が変わる!」。今回から2回にわたって、緑化によって街の魅力を高め、不動産価値の向上につなげる取り組みについて、建築・まちづくりプロデューサーとして数多くの事業に携わるチームネットの甲斐徹郎代表取締役が解説します。今回は、緑が人々の住生活に果たしている役割についてひもときます。

 東京の丸の内や大手町などの都心中心部で最近開発されている大型複合施設では、緑環境の整備に力が入れられ、その魅力が賑わい形成に役立っています。また、都市部の公園でもPark-PFIの導入によってこうした商業的な活力が応用され、緑環境を活かした賑わい創出が盛んに行われるようになってきました。

 そうした動きの中で、緑環境が整わず無機質化してしまう傾向にある領域が住宅地のエリアです。各自治体では、規模の大きい開発に対しては独自の条例によって緑環境整備の義務化を図っていますが、小規模な個々の住宅敷地に対する緑化促進は効果的な手立てがほとんどありません。こうした小規模な宅地が住宅地に占める割合は大きいので、結果として住宅地エリアの緑の整備はなかなか進まないのです。具体策として古くから生垣助成などの制度がありますが、計上された予算は未消化のまま余らせているという話を聞きます。

 住宅地における緑環境の整備は街の魅力を高めるばかりか、コミュニティや健康などの福祉面にも大きな影響を与える重要な意味がありますが、緑化を促進させる方策が定まらないというのが実情だと思います。そうした住宅地において、グリーンインフラ機能を高め、エリア全体としての不動産価値を高める方策について考察してみようと思います。

 私は以前、「平成27年度版 東京都緑化白書」に、「生活基盤を整える民有地緑化の再定義」と題する論文を寄稿しました。不動産価値としてのグリーンインフラの在り方を考えるうえで、この論文に記した「民有地緑化の難しさ」「緑の少なくなった住環境における孤独化のリスク」という問題意識が大きく関連します。そこで、まずはこの論文から、これらの問題意識についてまとめた部分の要旨を示します。そのうえで、住宅地エリアの緑の整備をどう進めるべきか、考察していきたいと思います。

民有地緑化の難しさ(1) 緑化の位置づけの変化

  伝統的な集落と現代の住宅地とで緑の在り方を比較すると、それぞれの時代における緑化の位置づけが異なっていることが分かる。

【伝統的な集落の緑の在り方】
 集落における緑の存在は、以下の2つの条件が相互補完することで成立していた。

  • (1)緑の存在がそこに住まう人々にとっての「生活基盤」そのものであったということ
     ――例えば台風や寒さへの対策として、風から家を守るために防風林が設けられた。
  • (2)緑を育成し維持するコミュニティが機能していたということ
     ――コミュニティの中で、時代を経て「生活基盤」としての緑に手が加えられ、美しい街並みが形成されていった。

 つまり、緑の存在が「生活基盤」を共にする住人同士の関係を取り持ち、地域のコミュニティを機能させてきた。そのコミュニティの存在が「生活基盤」としての緑を守ってきた。このように(1)と(2)の条件が相互補完することで、集落の緑は守られてきたのである。

沖縄の伝統的な集落(本部町備瀬)。森のような樹木の中に約300の民家が並ぶ。一軒一軒の家は、それぞれの宅地の四方を高さ7~8mのフクギと呼ばれる樹木によって生垣のように囲まれている。こうして隣同士の住人と協調し合いながら、街全体を防風林で囲むことで、台風の猛威から自分たちの生活を守ってきた(写真:琉球新報社)
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備瀬の集落。家々を囲む防風林が連なることで緑の小道がどこまでも続く(写真:甲斐 徹郎)
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【現代の住宅地の緑の在り方】

現代の沖縄の住宅地。コンクリート化が進み、台風対策としての樹木の存在がなくなった(写真:琉球新報社)
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 現代の住宅地では、先に挙げた2つの条件がどちらもそろわなくなっている。

  • (1)「生活基盤」としての緑の必要性が低下
     ――例えば沖縄では、1960年代頃から住宅がコンクリート化され、住宅が強固になったために、台風に対する備えとしての樹木を植える必要性がなくなってきた。
  • (2)緑を育成し維持するコミュニティが機能しなくなっていった
     ――個々人の生活は、住宅の壁の内側で完結する度合いが増すことで、また、共通の利害による結びつきが希薄になり、地域のコミュニティ機能は失われていった。

