かつて日本を代表する観光地であった静岡県熱海市だが、同市の旅館やホテルの年間宿泊客数は、1960年代半ばの約530万人から、2011年の約247万人にまで半減した。しかし、2015年には約308万人と4年で20%以上も急増し話題となった。2017年も307万人と3年連続で300万人の大台を超え、好調を維持している。この「熱海の奇跡」とも呼ばれる観光業のV字回復に、行政と民間はそれぞれどのような役割を果たしたのか。2006年に初当選し、2019年9月から4期目の市長を務める齊藤栄氏に話を聞いた。

熱海市の齊藤栄市長(写真:特記以外すべて稲垣 純也)
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――熱海市の「宿泊客数」が底を打った2011年から現在に至るまでにV字回復したプロセスには、どのような取り組みがあったのでしょうか。

 市長に就任した2006年当時、熱海の繁華街は閑散としていました。熱海駅前も暗かった。観光が市の基幹産業でしたが、観光振興をやろうにも市にはその財源がないばかりか、財政破綻の危機に直面していました。

 そこで、就任した2006年の12月に「熱海市財政危機宣言」を行い、翌年から5年間での財政の健全化を目指しました。「行財政改革プラン」を実行し、当時の財政赤字40.9億円を約16.8億円にまで圧縮しました。

 財政立て直しが進んだことで、2012年度からシティプロモーションを中心に観光振興に着手しました。私はよく、熱海復活のきっかけは何かと聞かれます。プロモーションの展開とともに宿泊客数が伸びてきたことは事実ですが、最初のきっかけは120年ぶりの熱海梅園の再生だと考えています。つまり、売れるコンテンツが存在することで、はじめてプロモーションの効果が生まれるのです。

熱海の観光資源再生の第一歩となった熱海梅園。大塚商会の大塚実会長が観光価値を高く評価し梅園再生にも手を貸した(写真提供:熱海市)
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全盛時から約40年間減少し続け、2011年に底を打った宿泊客数は、その後V字回復した(資料:熱海市)
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売れるブランド、売れる商品づくりの支援から着手

――ソフト面では、2012年10月から、熱海市と熱海商工会議所が連携して、熱海市役所産業振興室を窓口に「熱海市チャレンジ応援センター」、通称「A-biz」をスタートさせましたね。

 当時、商店街振興を何かやりたかったのですが、考えていたのは「(補助金や交付金で)アーケードをきれいにしましょう」といった形の支援ではありませんでした。商店街のそれぞれの個店に対して「もっと売れる商品がつくれるようになる」という具体的な支援を目指しました。

熱海市役所の一角にある「A-biz」は随時、地域の中小企業の事業相談に乗っている。
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 同じく2012年には、熱海らしい魅力ある地元商品を『熱海ブランド』として認定し、全国に情報発信していくための事業「A-PLUS」を熱海商工会議所が立ち上げました。

――「A-PLUS」は、世界的に著名なソムリエの田崎真也さんが特別招聘審査員を務めています。

 熱海の住民でもある田崎さんに就任をお願いしたところ、「市長さん、お受けするには1つ、条件があります。日本一厳しい審査にしていいですか」と言われました。

 行政や商工会議所などの公共がこのような事業を実施する場合、エントリーされた商品には優劣をつけず、みんなにOKを出してしまいがちです。そうなると結局、ブランドをつくるどころか、ブランド価値を下げてしまいます。それこそ、悪しき平等、悪平等です。「それだけは絶対やりたくありません」と田崎さんがおっしゃられたので、「ぜひ、日本一厳しい審査をしてください」とお願いしました。

2018年にA-PLUSで認定された「ATAMI COLLECTION A-PLUS」の認定品紹介チラシの一部(資料:熱海市)
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――確かに悪平等かもしれませんが、それでも、公的機関が民間の事業者のエントリーした商品を選別することに対して、反発はありませんでしたか。

