長野県のほぼ中央にある人口約2万人の下諏訪町が、“若者の移住したい町”として注目を集めている。JR下諏訪駅近くの御田町商店街では、移住してきた若者がリノベーションした空き店舗で様々な店や工房を興している(関連記事)。4期14年にわたって町政を執り、少ない予算で住民の自主性を育てる施策を繰り出してきた青木悟町長は、「住民が旅行者や移住者に町の良さをきちんと語れることが必要だ」と語る。

[画像のクリックで拡大表示]
下諏訪町の青木悟町長(写真:佐保 圭=以下同)

――ここ十年近く、下諏訪町に移住する若者が増えていると聞きました。青木町長が誕生してから、どんな変化があったのですか。

 一番変わったのは「住民の意識」だと思います。「この町、面白いよね」「いいとこあるよね」と自信を持ってきています。

 今、人口減少のことを悲観的にとらえる人はいっぱいいるし、人口は多いに越したことはないのかもしれないけれど、人口推計をみて高齢化率をみると、ある程度は仕方がない。それは受け入れたうえで、じゃあ持続可能な自治体としてどうやっていけるかといったら、そこに満足度がなければいけない。誇りを持ってこの町に住んでいること――。これが私は大事だと思います。

 心がけたのは「自分の町を自慢する町民」を増やすことです。私が町長になる前は、観光客に「下諏訪に、いいところありますか」と聞かれた旅館の仲居さんたちは「なんにもなくてね」と答えていました。魅力がこんなにいっぱいあるのに。以前は「ここ、行ってみて。すごいんだよ」と町の魅力について発言する住民は、ほとんどいませんでした。

住民と若い移住者が織りなす好循環

――住民が自信を持つことが、町外・県外の若者が下諏訪に移住したくなることにつながった?

 自分の町に自信を持つからこそ、外から来た人を心から受け入れられる。この町しか知らない住民は「あれがない」「これが足りない」という発想から入りますが、移住してきた若者たちは違います。「こんなにコンパクトなのに、自然豊かで温泉があり、おしゃれなお店もある。こんないい町ないよね」って、下諏訪町の魅力をどんどん発信してくれる。

 20代、30代の移住者が「下諏訪っていいとこですよね」と言ってくれるから、住民はみんな喜んで、この町で生活していることが楽しくなって、もっと移住者を受け入れるようになる。大切なのは、そういう繰り返しです。

民間の自主的な“マンパワー”を公共事業に活用

――その好循環ができる前の、つまり、若い移住者を受け入れる以前の「住民の意識」は、どうやって変えたのでしょうか。

 2004年11月、高橋前町長の急逝で選挙が行われました。そのときの私のキャッチフレーズは「下諏訪力の創造」でした。観光にしろ、産業振興にしろ、下諏訪には潜在的な“力”がある。その地域の宝を活かすのは住民です。行政がやってしまったら「つくってくれて、ありがとう」で終わる。住民のパワーアップにはなりません。「民公協働のまちづくり」に関わった住民の“マンパワー”が、結果的に町をつくる“力”になるんです。

――なぜ、「公民協働」ではなく、「民公協働」なのですか。

 「民」が主体なので「公民」ではなく「民公」。ずっとそういう考え方です。

 最初に始めたのが「下諏訪力創造チャレンジ事業支援金」です。下諏訪のまちづくりや活性化に役立つ事業を募集して、エントリーした人は、審査会でプレゼンします。審査員である町民の代表が「社会性の高い公益の事業や活動」という観点から採用すべきかをチェックして、最終的な決断は私が下します。

 たまに趣味の域を出ないような事業や結果の見えない取り組みの応募もありますが、2007年度の第2回以降も、毎年、エントリーされた事業のおよそ9割、7から10ほどの事業が採用されています。支援金は、1つの支援事業に対して上限100万円で、3年は継続できるので、最高300万円まで出しています。

――2006年度の第1回の「下諏訪力創造チャレンジ事業支援金」には、「御手洗川をきれいにする会」というわかりやすいものから「男女の垣根を越えて、分かり合える社会を考える」という抽象的なテーマのものまで、13の支援事業が採択されています。

 この事業で国や県からの補助金は取れないですから、町の財源から500万円を予算化しています。大切なのは「500万円で何を生み出すか」です。実際、始めてみると、2012年度の下諏訪力創造チャレンジ事業で選ばれた「鎌倉街道(富部地区)の整備及び史跡案内板設置」など「行政で進めようとしても何千万円もかかって、到底できない」という社会性の高い事業が、年間上限100万円でできるようになりました。

[画像のクリックで拡大表示]
[画像のクリックで拡大表示]
2012年度の下諏訪力創造チャレンジ事業「鎌倉街道(富部地区)の整備及び史跡案内板設置」では、周辺住民が主体となって、鎌倉街道の約420mの部分を平らにしてウッドチップを敷き、ベンチや看板を設置して、ハイキング・コースとして整備した。その際、地権者から土地を寄付してもらう交渉も住民が行った(写真提供:下諏訪町)