 このようにして、緑の位置付けは「なくてはならないもの」から、「手間のかかる煩わしい存在」へと変容してしまった。

民有地緑化の難しさ(2) 工業主導の中で小さくなる造園の役割

  かつて住宅は、その地域で入手できる材料でその地域の棟梁がつくるものだったが、工業の発達によって日本全国を網羅する市場で扱われる対象となり、巨大な住宅産業が育った。そのおかげで、私たちの暮らす住宅の便利さと快適さは格段に進化した。一方、緑化的要素は工業製品に比べて品質の保証が難しく、居住者の手入れ次第でその後の状況が大きく左右されることから、造園の果たす役割は相対的に小さくなった。

  こうして住宅が商品として扱われるようになると、外環境までが無機質な工業製品で埋め尽くされることになり、その結果、暮らしの場における緑の領域はどんどん小さくなっていった。

  こうした住空間の変化から見えてくるのは、「生活基盤」の一角を成すという緑の位置付けがないまま、緑化を推進しようとすることに難しさがあるという点である。共通の価値で結ばれた人間関係がなくなってしまえば、地域の緑を守り続ける主体が不在となる。それを補うのが現代の自治体の役割となっている。地域の環境を担うという大義として緑化を推進するという論理である。しかし、緑が「生活基盤」としての役割を失っている限り、緑化の推進と住人からの厳しい苦情との板ばさみになっている自治体の悩みは解消されないと考えられる。

緑を伴わない高機能で高性能な住環境――便利な半面、孤立化のリスクを高めている

 緑を「生活基盤」としない生活を成り立たせているのは、個々人の生活を自己完結させることのできる高機能で高性能な住まいと、それを支える住宅技術である。これによって、他者から干渉を受けない自由と便利さや快適さが得られているが、一方で「孤立化」というマイナスの作用も及ぼしている。

(1)他者から干渉を受けない住宅内での暮らしにおいては、特に家族内で孤立してしまいがちな高齢者の「生きる力」を弱めてしまっている。
(2)家族が一つの単位として地縁という共通のコミュニティに属していた時代とは異なり、家族を構成するそれぞれの個人の幸せの拠り所は、それぞれ別々に、住まいから離れた場に求めている場合も多い。地縁がなくなってしまった現代の住環境は、家族同士の関係を弱めてしまう要因をはらんでいる。
(3)高度成長期以降、私たちは経済の拡大を目指してがむしゃらに働き、自分たちの暮らしそのものを整えることを疎かにしてきた(ただし、経済成長が望めず、また、リタイヤしたシニア層が多くなるこれからの時代においては、自分たちの暮らしの基盤を整えようとする意識も強くなるだろう)。

 この論文を執筆して数年がたちましたが、ここで指摘したような問題意識を期せずしてクローズアップさせたのが、新型コロナウイルスの蔓延でした。コロナ禍対策として外出自粛が求められ、私たちの生活の範囲が自分の住まいを中心とした領域に制限されることになりました。そうして、暮らしのベースとしての住まいの環境と家族との関係を見直す必要性が押し付けられたわけですが、本質的な幸福のベースを再構築する機会としてこの災いに対処すべきではないかと思います。

 地域の住人同士の関係を再生させるために必要なことは、個人個人の暮らしを住宅の壁の内側で完結させないで、地域全体を暮らしの場として機能させることです。そのためには、これまでそれほど重視されてこなかった、暮らしを外へとつなげる住まいの外環境の果たす役割が重要となります。これまで外環境をつくり上げる造園という職能は、建築に付加的に対応するような立ち位置でいたように思いますが、これからはその位置付けを変えていくことが重要になるでしょう。そのための方策を考え、その方策を実践させるための自治体の役割を検討したいと思います。

1.住環境を一新する「コミュニティベネフィット」

(1) コミュニティベネフィットという考え方

 工業技術を背景とした企業によって主導される住まいづくりが主流になっている中で、私はその方向とは全く逆に、緑を暮らしの中心に据えた多くのプロジェクトを手掛けてきました。それらのプロジェクトは、高性能かつ高機能な技術によって装置化された手間のかからない暮らしの中で、手間がかかる緑は嫌われるという現代の風潮とは真逆なもので、都会の中に森に囲まれた住環境を生み出し、その緑に対して居住者が能動的に関わるという生活スタイルを生み出しています。