 ほぼ半分が落とされる厳しさだったので、最初の3年は「なんで行政が特定の業者を応援するんだ」と不評でした。しかし、3年ぐらい経った頃から、だんだん批判の声が減ってきました。理由の1つには、1年目で落とされた事業者さんたちが「どうしたら、認定してもらえるようになるか」とA-bizに相談に訪れて、そのアドバイスに沿った取り組みが結果を出し始めたことにあります。パッケージを変える、味をかえるといった具体的なアドバイスを受け、2回目、3回目の審査でA-PLUSに認定され始めたのです。

 2016年11月にオープンしたJR熱海駅直結のショッピングセンター「ラスカ熱海」1階にある「A-PLUSショップ」も好調です。ここではA-PLUSの認定品を集めて売っているのですが、通常、こうした店舗はオープン年と比べると2年目の売上げは落ちるものなのですが、今のところすべての月で前年同月より売上げを伸ばし続けています。今では、このA-PLUSの認定を取ることが地元の事業者のステータスになっています。

イベント型から持続的プロモーションへと広報戦略を転換

――観光客数の増加に貢献した取り組みとしては、シティプロモーションも注目度が高いですね。

 2期目の市政のキーワードとして「営業する市役所」と「シティプロモーション」を掲げましたが、特にシティプロモーションには力を入れました。

 2012年6月から始めたメディアのロケ支援事業「ADさん、いらっしゃい!」も、その1つです。

 これまで熱海の観光の集客はイベントが主でした。ところが、イベント当日は観光客が来てくださるけれど、終わればまたパタッといなくなる。しかも、運営にかなりの肉体労働が必要なため担当職員は疲弊し、事業者さんも自分のお店をほったらかしでイベントに参加しなければいけないので、長続きしない。それよりもメディアのロケを誘致して、良い場所や風景を撮影してもらい、番組で使ってもらえれば、それを見た多くの視聴者に熱海の魅力を伝えることができ、事業者さんに負担をかけることなく、効果的にプロモーションできます。

 そこで、市の職員がメディアのロケを支援する事業「ADさん、いらっしゃい!」を企画しました。通常のフィルムコミッションで行うロケ先の情報提供だけでなく、地元の出演者との交渉や連絡の調整、公共施設における撮影の申請補助、ロケ弁の手配など、番組制作担当者、いわゆるADさんの作業を市職員が、無料で徹底的にサポートするというものです。

 初めの年は62件くらいで、これでも多い方でしたが、「ADさん、いらっしゃい!」のサポートが「神対応」と評判を取るようになり、今では年間100件を超える映画やドラマ、情報・バラエティ番組などで熱海が露出しています。

――シティプロモーションで、公民連携の取り組みはありますか。

 2013年から、JTBと「意外と熱海」というブランド・プロモーションをスタートさせました。

 熱海市ではそれまで、プロモーションを民間に頼むとき、毎年、事業者を変えていました。そのため、コンセプトもその都度変わっていました。

 そんな状態では大きな効果を出せません。また、市役所の場合、予算が2月の議会で決まると、契約は5月か6月になるので、4月と5月の間は毎年プロモーションができなくなります。「なんとかしないと」という現場からの声もあって「3年ひと区切り」のプロモーションをこの年から始めました。プロモーション効果を考えれば当然のことかもしれませんが、観光を基幹産業にしながら熱海市政では初めてのことでした。

 2013年から3年間実施したブランド・プロモーション「意外と熱海」では、若い女性向けプロモーションとして、春であれば梅と桜、夏はお祭りと花火、秋はグルメとアートなど、熱海の季節の魅力を統一されたイメージやビジュアルで発信し続けました。2016年からの3年間は、第2ラウンドとなる「やっぱり熱海」を続けています。並行して2016年度のはじめには『ただいま熱海』というパンフレットをまとめました。こうして、やっと熱海のブランド・イメージが定着してきたのです。

熱海市発行の『ただいま熱海』。きれいな写真とポップなデザインで、海のリゾート、湯の街、グルメ、祭りやイベント、お土産などの切り口から熱海の魅力が紹介される若い女性向けのおしゃれなパンフレット(資料:熱海市)
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――それまでバラバラに誘客プロモーションを展開していた熱海市、商工会議所、観光協会などの観光関連団体が、「意外と熱海」という統一ブランドでプロモーションすることにより、以前よりも公と民の連携が進んだと聞いています。

