「消滅可能性都市」を宣告されてよかった

「ピンチのときこそチャンスにするんだ」という気持ちで、ムキになって取り組んだと語る高野区長(写真:都築雅人)
「ピンチのときこそチャンスにするんだ」という気持ちで、ムキになって取り組んだと語る高野区長(写真:都築雅人)
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――2014年には日本創成会議が発表した「消滅可能性都市」に挙げられました。このことは区政にどのような影響を及ぼしましたか。

 豊島区が23区で唯一の消滅可能性都市として挙げられたときは、私たちの行政や存在を否定された気になりました。区民も「豊島区は潰れるのですか」と聞いてきます。急ぎ対策本部を立ち上げ、対策に取り組みました。

 「ピンチのときこそチャンスにするんだ」という気持ちで、ムキになって取り組みました。良かったのは、行政も区民も危機感を共有していたことです。おかげでテンポ早くものごとが回転し、多くの施策を受け入れてもらえました。

 例えば、都市が消滅するとは、若い女性がいなくなるということです。そこで子育て環境に焦点を絞り、魅力ある都市づくりを目指しました。

 女性にやさしいまちづくり担当課長(現「わたしらしく、暮らせるまち。」推進室長)として民間の人材を登用するなど、行政の縦割りを崩すよう注力してきました。例えば区内の事業者6者とFF(Female/Family Friendly:女性やファミリーにやさしい)パートナーシップ協定を結び、民間が持っているノウハウを生かしながら働く女性や親子たちを対象にしたイベントを展開しています。

 消滅可能性都市に挙げられて1年ほどたって徐々に成果が出てきたころに新庁舎が完成し、その後も玉突きのように開発プロジェクトが相次ぎ連鎖反応が出てきています。区の人口も、その後4年で約1万5000人増加しました。消滅可能性都市を宣告されたことは、今ではかえって良かったと思っています。

高野之夫(たかの・ゆきお)
豊島区長
1937年豊島区生まれ、60年立教大学卒業後、実家の古書店の経営に携わる。83年豊島区区議会議員。89年東京都都議会議員。99年豊島区長に就任。以来、文化によるまちづくりに取り組む