移住推進には、適度な距離感が大切

――えがおつなげてが拠点を置く北杜市では、全体の人口こそ減っていますが、社会動態を見ると転入数が転出数を上回る状態が続いています(図1)。えがおつなげての活動が移住に与えた効果をどのようにとらえていますか。

図1●北杜市の社会動態(資料:北杜市)
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 1995年に北杜市へ移り住んだとき私の家の周辺には1軒しかありませんでしたが、今では100軒もの家が建っています。何人かは、えがおつなげての交流活動に通ってきた研修生です。地元の不動産会社の担当者は、私の家とまったく同じ環境の土地を求めてくる人が増えて困るとぼやいていました(笑)。私自身は、家の背後に裏山があり、まわりに田んぼが広がっている環境を探して移住しましたから。

 私自身の取り組みから言えることは、移住に至るまでの段階的なプロセスが必要だということです。

 その第一歩が交流です。最初の交流がきっかけとなり、交流の頻度が増えていくといずれ移住、定住につながっていく。そのため私たちは、交流の機会を設けることを重視してきました。ワークショップや座談会、東京の企業経営者とビジョンを語り合うといった交流体験を年間100回以上行っています。年2回交流している程度では効果はないでしょう。

 数多い交流の結果として、我々の活動に参加した人が相当数、移住したり2拠点居住を始めたりしています。専業農業に携わる人もいれば、会社の新規事業として農業を始める人もいます。

――先達がいると、移住しやすい面もあるのでしょう。

 何もないところに行くのは勇気がいるけれど、何か火種のようなものが生まれると一気に人は集まって来ます。

 私が住んでいる集落は、移住当初に比べて人口が2.5倍になりました。移住者があまりに増えたので、地元の区長と話をして自治会の単位となる組を1つ新設してもらいました。移住者が入る組をつくり、以前からの住人たちで構成される17組の自治組織に加わったのです。共同水路の清掃といった地域の共同作業も再配分しました。移住組の住人は比較的若いし人数も多いので、担当範囲を広くしたら喜ばれましたよ。

 地元のコミュニティに入ってすぐ交流できる人もいますが、そういう人は多くありません。移住者が既存の組にいきなり入ると、入る側も受け入れる側も不安を覚えるものです。その点、新しい組のメンバーはみな都会の人だから話もしやすいので、組として活動に参加すれば地域に溶け込みやすい。

 この18年、新しい住人は以前から住む人と良い関係を築いてきました。二世帯居住でも、同居より近居のほうが気楽な関係をつくれるもの。適度な距離感を保つことは重要です。

――人口がそれだけ増えると、地域産業に与える影響も大きいのではないでしょうか。

 市内の農業には相当の影響を与えていると思います。消費の数が増えたため農業が再生し、移住者による家などの需要で建築業も活性化しています。

 10年ほど前、北杜市内の白州町に道の駅ができました。地元の農業者が自給自足的につくっている農産物を販売していますが、県内3番目の売り上げを記録しているそうです。観光シーズン以外にも客入りは多いので、移住者が日常的に購入しているのでしょう。わざわざ都会から移住してきた人たちだから、コンビニエンスストアやスーパーマーケットではなく、道の駅の新鮮な商品を求めるのは不思議ではありません。

 移住者の増加は、私たちの活動にも影響を与えています。以前は放置された農地があちこちにあったのに、今は農地の争奪合戦をしている状況です。

曽根原 久司(そねはら・ひさし)
NPOえがおつなげて代表理事
1961年長野県生まれ。85年明治大学政治経済学部経済学科卒業。東京で経営コンサルタンティング会社などの勤務を経て独立。95年に現在の山梨県北杜市に移住し、放置された農地を借りて自給農業を開始。2001年NPO法人えがおつなげてを設立し、農山村と都市の交流を通じて地域の活性化を図る活動に取り組む。認定農業者。えがおファーム代表、やまなしコミュニティビジネス推進協議会会長、内閣府の地域活性化伝導師などを務める。著書に「農村起業家になる —地域資源を宝に変える6つの鉄則—」、「日本の田舎は宝の山 —農村起業のすすめ—」(いずれも日本経済新聞社)など。