公共空間に、個人の“小さな占有”を埋め込む

――槻橋さんは、これまでもワークショップを伴うプロジェクトを進めてきました。例えば、「失われた街」模型復元プロジェクト(※3)などは、今回の公園づくりとつながってくる部分はありますか。

 僕の中ではつながっています。東日本大震災の津波で街がなくなってしまったとき、何か手伝うにせよ、支援する、関わる、見守るにせよ、かつてそこがどんな街だったかを認識しなくてはいけないと思ったんです。僕ら(建築の専門家)は、模型をつくるとちょっとは認識できるようになる部分もあるので、1/500の模型をつくりました。

※3  「失われた街」模型復元プロジェクト
※3  「失われた街」模型復元プロジェクト
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1/500の白い街の模型を実際に現地に運び、現地の人々に見てもらい、呼び起こされたかつての記憶を聞き取り、着色したり、細部と追加していったりするなどして模型に表現していく。模型を作り上げていくことで、地域に育まれてきた街並みや環境、人々の暮らしの中で紡がれてきた記憶を保存・継承していくことを目指す( 画像は「失われた街」模型復元プロジェクトのウェブサイトより)

 といっても、実際には、なかなか簡単にはつくれない。というのは、航空写真や地図だけである程度まではつくれるんですけど、実際に街の模型を持ってその街に住んでいた人に見てもらうと、いろいろな要素が欠けていることが分かったからです。

 「ここに桜並木があって、いつもお花見のシーズンに散歩していたんだ」とか、「ここの駅前にお地蔵さんがあって、このお地蔵さんは30年前に商店街の誰かが言い出してつくったもので、毎年その場所で盆踊りをやっていたんだ」とか、そういったことが初めて分かるわけです。そうやって模型ができあがっていきました。街にはすごく重要な記憶の場所があって、それが人々の経験や体験を形づくっているんです。

 復興して新しくできる街は、震災前とは全然違う街になりますが、この街がここにあったということが、こうして大勢の人の証言で、模型としてリアルに色づいて残っていきます。もちろん嫌なこともあったでしょうけど、ここで語られるのは大体よい思い出ばかりです。そんなよい思い出を集めたら、素晴らしい風景があったわけです。

 1/500のスケールで街の模型をつくっていくと、「私の土地」といった土地の所有権の話ではなくて、街並みであるとか、そういったところからみんなが大事だったものが見えてきます。だから「皆さんが街のデザイナーであり、建築家なんですよ」ということを「失われた街」では伝えたいなと思っています。そのことと、今、朝日山公園でやってることは、ベーシックな部分は僕の中では一緒です。

 やっぱりハードだけではだめだし、ソフトだけでもだめなんです。朝日山の場合は、氷見市の市街地や富山湾を一望できるという地形と景色という強みがあります。一方で、公園という場所の共有を時間的に細かくみていくと、小さな占有の集まりになるという部分があると思うんですね。

――例えば誰かが公園でコスモスの種をまいたりといったことも、個人による「小さな占有」というとらえ方でいいでしょうか。

 そうです。「私がここに種をまいたんだ」というのは、“小さな占有”ですよね。この小さな占有が、住民参加の大きな公共空間のエンジンになっていく。そのためのマネージ方法があるのだろうと思って、いろいろとチャレンジしているところです。

 この場所を舞台にして、ワークショップに参加した人たちも、行政の人たちも、僕らも、みんなもう他人じゃないわけです。みんなでどんなコモンズ(誰の所有にも属さない共有地)をここに生み出せるか。つまり、「“お上”が全部管理費を出して、あとはルール内で使ってください」という公園ではない場所を目指したいと思っています。

槻橋修(つきはし・おさむ)
神戸大学大学院 准教授
1968年富山県生まれ。91年京都大学工学部建築学科卒業。98年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得後退学。2002年ティーハウス建築設計事務所設立。東北工業大学工学部建築学科講師を経て2009年より現職。