農林水産省によると、山地の多い日本は中間農業地域と山間農業地域を合わせた中山間地域が総土地面積の約7割を占めているという。中山間地域は交通機関の利便性が低いため、日用品の買い物だけでなく、医療機関に通院する際の足をどう確保するのかが課題となっている地域も多い。市区町村の面積では、岐阜県高山市に次いで全国で2番目に広い浜松市もこうした課題を抱える自治体の1つであり、市では地元医師会や民間と協力して自宅まで医療サービスを届ける「医療MaaS」の実証を進めている。

 静岡県西部・遠州地方に位置する浜松市は、政令指定都市と国際会議観光都市に指定された同県最大の都市である。2019年10月にはデジタルファースト宣言を行い、2020年度にデジタル・スマートシティ推進事業本部を立ち上げた。ここでは「デジタル・スマートシティ構想」「浜松版MaaS構想」「浜松市デジタル・マーケティング戦略」を策定。このうち、「浜松版MaaS構想」においては、モビリティで様々なサービスをつなぐことで持続可能な地域づくりを目指す。遠州鉄道やスズキなどとコンソーシアムを立ち上げるなど官民との連携を深め、地域課題の解決に向けたプロジェクトを進めている。

浜松市(はままつし)
静岡県西部、遠州地方に位置する。2005年7月、天竜川・浜名湖地域の12市町村が合併し面積1558.06km2に(岐阜県高山市に次いで全国2位の広さ)。2007年に政令指定都市に移行した。人口79万7568人(2021年6月1日現在)。市の北部に位置する天竜区は、市域の約61%の面積を占め、その約91%が森林である。

 一方、浜松市は7つの行政区で構成されているが、その1つ、北部に位置する天竜区は区域の大部分が森林に覆われた中山間地域となっている。高齢化率が約50%の同区春野地区では、高齢化した医師にかかる負担が課題となっていた。春野地区には5つの診療所があるが、そこから訪問診療(往診)に行くにも片道10数km・数時間かかることもあり、高齢化した医師にとっては心理的かつ体力的な移動負担が大きくのしかかっていたのだ。

 こうした問題の解決を検討するために、浜松市が2018年度に地元の磐周医師会に委託した「天竜区医療・介護連携推進事業」では、「交通弱者への移動手段の確保」や「患者は移動できないので医師が出向く」などが提言された(図1)。その中で、浜松市は「患者は移動できないので医師が出向く」という提言を実現させるためにデジタル・スマートシティ推進事業本部と健康医療課が連携しながら協議を重ね、浜松版MaaS構想の一環として中山間地域における持続可能な医療体制の構築に向けた「春野医療MaaSプロジェクト」の実証実験を、2020年10月19日から2021年1月14日まで実施することになった。

(図1)「天竜区医療・介護連携推進事業」で検討された提言(資料提供:浜松市)
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医薬品の搬送まで一気通貫で医療を提供

 春野医療MaaSプロジェクトは浜松市が中心となって全体調整を行い、地元医師会や診療所に加えてソフトバンクとトヨタ自動車が共同出資するMONET Technologies(東京都千代田区)、AI(人工知能)航空管制システムの開発のトラジェクトリー(東京都中央区)、ドラッグストアチェーンの杏林堂薬局(浜松市)が民間企業として協力する形で実証が行われた(表1)。

 MONET Technologiesは、既に2019年12月から長野県伊那市で医療MaaSの実証事業を行っているが、浜松市では事前にそういった先行事例を参考にしながら新たな取り組みについても検討し、実証実験を開始した。

(表1)春野医療MaaSプロジェクト実証実験の参加者と役割(浜松市の資料を元に筆者作成)
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 実証実験は、春野町にある5つの診療所のうち2つの診療所に慢性疾患で継続的に通院している、80~90歳代の患者延べ10人(男性2人、女性8人)を対象に実施した(図2)。看護師が乗った移動診療車が患者宅に出向き、後部座席に患者と看護師が座って運転席のヘッドセットに付けられたタブレットを使い、診療所にいる医師がオンライン診療を行う(写真1)。

(図2)春野医療MaaSプロジェクトの実証概要(資料提供:浜松市)
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(写真1)移動診療車両の中で行われたオンライン診療の様子(資料提供:浜松市)
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 デジタル・スマートシティ推進事業本部専門監の瀧本陽一氏は、「高齢者は誰もが自身でタブレットやスマホが使えるわけでもないので、操作などは看護師が補助してつないだ。これは伊那市でも行われているパターンだが、今回はオンラインでの服薬指導と処方された医薬品の搬送についてまで一気通貫で医療を提供した」と、春野医療MaaSプロジェクトによる新たな取り組みについて語る。

 今回の実証実験では、院内処方と院外処方という2つのパターンで服薬指導と医薬品搬送を行っている。院内処方では、診療所の医師がオンライン診療とともに服薬指導を行い、診療所で処方した医薬品をドローンで飛ばして患者宅まで届けた。一方、院外処方については、オンライン診療が終わると杏林堂薬局あてに処方箋がファクシミリで送られ、杏林堂薬局がオンライン服薬指導後、医薬品を車で患者宅まで届けた。