 こうした暮らしはどうすれば実現できるのか。そこにはカギとなる考え方があります。それは、私が「コミュニティベネフィット」と名付けている考え方です。

 私は、樹齢100年から200年にもなる屋敷林を活かしたいくつものプロジェクトを手掛けてきました。その代表作として、世田谷区で2000年に完成した「経堂の杜」、同じく世田谷区で2003年に完成した「欅ハウス」、そして大田区で2006年に完成した「風の杜」などがあります。それらのプロジェクトを例として、緑を暮らしの主役として機能させることを可能にする「コミュニティベネフィット」の考え方について解説したいと思います。

経堂の杜(2000年)。「まちに森をつくって住もう」という呼びかけに12家族が集まり実現した環境共生型コーポラティブ住宅(写真:甲斐 徹郎)
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経堂の杜の屋上(写真:甲斐 徹郎)
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欅ハウス(2003年)。樹齢250年の欅を囲んで15世帯の家族が暮らす(写真提供:HAN環境建築設計事務所、撮影:吉田 誠)
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欅ハウスの外観(写真提供:HAN環境建築設計事務所、撮影:吉田 誠)
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 私が手掛けたそれぞれのプロジェクトは、江戸時代や明治時代から引き継がれてきた土地の所有者の相続がきっかけとなって始まっています。

 それぞれの土地は、地価の高い優良な住宅地に位置し、かつ高さ制限や容積率の厳しい用途地域にあるため、一般的な不動産事業者にその活用を依頼すると、一区画15坪前後に細分化され、樹齢100年を超える高木となった屋敷林を残す余地はなくなってしまいます。また、前述したように工業主導による高機能な建物が密集し、そうして無機質化した狭小住宅が立ち並ぶ街並みに変容することになります。

 そうした現代都市の不動産事情に対して、私が企画した計画は、コミュニティを活かして住環境づくりに挑もうというものでした。一般的に事業の中でコミュニティを活かすというと、「いかに住人同士を仲良くさせるか」というような人間関係づくりがテーマになると思いますが、私が実践したコミュニティの捉え方はそれとはまったく異なります。コミュニティづくりを目的とするのではなく、コミュニティを手段として事業に活かすというのが私の描いた構想でした。

 そうしたコンセプトを私は「コミュニティベネフィット」と名付けました。「コミュニティベネフィット」を定義すると、「コミュニティを手段とすることで個人単位では実現不可能な大きな価値を実現させる」ことを意味します。コミュニティを目的にしないで、コミュニティがつくりだすベネフィットを目的にするという考え方から、この「コミュニティベネフィット」という表現を使っているわけです。

「コミュニティベネフィット」の考え方。コミュニティを手段とすることで、個人単位では実現不可能な贅沢な価値を創造させる(資料:チームネット)
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 個人の生活を個々に分断してしまうと前述したように暮らしの場は細分化されてしまい、巨木となった屋敷林を残す余地はなくなりますが、この「コミュニティベネフィット」という枠組みを構想すれば、個人単位では到底実現できない大きな価値を得ることができます。

 このコンセプトに沿って、樹齢100年を超える屋敷林を共通の価値として暮らしの場をつくることを目的にし、「森をつくって暮らそう」と呼び掛けて入居希望者を集め、コミュニティ単位で豊かな共用スペースをデザインし、その豊かな共用部に各世帯の住まいがつながるように計画をしたのです。

 下の図が、そうして実践された敷地計画です。すべての住まいとつながる位置に樹齢250年の欅の樹を移植し、どの家からも最高の景色を味わえるようにし、夏はその欅によって生成される冷気が各家に流れ込むようにデザインされました。また、すべての家の玄関は欅の樹の側に配置され、毎日帰宅するたびにこの贅沢な風景に出迎えられるように設えられました。