 JTBの若い担当者のフットワークが良くて、地元の事業者としっかり話して、信頼関係を構築していきました。結果、それぞれの団体の接着剤の役目を果たしてくれました。

 例えば、その若い担当者の方と旅館組合の青年部のメンバーが中心となって、ブランド・プロモーションの一環として、熱海市発行のタブロイド判のPR誌『あたみ通信』をつくりました。そのなかでは、地元の旅館組合の30代から40代の若手、いわゆる「若旦那」たちと一緒に組んで、「夜を愉しむ」という特集を組んでいます。行政が出している発行物の中で「キャバクラ デビューするなら熱海が安心」なんて書いているのは、全国でも熱海くらいじゃないでしょうか。

「あたみ通信 Vol.03」の表紙と中身(部分)。「キャバクラ デビューするなら、熱海が安心」という見出しが躍る誌面は、行政の発行物とは思えない現場の熱気が伝わって来る(資料:熱海市。日経BP総研が一部抜粋)
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――最近こそ「ナイトタイム・エコノミー」は注目が高まっていますが、行政がこうして「夜の街」の宣伝をするというのは、かなり珍しい例だと思います。

 なぜならば、これが熱海の主要な産業の1つだからです。この産業にも元気がないと、まちの活性化は道半ばです。

 熱海は、人口3万7000人のすごく小さな町です。この町で最も大きな組織体は、熱海市役所なんです。ですから、この“市内最大の事業体”とも言える熱海市役所がどれだけいろいろなことに手を出すかで、町は大きく変わります。熱海市役所は、他の自治体の市役所とは違う。熱海市役所の活動は、たとえて言えば、豊田市にとってのトヨタ自動車、浜松市にとってのヤマハ発動機と同じくらい、熱海市の経済に対してインパクトがあると思っています。

 私の基本の考えは「官には官がやるべきこと、民には民がやるべきことがある」です。観光について、行政がやるべきことは「プロモーションとインフラ整備」。熱海の魅力を全国に発信するというのは、1つのお店やホテルではできない。道路や公園の整備も、行政しかできない。これらの領域は、行政がやります。でも、「お客様にリピートしていただくこと」は、官にはできません。「それは民のみなさんしかできないんです」と、私はいつも言っています。

――民間事業者がリピーターを増やすために、行政がなすべきこととは何でしょうか。

 「みなさん、頑張りましょう!」と声をかけるだけでなく、事業者のみなさんが頑張れば儲かり、努力すれば売上げが上がる仕組みをつくることだと思います。その具体的な事例が、先に紹介したA-PLUSであり、その認定のための商品の開発や改善をサポートするA-bizです。

 「お客様の満足度を上げるのが民の仕事だから、あとはよろしく!」と突き放すのではなく、民間企業のみなさんに「頑張ってみようかな」と思ってもらえる市政をこれからも目指していきます。

人口減少時代には新しい財源の考え方が必要

――熱海市の一般会計当初予算は、観光客数の回復と歩調を合わせるように、2009年度には約168億6900万円だったのが、2018年度には211億5000万円まで増えています。ここまで回復すると、次の課題は何だとお考えでしょうか。

 確かに、お客様は増えました。しかし、税収をみると、実は、決して増えておらず、下げ止まっているだけなんです。今後を考えると、人口と税収が増える見込みはありません。

 にもかかわらず、医療・介護の負担などは増えます。また、古い市営住宅を集約するなどインフラの老朽化への対応もあり、観光に充てる財源は間違いなく減っていきます。しかし、熱海に来られたお客様を飽きさせることなく、観光を盛り上げるためには、常に投資を続けて、新しい魅力をつくらなければならない。そのためには、新しい観光財源を考えなければなりません。

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 私は2018年9月の選挙の公約の1つとして「宿泊税」の導入を提案しました。あるいは、入湯税を上げるという選択肢もあります。いずれにせよ、市民の税金を観光財源に充てるには限界があります。観光のお客様から頂いた税金でお客様に観光サービスを還元するという形で仕組みをつくらなければ、観光地としての魅力を持続的に磨いていくことはできません。