エコー診療など専門性が高い医療行為にも期待

 春野医療MaaSプロジェクトでは、このようなパターンによるオンライン診療を計18回、患者1人当たり約2回実施した(表2)。初めてオンライン診療を受ける高齢者はなかなかイメージがわかず、緊張していつもよりも血圧が上がってしまうこともあったが、2回目は落ち着いて診療を受けられたという。

(表2)実証実験の結果(浜松市の資料を元に筆者作成)
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 利用者に対して行ったアンケートの回答からは、「気が楽になった。外に出て話をするのが良かった」「通院しなくてもいいので、家族に通院を頼まなくてすむようになる」「オンライン診療でも、いつもの診療とそれほど変わりないと思った」「日頃は忙しそうであまり話せなかった医師と丁寧に話せた」「診療所に行かなくてよいので、体調に変化があった時は即座に対応してもらえそう」といった声があった。

 今回の実証実験について浜松市では、「初めてオンライン診療を受診してみても不安を感じない高齢者が多かった」「通院負担の軽減に大きなメリットを感じている人も多い」と見ている。また、オンライン診療の他人への推奨意向については、アンケート回答者全員が推奨し、医薬品のドローン搬送・車両搬送にも利用意向を示した。今後は、エコー診療など専門性が高い医療行為にも期待しているという。

ドローンの運用コストや診療車のサイズなどに課題

(図3)処方された医薬品を運んだドローンの飛行ルート(資料提供:浜松市)
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(写真2)ドローンによる医薬品搬送の様子(写真提供:浜松市)
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 実証実験からは様々な課題も見えてきた。例えば今回のドローンによる医薬品の搬送では、安全性を考えて家屋がない川の上を飛行ルートに設定して医薬品を届けた(図3)。

 医薬品を処方した小澤医院から患者宅へのルートは最長で8.1km(飛行時間約15分)、最短で1.4km(同約5分)。高齢者の安全性を確保するために患者が直接ドローンから医薬品を受け取るのではなく、現地に待機した看護師がドローンから医薬品を受け取って患者に渡した(写真2)。

 瀧本氏は「ドローンによる医薬品の運搬については、技術的には何も問題はなかった。ただ、法制度の問題や飛行中もカメラで常に状況を監視する必要があるので、ドローンの実装についてはコスト面の解決に時間がかかりそうだと感じた」と課題を語った。

 また、今回移動診療車として利用したワンボックスカーは車椅子も積めるようになっているが、中山間地域の狭い道だと入って行きにくい場所もある。そのため、今後の実証実験では軽自動車の利用を検討している。「大きな車であれば中でできることも増え、サービスの質も上がってくると思うが、軽自動車でも最低限のことができることは既に確認している」(瀧本氏)。

患者の状態や環境に合わせたサポートが必要

 高齢者の「理解力」という課題も浮き彫りになった。今回の参加者は当初の想定よりも年齢層が高く、耳が遠かったり認知症があったりでオンライン診療についての事前説明がなかなか理解してもらえなかったという。こうしたことから、高齢者向けのオンライン診療では、看護師がきっちりと横についてサポートする仕組みが非常に重要であると考えられる。

 看護師の確保も今後の課題の1つとなっている。健康福祉部健康医療課副参事の西崎公康氏は、「地元のことをよく知っている地域の看護師が、こういった事業に参画できないか模索している」という。

 そういった人材不足の課題解決策の1つとして浜松市が期待しているのが、コミュニティナースの活用だ。コミュニティナースは、医療施設や福祉施設、訪問看護に従事する看護師と異なり、医療に関わる知識を生かして地域の中で住民とパートナーシップを形成しながら活動する医療人材である。「コミュニティナースについては、今年度は活用を検証し、来年度以降に確保していきたいと考えている」(西崎氏)。

 オンライン診療については、制度面の課題が見えてきた。対面診療と同じように診療の前後で準備が必要となるが、現状の医療制度ではオンライン診療は対面診療よりも診療報酬点数が低い。医師の負担も考えると、中山間地域で医師が不足しているからといってすべてをオンライン診療に置き換えるのではなく、数回のうち1回だけオンライン診療にするといった検討も必要だという。

 こうしたことから、浜松市ではオンライン診療の仕組みについて、どういう患者やシーンなら機能するのかなどについても検討をしている。2021年度も医療MaaSの実証を続けていくにあたっては、「患者の年齢や疾病の種類、医療機関の状況や通信環境の整備などによって、大きく4つのパターンのオンライン診療について検証することを予定している」(西崎氏)。

 例えば、通信環境が整っていて患者への補助も不要ならば、自宅でオンライン診療を受けることも可能だ(図4)。一方、過疎地域だと高齢者が多くて通信環境が整っていないケースも多い。その場合は、コミュニティナースが患者の自宅に行って支援しながらオンライン診療を実施する。

(図4)中山間地域におけるオンライン診療の可能性(資料提供:浜松市)
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 家に人を入れたくない場合は、今回の実証実験のように移動診療車を活用してコミュニティナースが患者の家の近くまで行き、車の中で支援しながらオンライン診療を実施する。他にも、地域外の大きな医療施設と連携し、患者が近所のクリニックに出向いて外部医師によるオンライン診療を受診したり、地域の集会所に医療スタッフが出向いて、クリニックにいる医師がオンライン診療を行う巡回診療所などを試すことも計画している。

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