人口2万人のまちに100人の防災士、チャレンジ事業で急増

――ほかにも、住民の意識を変えるような実例はありますか。

 2015年度から3年かけて進めている下諏訪力創造チャレンジ事業「安全・安心なまちづくりを目指して、防災士資格取得に挑戦」があります。防災士は、防災に関する知識と実践力を身につけ、災害に備えてのスキルを磨くことで、地域や職場の防災リーダーになります。登録料5000円は自己負担ですが、この資格をとるための受講料23000円、教材費4000円、受験料3000円、総計で1人当たり30000円補助しています。3年間の同事業で86人、さらに、意義ある活動として2018年度の補助金で18人の防災士が生まれ、自主的な資格取得者と合わせると、2018年10月1日現在、この2万人の町に118人の防災士が民間のリーダーとなり、地域の防災に貢献しています。

 災害が起きてしまったら、苦労するのは避難所の運営です。役場の職員が運営の主体に関わると、避難所で生活している人たちは行政に頼りきってしまう。しかし、民間に防災意識の高いリーダー的な存在がいて「こんなことは自分たちでやろうよ」と声をかけたところは、阪神淡路大震災のときも、東日本大震災のときも、民間と行政がすごくいい関係のなかで避難所生活が運営されたという事例が残っています。そういった役割を、防災士の資格を取得した人たちが担ってくれるはずです。

[画像のクリックで拡大表示]

――防災活動の“自分ごと”化や自主的な参加の促進は、ほかの自治体でも大きな課題となっています。なぜ、下諏訪町では、災害時に住民側のリーダーとなる防災士を自主的に80人も増やすことができたのでしょうか。

 成功した理由は、キーパーソンがいたからです。この事業をエントリーした人が、まず自分の仲間に声をかけて、10人取ろう、20人取ろうということで、だんだん増やしていった。そのうち、そこから枝葉が出て、「じゃあ、俺も取るか」「俺も取るよ」となってくる。人間関係ですよ。

――下諏訪力創造チャレンジ事業は、意識の高いキーパーソンをまちづくりの舞台に引っ張り出してくるための仕掛けといえそうですね。

 「自分も関わって町をつくっていこう」という意識を持つ人は、どこの町にも潜在的にいるはずです。そういう人たちをどうやって見つけ出し、住民主体のまちづくりに自主的に取り組んでもらうかが、重要です。

 住民の自主性がないと、何も始まりません。防災意識もそうだったように、住民の健康意識の向上についても、たとえ行政が指導しても、住民自身に健康を維持する意識がない限り、運動もしないし、食生活や生活習慣を変えることもないんです。

行政は結果を急がず我慢することも大切

――今も続く下諏訪力創造チャレンジ事業のほかにも、住民の自主性を促す取り組みはありますか。

 職員には「我慢しなさい」と言っています。行政は、結果を急ごうとするから、いろんな契約をつくって、スケジュールを含めて、カッチリとやって行きたがる。しかし、民間のみなさんを中に入れて事業を進めようとすれば、そのペースは絶対に緩やかになる。職員が優秀であればあるほど、つい自分でやり出してしまう。そうではなく、あくまでも住民の自主性を重んじて、民間の人たちが動きだすまで我慢する。

――焦らず、じっくり取り組むことが大切なのですね。

 今までの地方再生の取り組みでは、駅前再開発などでハコモノをつくった。結果を急ごうとするからで、結局、あっちこっち、みんな、つぶれています。大切なのは「モノ」ではなく「コト」や「ヒト」です。コトやヒトをつくるには、時間が必要です。それをちゃんと理解して、次の時代の方向性を見出さなければならない。「ゆっくりとこの下諏訪の町をつくっていきましょう」という発想です。

――最後に、今後、若者が移住したくなるまちづくりで取り組むことは何か、改めてお聞かせください。

 “住民の意識”を醸成することでしょうか。私が「民公協働のまちづくり」とうたったのは「町をつくっていくのが自分たちなんですよ」という意識を持ってもらうためです。生活環境であれ、経済活動であれ、移住してきた若い人たちも含めて、住民が主体となる意識がないといけない。住民満足度100%の町は、住民が自分たちでつくり出すものです。これからのまちづくりでも、そこを意識してもらえると嬉しいです。

青木 悟(あおき さとる)
下諏訪町長
青木 悟(あおき さとる) 1954年5月15日生まれ。1977年3月、明治大学政治経済学部卒業後、1977年4月、シロトリ写真館に入社。1989年3月に退社し、1989年4月、写真店を起業。下諏訪青年会議所理事長、下諏訪商連副理事長、下諏訪商工会議所青年部監事などを歴任し、同年12月、下諏訪町長に就任。現在、4期目。

この記事のURL https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/433746/102100036/