 今は「3年連続で宿泊客数が300万人を超えた」などと喜んでいる場合ではありません。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの後には、景気の停滞が予想されます。あと2年くらいのうちに、財源確保を本気で考えないといけない。その検討部会を2018年12月に開きました。

 新しい観光の枠組みづくり、すなわち、新しい財源と新しい組織の枠組みをつくることによって、持続可能な観光地をつくる。これが今、取り組んでいる課題です。そんな新しい組織の枠組みの一つがDMO(Destination Management Organization)だと思っています。

官による観光振興から、民間専門人材による観光地経営へ転換

――全国の自治体でDMOの取り組みが行われていますが、まだ成功といえる事例は多くないように思われます。熱海市では、市からDMOへの業務移管も議論されているようですが(参考:「熱海市観光戦略会議 第2回会議 議事録」、2018年10月30日)。

 今の地方自治体のDMOの中には、観光協会の看板を掛け替えただけのものが多いという印象です。交付金がもらえるからということでDMOをつくっているケースもあるでしょう。だから、魂が入っていない。その点、熱海市には、魂の入ったDMOづくりの原型があります。

 「意外と熱海」のために、JTBの仕切りで、市役所、商工会議所、観光協会、ホテル旅館協同組合から、旅館の女将さんや商店の事業者さんまでもが同じテーブルについて、熱海の観光について話しあう会議があります。それが、DMOの原型になっているのです。

 市としても、市役所、商工会議所、観光協会、ホテル旅館協同組合のトップと大学教授からなる「熱海市観光戦略会議」を私が市長に就任して以来ずっと開いてきました。部会の1つとして「熱海型DMO構築」に関する勉強会もスタートさせました。熱海市のDMOは、官から観光振興を切り離し、適切なガバナンスの下、プロによる専門性とパフォーマンスの高い観光地域づくりの舵取り役として、また、市内にある6つの観光協会の支援組織として構築していく考えです。

――「人口と税収が増える見込みはない」とおっしゃいましたが、税収の減少に歯止めをかけるためにも、何か人口減少を食い止める取り組みを行っていますか。

 4期目の今、私は「熱海2030ビジョン」を掲げて、「観光・経済の活性化」、「教育・福祉の充実」、「仕事・くらしの変革」の3つの柱に基づき、「回復」から「躍進」する熱海の実現を目指しています。ただ、教育や福祉を充実して、たとえば「子育て」を手厚くすれば人口は増えるかというと、そんな簡単な話ではない。若者が外に出て行ってしまうのは、そもそも、ここで働こうという若者がいないからです。

 今、観光業界は、長時間労働でありながら、賃金レベルは高くないため、若者に敬遠されています。熱海では、海外に行って、外国語やマーケティングを勉強してきた人が、戻ってこられるような職場や環境が用意されていない。生意気ですけど、将来設計がちゃんと描ける業界にしないかぎり、観光業界はダメだと思っています。そこで、今回初めて「仕事・くらしの変革」という柱をつくりました。私は、若者が「熱海で働きたい」「観光業界で働きたい」と思えるようにしたい。熱海を「働きたくなる観光地」にしたいのです。

 「くらし」の面では、住宅問題も非常に大きい。産業界、特に宿泊産業の人手不足と住宅問題は密接に関連しています。この問題を民間の問題と切り捨てることなく、産業界とひざを突き合わせながら、行政と産業界で連携して課題解決を図っていかなければなりません。そうした中で、新たな官民連携の枠組みづくりが必要になってきていると感じています。

齊藤 栄(さいとう さかえ)
熱海市長
齊藤 栄(さいとう さかえ) 1963年3月17日生まれ。1988年、東京工業大学大学院修士課程(土木工学専攻)修了。同年国土庁(現国土交通省)入庁。2004年2月国会議員(衆議院)政策担当秘書を経て、2006年9月熱海市長 就任。4期目。

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