「コミュニティベネフィット」の考え方に基づいた「欅ハウス」と地主の敷地との関係。「欅ハウス」と土地を提供した地主双方にとって保全された屋敷林が共有価値として活かされるように計画された(資料:チームネット)
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「欅ハウス」における緑と暮らしとのつながり。樹齢250年の欅が生み出す微気候が各室内の快適性を担保している(資料:チームネット)
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 こうして、緑を「生活基盤」として位置付けられた暮らしの場が実現したわけですが、それを可能にしたものは何か。そのことをもう一度確認すると、それは、「コミュニティベネフィット」という考え方に基づいて、コミュニティを手段として活用したことでした。

 この「コミュニティベネフィット」というコンセプトを機能させるスキームとして私が活用したのがコーポラティブという事業方式です。

 コーポラティブとは、入居予定者が集まって建設組合をつくり、組合員の合意によってプランづくりから建設会社への発注までを行うスキームで、本来デベロッパーと呼ばれる企業が介在するところを、その企業の介在を抜いて進める事業手法です。この方式では、住人同士の合意形成が重要となるため、コーディネータと呼ばれる専門家によって全体の事業が統括され、メンバー同士の合意が図られながら進められます。

 残念ながら、こうしたコーポラティブ方式は一般的ではありません。一般的な不動産の現場では、企業が介在し事前にお膳立てされたのちに広く販売される形式がほとんどで、それが市場経済を活用した最も影響力のある方法となっています。その結果、暮らしの場づくりの現場ではコミュニティは介在せず、「コミュニティベネフィット」という考え方が応用される余地はありません。なぜなら、一般的な不動産の取り引きはそれを企画する企業とそれを購入する個人との間で成立するからです。多くの不動産事業は、提供する住まいを機能性と性能とを兼ねそろえた商品として完成させ、その品質の優位性を競争力としてビジネスを展開しています。パッケージ化された商品としての住まいはクレームによるロスを極力なくすために品質管理が徹底されます。商品としての住まいは、その製造責任は製造者にあります。その責任を引き受けて大量に商品をさばいていくために、クレーム発生が少ない高品質な商品の生産技術がバックにあるわけです。その体制があるから、大量にさばくことができ、大きな住宅産業をつくり出すことができたわけです。

 このことを逆に言うと、現代の住まいの供給現場ではコミュニティを介在させる余地がないということです。なぜなら、コミュニティとは企業側がその品質を保証することのできない対象だからです。

 こうして企業が主導する住まいは個人単位での欲求にのみ対応され、個人単位を超える大きな環境価値は生まれにくくなくなるわけです。そこに住宅地において緑の価値が生まれない本質的な構造があるわけです。

2.自治体のジレンマをブレイクスルーさせる取り組み

(1)自治体の担うべき本質的な役割とは

 先にも論じましたが、企業が提供するのは商品化された暮らしの器です。その器の中で日常の生活がほぼ満たされてしまうので、外の緑の存在は手間のかかる面倒な存在になってしまっています。現代の都市空間において緑の存在を価値あるものに変えるためには、壁の内側で完結している暮らしを外へ拡張させることが必要です。そのためにはどうすればいいのか。

 そのヒントとして、先の3つのプロジェクトを紹介したわけですが、その共通するポイントは、外に個人単位では得ることのできない大きくて贅沢な環境的な価値が緑によって生み出されていて、そのポテンシャルが個人個人の暮らしとつながっているということです。機械仕掛けによって制御された室内よりも快適で魅力的な環境が外にあれば、必然的に住人は室内に閉じこもらずに外へと暮らしを拡張させようとすることになります。

 そのときに課題となるのが、その大きく贅沢な環境は、どうすればつくり出すことができるかということです。そのポイントは、個人単位ではなくコミュニティを手段とした「コミュニティベネフィット」として環境をつくりだすということでした。

 この「コミュニティベネフィット」は企業による取り組みからは生れてこない中で、企業を頼りにせずに、住まい手を連携させて実現させたのが、コーポラティブという事業方式によるものでした。

 こうした住人主導型のコーポラティブという事業は、一般化しているわけではなく、住宅供給量に占める割合は極々僅かです。大多数は建築や不動産事業に関わる企業と個人消費者との間で成立する取り引きによって、住宅地は形づくられることになります。その結果、現代の市場原理の中では緑豊かな住環境は形成されないという構造があるわけです。こうした構造にメスを入れることをしない限り、住宅地で緑環境の形成は促進されないのではないかと思います。そうした構造そのものに対して対処するためには、国や自治体による公的な関与が不可欠です。

 集合住宅などの規模の大きな住宅や規模の大きな宅地が開発されるときには、各自治体が定めている「まちづくり条例」などによって、緑化が義務付けられていますが、規模の小さな住宅の開発時や、既存の住宅地での緑化率を高める方策がなかなか見つからず、どの自治体も減少し続ける緑に対して、手をこまねいているというのが実情です。そこで、公的な立場として有効な取り組みのあり方を考察してみたいと思います。

 まず、自治体によるこれまでの施策がなぜ有効に働かないのか、そのことを考えてみたいと思います。例えば生垣助成のような仕組みは、どうして普及しないのでしょうか。

 その理由は簡単で、商品化された高機能で高性能な住まいの中で、暮らしそのものが外に対して閉じているので、外の環境を素敵にしたいという意欲そのものが芽生えてこないからです。装置化され、スイッチ一つで必要なことが満たされるような住まいの中で暮らしが完結している限り、いくら緑化のための助成金を用意しても、それを活かしたいと思う意思そのものが存在しませんので、応募者は出てこないのです。

 自治体として本気で民有地緑化の促進をさせようとするなら、壁の内側で完結している現代人に対して、住まいの外へと暮らしを拡張させることで得られる豊かな価値に対する「気づき」を生み出すプログラムを考える必要があります。なぜなら、暮らし方に関する私たちの価値観は、暮らしの器である住まいの形が影響して形成されているからです。つまり、私たちが抱く「緑は世話するのが面倒」とか「ご近所付き合いは煩わしい」などいう気持ちは、自己完結性を増している住まいが私たちの価値観の枠組みとなって、その結果として生まれているということなのです。

 市場原理に基づいて動いている企業がつくり出している枠組みを変えずに、その中で付随的に助成金を出すという対応では効果は生まれません。企業と同じように住人に対して経済行為の延長として助成金を出すのではなく、企業とは異なった立ち位置で、企業任せでは生まれない環境価値を創造することにこそ自治体の存在意味があるはずだと思います。

 そのためには、現状の住まいによって固定されているマインドセットをいったん外して、自分の暮らしにとって何が重要で、自分の幸せにとって何が大切なのかを住人自らが見つけ出す気づきを促し、住人自らが環境づくりの担い手になるプログラムが求められます。次回は、そうしたプログラムを実践した自治体による具体的な取り組み例をいくつか紹介したいと思います。

甲斐徹郎(かい・てつろう)
建築・まちづくりプロデューサー、チームネット代表、立教大学・都留文科大学非常勤講師
1959年生まれ。千葉大学文学部行動科学科卒業。1995年、環境と共生する住まいとまちづくりをプロデュースする会社として株式会社チームネットを設立。個人住宅から集合住宅、商業地開発まで、環境とコミュニティを生かした数多くのプロジェクトを手掛ける。2006年に流山市のグリーンチェーン戦略構想に関わり、グリーンチェーン認定制度の策定に関与する。2012年から東京都公園協会の委託を受け、「まちなか緑化事業」およびその実践プログラムづくりに関わる。2017年よりランドスケープ経営研究会幹事、同研究会のコミュニティ部会長を務める。著書に『まちに森をつくって住む』(農文協)、『自分のためのエコロジー』(ちくまプリマー新書)、『不動産の価値はコミュニティで決まる』(学芸出版社)など。
ランドスケープ経営研究会
Landscape and Business Development Association, Japan
2017年10月に一般社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会が設置した研究会。略称LBA。都市公園法等の改正を受け、Park-PFI等「ランドスケープ経営」に関心のある企業、団体、個人を募り、公園から始まるまちづくりのための公民連携方策の技術・情報交流、研究・提言を通じ、新たな時代の緑とオープンスペースにおけるビジネスモデルを構築することをミッションとする。収益施設のビジネスを得意とする民間事業者と、公園など造園/ランドスケープに関わる業界が集結することによって、多様な主体の協働による新たなまちづくりへの取組みを推進する。公式サイトURLはhttp://www.lba-j.org/

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